samedi, septembre 30, 2006

ジェダイ誕生後物語 ~5泊6日のキャッスルバカンス~

今回の出産で、私がお世話になった産院は、自然分娩、無痛分娩の場合、入院は6日間、帝王切開の場合、8日間。

私の場合、8月30日の早朝に破水して、それからすぐに入院したので、入院期間をフルで満喫できた。

入院中の基本的な生活は、毎朝だいたい6時半ごろに助産婦さんが検温と血圧を測りに来て、7時すぎに医院長先生&息子の若先生ペアが回診にやって来る。そのあと清掃の職員がやって来たり、助産婦さんがポットのお湯を換えてくれたり。そして8時ごろに朝食の配膳。ちなみに昼食は12時、夕食は17時に饗される。夕食の配膳から翌朝の朝食までが結構時間があるのでたいてい夜中にお腹が空く。そこで毎日のようにお見舞い客からいただくケーキやお菓子類を腹ごなしに夜中に食べていた。

入院中の食事は毎度どれもおいしくて、ご飯粒ひとつ残さず毎回全部平らげた。基本的に朝はパンと卵、ハムかソーセージの魚肉系、サラダ、果物かヨーグルトのデザートといった、コンチネンタルスタイル。昼は和洋中でいろいろ。夜は前菜とメイン2種が必ずあるボリューム多目の割と豪華なちょっとしたフルコースだった。

それから、こちらの産院は母子別室なのだが、毎日10時から15時と、20時から22時は赤ちゃんを病室に連れてきてくれ、授乳したりおむつ交換をしたり、自室で好きなように赤ちゃんと過ごすことができる。もちろん、お母さんの体調が悪かったり、赤ちゃんに問題があったりすると、いつでも新生児室で預かってくれる。

ちなみに15時から20時までの面会時間は新生児室に入り、面会者もママもガラス越しに観察する。同じ時期に生まれた、他の赤ちゃんと見比べることもできるので、自分の子供に対して親バカ要素満載の客観的な眼差しを向けることができる。

そのほか、だいたい午前中に毎日のように育児指導が行われる。授乳の仕方、沐浴、調乳法、退院後の生活などなど。

助産婦さんの指導は、個人的には多少過保護かなと思える部分や、二人目以降の出産の人には面倒くさいかなって気もしたけれど、やはり私も含めて初産の人や、心配性のお母さんを基準にしたら、これくらいになってしまうのだろうと納得できる。

実際、沐浴の実習を他の入院中のお母さんと一緒にやったのだけれど、おもむろに赤ちゃんの頭をがーっと掴んで堂々とかかる私に対し、そのお母さんは緊張しまくりだった。

あとおもしろかったのが、退院指導と言って、要するに退院後の育児についていろいろ注意を受けるのだけれど、そのときに一緒だったお母さん(出産は2人目)で、おっぱいの出がよすぎるという人が居て、うっかりノーブラ、授乳パッドなしで来てしまったところ、途中ダラダラと母乳が垂れて着ているものがびしょ濡れになってしまっていたこと。そうこうしているうちにも母乳は次々に生産され、胸のあたりがどんどん湿っぽくなってくる。

かたやもうひとりのお母さんは、帝王切開だったせいか、おっぱいはパンパンに張って痛いのに、分泌が悪いという。そのころの私は、母乳はふつうに分泌されるけれどもまだまだ「おっぱいが張る」という経験がなく、「へ~いろいろなんだ。ってか、出る人ってそんなに出るんだー」と、個人差を思い知ったものだ。まさにその光景や会話の内容は、"乳牛たちのララバイ"という感じで、人間的ではなかった。

それにしても入院中の生活は、本当に至れり尽くせりでパラダイスだった。それから助産婦さんたちの働きっぷりに驚かされた。というか、編集者が「今日で徹夜○日目……」なんて病的に、徹夜武勇伝を語っているのとは次元が違う世界だと思った。

それなのに、いつも生き生きとして頑張っている助産婦さん。出産してすぐはまだ母親としての自覚が足りなくて、なにごとも気軽に過ごしていた私。育児についても「ま、追々でいいや」って気楽に構えていて、助産婦さんたちが一生懸命におっぱいマッサージとかしてくれるのに、自分は産むだけ産んだらそれでいいや……みたいな顔をしてしばらく過ごしてたんだけど、自分の子供のためにこんなにも一生懸命になってくれる彼女たちの姿を見ていたら「私も頑張らなくちゃ」って自然に思えるようになり、4日目ぐらいからはそれまでさぼっていたおっぱいマッサージも一生懸命にやるようになった。

妊娠中は病院に通っていても、受付の人と医師に接するだけで、待合ロビーと診察室しか知らなかった産院の世界。実は産院の主役は、その上階にある世界だった。

何度か、助産婦さんに「助産婦さんのお仕事って、本当に大変なお仕事ですね~」とありきたりだけれど、そのときの素直な感想をぶつけてみたことがある。

でも決まってどの助産婦さんも「でも赤ちゃんがかわいいから」と返してきた。

私は今まで自分自身が本当に子供で、しかもマスコミのお仕事という、どちらかと言うと華々しさが際立つ、そういう人間的な世界とは遠いところで生活していた。だけど今回、自分が妊娠・出産という経験をして、それまで縁遠いと思っていた新しい世界や人を知ることになった。そして初めて心から、彼女たち助産婦さんの言っていることがわかったように思う。自分の子供だけでなく、どの子供も本当にかわいい。

そして私は今まで本当に極度の病院嫌いで、それがゆえに今回も調子が悪くてもなかなかギリギリまで駆け込むことができなかったのだけれど、なぜそれほどまでに病院が苦手だったかというと、やはり病気とか死とかを想像させる陰気な感じだった。

それが今回、産院という、同じ医療の現場でも生命の誕生をつかさどる別の顔があることを知った。そしてそれがゆえに助産婦さんたちは明るく生き生きと仕事をしていられるのだろうといったんは解釈した。

でもこないだ、一週間検診で久々に外来で産院を訪れたとき、待合ロビーには明らかに堕胎に来ていると思われる、心痛な面持ちをした若い女性の姿を目にした。

助産婦さんのメインのお仕事は、分娩の立会いだ。我らが母子のように、母子ともに健康で無事に幸せな対面を果たせない出産だってなかにはあるだろう。

だから産婦人科医や助産婦さんたちが、毎回かわいい赤ちゃんの姿に励まされて頑張れるというわけでもなく、時に悲しむ人たちの辛い場面にも立ち会わなければならない厳しい現場なのだ。

そんなふうに産院での入院生活中は、ふだん目にすることのないいろんな現場を目にし、そして自ら体験した、本当に内容の濃い数日間だった。

今回の出産で手にしたものは、わずか3キロちょっとのものだけではないのだ。

ジェダイ誕生後物語 ~ジェダイの帰還~

母子手帳に記載された公式記録は、分娩時間6時間2分。わずかに6時間を切ることができなかったのが悔やまれる。

どうやら分娩時間というのは、分娩一期からカウントされるようだ。つまり陣痛が定期的になったあたりから(子宮口全開まで)。というわけで、逆算すると私の場合、やはりトイレに篭り出したところを助産婦さんに発見され、ベッドに強制送還された21:30を分娩開始時と記録されているもよう。

それにしてもいろいろな資料を見てみると、初産で12~15時間、経産で6~8時間というのが一般的らしく、さらに分娩二期(子宮口全開から胎児娩出まで)まで初産で45~60分だそうで、自分の場合がいかにめちゃくちゃであるかを思い知った。というか、28週で妊娠に気づき、37週で出産というのも既にめちゃくちゃ。そして早産ギリギリだったくせに、出てきた子供は3000gを超えているというオチ付き。

まぁなにはともあれ、赤ちゃんは無事に健康で生まれ、母は安産。これ以上願ったりかなったりはない出産だった。

分娩を終え、2時間。病室に戻るや否や、このmixiへ出産報告の書き込み。ケータイからなので書き込みに手間がかかり、記録上の時間は少し遅くなってしまった。


妊娠、出産もワンダーランドだったけど、出産後の生活もまったくの未知の世界。

まずは6時過ぎに助産婦さんがやって来て、体温と体重、血圧を測定する。体重は最終的に9キロ増だったけど、それから5キロ戻っていた。まさに胎児分と羊水分という感じ。あとの4キロは? と言いたいところだけれど、これは多分授乳に必要なエネルギーの素。実際、前方にぶら下げた、ジェダイ専用二つのお弁当箱も大盛りになっているし。

それから、母乳の分泌をチェック。初乳はまだ黄色っぽく、免疫力が高いらしい。

それから7時過ぎに医師の回診。主治医の女医さんでなくて、その旦那さん(通称:若先生。40歳くらい)とそのお父さんの医院長先生がなぜかペアで(それは退院までずっとだった)。基本的には毎回、子宮の収縮具合のチェックと(手で触って、「第一腫です」とかそれだけ。毎日数字が上がっていき、いったいゴールは第何種なんだろうか? と一度助産婦さんに質問してみたことがあったけれど、質問の意味が解されず「大丈夫よ。とても順調にもとに戻っているから」と返される)、悪露の状態のチェック。悪露というのは、産後しばらく続く出血のこと。まぁ生理みたいなもの。

それから赤ちゃんの状態の報告を受け、痛み等はないかと問診があり、毎度毎度「特にないです」と元気に答える私に、ある日医院長先生は「いいですね。どこも痛いところがなさそうで」と皮肉いっぱいに言い放った。

さらに出産当日の回診では、「分娩もとても早かったみたいですね。よかったですね」と爽やかに慰労の言葉をかける若先生に対し、「次回以降はもうぜひ計画出産でお願いします」「分娩台、乗り足りなかったでしょう? 今から行ってもういっぺん乗ってきたら?」と医院長先生。私も負けじと、回診後「お疲れさまでした~」と労いの声をかけ、回診一団の失笑を買うことに成功。

それからは、お掃除のおばさんやら朝食の配膳やらで、いろんな人に「おめでとう。よかったわね」とたくさん声をかけられる。今思えば、その後お見舞いに来てくれる人も含め、入院中のそんな毎日がいちばん至福の時だったように思う。

ただし、出産が軽く、その後の回復も早かったとはいえ、さすがに出産当日は時間帯によっては"後陣痛"と呼ばれる痛みが時々襲い、また一時的に眩暈と動悸がしたりして、心配なので一度ナースコールを鳴らした。

それでも助産婦さんは「それは回復が早く進んでいる証拠よ」と言いながら、とりあえず痛み止めの薬を出してくれた。通常、身体が妊娠前のもとの状態に戻るには、6~8週間程度はかかるという。産院で母乳を勧めるのも、赤ちゃんが母乳を吸うことにより、子宮が刺激されて収縮が早まるという理由もあるらしい。人間の身体って本当に不思議で、よく出来ていると思う。(ちなみに母乳は胎盤が排出されることがサインとなり、分泌が開始されるとのこと)

あとはやっぱり身体の痛み。分娩時に骨盤が開いたりしたせいか、腰から骨盤にかけて時々鋭い痛みが一瞬走る。骨が痛いという感じ。それからやっぱり、会陰部。出産当日、最初に用を足すまでは、尿意はあってもなんだか痛そうで、抵抗があってなかなか出せなかった。さらに排便のほうは、便意はあってもやはり3日目までは出す気になれなかった。お尻のあたりはなんか違和感を常に感じるし、多分痔の患者さんみたいになっていて、我慢すれば別に大丈夫だけれど、しばらくは真ん中が開いたクッションに座っていた(しかしそれが授乳のときになると、そんなこともすっかり忘れてしまうほど、ふつうに座っていたりするのだが)。

そしてもうひとつの痛みは、おっぱいマッサージ。特に最初の"開栓マッサージ"は、慣れないせいもあり、かなり痛かった。だって乳首を全力でつねったりして、マッサージとはほど遠い、まるで拷問。

そんなわけで、「出産より、産んだ後のほうがよっぽど痛いよ……」と、出産後2,3日はブツクサ言っていた。

ジェダイ誕生物語 ~キレてないですよ~

あっという間の分娩。ジェダイがツルンと出てきた瞬間に思ったのは、安堵の次に「楽勝! これなら代理母もできるかも」。

取り上げられたジェダイは、すぐさま助産婦さんに拉致されて、体重を測られたり、いろいろ取り調べを受けているもよう。

「3132グラム、51センチです」

……思わず耳を疑った。だって、予定日より17日も早く生まれてきたのに(しかも後日カルテを覗き見した際に「切迫早産」の判子が押されていた)、既に標準体重を超えていたなんて。37週でこんなに育っていたのなら、40週までかかっていたら、いったいどれだけ大きく生まれてきたのだろう。

分娩後は、医師は母体の手当てをする。空気の抜けた風船のようにしぼんだ子宮を押して、まだ残っている羊水を外に排出しているのがわかる。

それから、分娩時に切開することが多い会陰部も「切れてはいなくてかすり傷程度ですが、一応縫っておきますから」と主治医。局部麻酔を打ち、縫合している様子も、陣痛後には蚊に刺されるようなもの。

"夜の助産婦"さんは少し離れたところで、ジェダイの身体を拭いたり、ジェダイとともに排泄されたいろいろなものを測ったりして忙しくしている。

カルテに記入された胎盤の重さを見て、「大き~い」と驚愕する医師。毎日毎日多くの赤ちゃんを取り上げてきた先生でさえも、ジェダイはやはり身体的に他の新生児といろいろ異なるようだ。

あぁそうやって、大きな胎盤に必死でしがみついて、母親が妊娠中にそうとは知らず、あれだけむちゃをやっていても、ジェダイはここまで生き抜いてきたんだ。

30分ほどで母体の処置を終え、医師のほうは分娩室を後にする。あとは"夜の助産婦"とジェダイと、3人でそのまま1時間半ほど過ごす。

"夜の助産婦"さんは、私の入院後の回診の記録を改めて見ながら「でもやっぱり1時くらいの時点では、指一本分しか子宮口が開いてなかったのよねぇ。だからそのときには先生に朝になったら子宮口を開かせる薬を飲ませましょうってことで報告してたのよ。それがたった2時間で……」と、やっぱりまだ信じられない様子。

そうしてジェダイの世話をひととおり終えると、"夜の助産婦"さんはジェダイを私のもとに連れてきて、左腕に抱かせてくれた。ジェダイは連れてこられるとき、「イヤ~」と駿河、遠州地方の訛りのあるイントネーションで叫び、大人たちの笑いを誘った。

初めて胸に抱いた我が子。母性云々とかよりも、不思議な感覚。そして"夜の助産婦"さんは「おっぱい飲ませてみます?」と、ジェダイの口を強引に私の乳首へと押し付ける。それまで羊水をゴクゴクと飲んでいたジェダイが、生まれて初めて母親の初乳を口に含んだ瞬間は、なんだか脳が刺激され、子宮がキューっとなる感じ。

分娩から2時間ほど経って、車椅子に乗り、先ほどまでの戦場となった病室へ移動。

分娩室を出た第一声は「シャバの空気はウマイのぅ……」。

車椅子を押してくれる"夜の助産婦"さんは、このとき既に"明け方のお母さん"のような存在になっていた。

ジェダイ誕生物語 ~クライマックスは突然に~

都内僻地の夜の帳を破るように叫び続けられる"イクラちゃん発声呼吸法"。そしてクライマックスは突然に訪れた。

午前3時前後になって、陣痛はピークに達し、というか、「息まないで」と言われても息まずにはいられない状態に。もう裂けようがなにしようが関係ないと思い始め(というか、息まねば死んでしまう)、 それでも「ん ぎゃ~っ」とか精一杯にこらえながら、断末魔の叫びを続ける。陣痛の間隔は、既にもう間隔とは言わなくて、絶えずの状態。それでも頭の中では「まだまだかかる」と思っているので、ギリギリの限界までナースコールを押すのは止めようとひとり葛藤。でも、なんだか腰の下からお尻のあたりにかけて、違和感を感じ、「とりあえず様子だけ見てもらおう」と遂に二度目のナースコールを手にする。

というか、明らかにお尻のあたりに人間の頭のような物体の存在を感じる。そしてそれは、たまらず息む度に確実に一段二段と下に下がってくる感じ。どう考えても便ではない。

「す、すみません……、ちょっと来てもらっていいですか?」
「はい、いいですよ」

助産婦が部屋に入ってきた気配。

「あぁ、コレ、大便が出てるねぇ(東北訛りで)……えっ、あっ、ちょっと待って! コレ赤ちゃんもう出ちゃう、大変!!」

大慌てでナースステーションへもうひとり助産婦を呼びに行く、"夜の助産婦"。

「2時間くらい前に見たときは、ホントに子宮口まだ全然開いてなかったのに、もう全開!!」

しきりに弁明し、パニックに陥り、動転して便の処理にかかろうとする、"夜の助産婦"に対し、「そんなのあとでいいわよ! とにかく先生に連絡して、分娩室に連れてかなくちゃ!!」と別の助産婦が叱責。

そして依然動揺が続いているのか、車椅子を持ってくる"夜の助産婦"に対し、「ム、ムリです……」と、赤ちゃんが出掛かった状態の"半妊婦"は直訴する。

大慌てで担架が運び込まれ、台車に乗って分娩室へ。

エレベーターに乗り込んだとき、「あぁもうすぐ終わりなんだ……」と、階数を表示する電光掲示板を見ながら、ほっと安堵する。そのときはもう、安心感で痛みとかほとんど感じていなかった。それに、そばに付いててくれる助産婦のただ言うとおりにしていればいい、人任せにできる安心感もあった。

分娩室に運ばれると、すぐさま分娩台へ担架から転がるように移動。足台に両足を乗せ、診察のときと同じ開脚姿勢になり、あとは胎児の心音を確認するモニターが手際よく取り付けられる間に主治医がやってくる。

「ハイ、息止めててね~……、ハッハッハッって息を吐いてくださ~い」

「おぎゃ~」。

「男の子ですよ~!」

息を三回吐いただけで、ツルンと拍子抜けするくらい簡単に出てきてしまったジェダイを高く上げて見せてくれる先生。その瞬間をしかと目に収めようと、新生児大の排便を終えた元妊婦は分娩台で腰を軽く浮かせて、我が子を覗き込む。


2006年8月31日午前3時32分、ジェダイ誕生。

ジェダイ誕生物語 ~産院の中心で痛いと叫ぶ~

日付が変わった午前1:00過ぎ、一度目のナースコールを鳴らす。生まれて初めてのナースコール。実はちょっと憧れだった。

そのころ、陣痛の程度は痛いけれども、まだ死にそうなレベルではない。でも間隔が相当に短くもなってきているし、「結構、痛くなってきているし、どうなんですか?」と助産婦さんを呼ぶ。助産婦さんはさっそく子宮口を確認したけれど、その時点ではまだまだ指一本分、後方にやっと確認できる程度で「まだまだ時間がかかるわよ~。ほら全然だもの」と言って、とりあえず胎児の心電図を取った。昼間も経験したけれど、心電図を取っている間は、身動きができず、陣痛と二重の苦しみ。

30~40分ほどして、助産婦さんが戻ったときには、既に「イ~タ~イィィ~」と大声で叫んでいた。自分としても少々大げさに叫んでいたのだが、叫ぶことで痛みを解消する効果を感じていたので、思う存分叫ぶことにした。ただ助産婦さんのほうは、私が相当苦しんでいるように感じたらしく「出産はね、痛いものだから仕方ないのよ」などと、私にしてみれば内心、「なに言ってんだ、いまさら!」と、心優しい励ましでさえ、その期に及んで疎ましく思え、「あー、これだから年いった助産婦さんは嫌だなー。昼間の若い人のほうがよかったなぁ」と思っていた。とはいえ、その時点でもまだ理性は保たれていて、「すみません、少し静かにしててもらえませんか?」と丁寧にのたまい、さらに助産婦さんは「テレビももう少し静かな番組にしたほうがいいんじゃないの?」と勧めるも、「いつも観てますから」と、最後までバラエティー番組をつけっ放しにしていた。さらに痛がる私の背中をさすってくれた助産婦さんだったが、実はしんどいながらにも自分で加減をしながらのほうがよっぽど痛みが和らぎ、「加減がよくないんでかえって痛いので結構です」と手を払いのける始末。腹の中では「うぜぇ~んだよ!」と叫んでいたのだが、いくら出産の極限状態で無礼講が許されるとはいえ、極力理性は保つように最後まで努力していた。

そして「もう好きにさせてあげよう」(助産婦さんの産後の談より)と、その場を立ち去ろうとした助産婦さんに対し、「あ、すみません。叫ぶと喉が渇くんで、そこのペットボトルに冷蔵庫の麦茶を足して、ベッド横に置いておいてもらえますか?」とお願いする。

その後はもう好き放題に叫びまくった。最初のうちは「痛~い」という本能的な叫びだったが、次第に自分なりに痛みを開放するための雄叫びを研究、開発し始める。意外に楽だったのは「ハァイぃ~」という叫び声。イントネーションは、ちょうどイクラちゃんと同じ感じで。助産婦さんに「まだまだ時間かかるから、う~んって息んじゃ絶対ダメよ。本番のときまでに裂けちゃうからね」と注意を受け、途中からは陣痛よりも息まなずに呼吸をするほうがむしろ苦しかったのだけれど、この叫びは意外と役に立った。日本語の基本でもあるこの言葉以外、例えばフランス語はどうなんだろう? とか考え始め、「ウィ~!」とか試しにやってみたが、こちらは息を吐くことをしないのであまり効果がなかった。

そんなふうに陣痛と格闘しながらも、陣痛の間隔はもう1分あるかないか程度になり、痛みのほうは自分的にはまだ極限には達していなかったけれど、これが朝まで続いてさらに痛みがこの先強まることを考えると、ちょっとしんどいな……と思い始める。そこで朝の時点で、可能であれば無痛分娩に切り替えてもらおうと決心。もう十分に痛みは味わい、ジェダイのために苦しんだし、今このレベルで耐えられているのだから、無痛にすれば多分これより苦痛が超えることはないだろうから、それならば楽勝だと考えたのだ。

ジェダイ誕生物語 ~陣痛のはじまり~

ようやくありつけた念願のお昼ごはん。朝ごはんは持参したおにぎりだったけれど(膀胱炎の抗生物質を処方されていたので、それを飲むためにも必要だった)、やっぱり全然物足りなくって、まだかまだかと待ちわびた。

初日のごはんは和食。ぶりの照り焼きとか、ほうれんそうのおひたしとかバランスの取れた家庭的なメニューで、出産前にほっと一息"母の味"。

その後は時より、助産婦さんが入れ替わり立ち代りやってきて、様子を聞いてくれる。羊水は赤ちゃんが下に降りてくると、頭で蓋をされるため、流出がとまるそうだが、まだまだとどまる気配は見せず、ちょっとずつで続ける。

昼食後は、陣痛らしきものもまだまだ気配すらなく、これから先が流そうなので『2時ピタ!』でジャニーズを見てから、少し寝ようと思ったけれど、Mちゃんが急遽病院まで駆けつけ、退屈している私の相手をしてくれることに。その時点では、母にはゆっくり来ていいよ、と伝えてあったので、いつ来るかわからないし、Mちゃんに陣痛に備えてお茶となにか甘いものを買ってきてもらう。

15時過ぎ、Mちゃんかと思ったら、母が思ったよりも早くに病院に到着。それと前後して、Mちゃんも到着して、一気に病室は賑やかに。お調子者の母は、娘の友達を前にして、自らの子育て武勇伝を語り出す(幼稚園のお弁当にマクドナルドのセットを詰めて持たせたとか)。

17:00ごろから、なんとなく弱い陣痛らしきものを感じるようになるが、まだまだお腹をこわして下痢で瀕死の状態になっているときのほうが遥かに苦しい程度。羊水にも血液が混じった、いわゆる"おしるし"を確認するようになり、トイレで密かに「これがおしるしか~!」と感動。おしるしは、赤ちゃんが下に降りてくる際に、子宮壁とかの摩擦によって出血する現象。確実に出産は近づいてきている証拠だ。

Mちゃんが帰った後は、母と二人で病室で記念写真を撮ったりする。ベッドで陣痛に苦しんでいるふうの写真や、病室でなぜかすまし顔の母の写真など。これがあと数時間で人の親になろうという人間と、その親の姿。そのころ、ジェダイは胎内で必死に自らの誕生に向け、力を振り絞っていたというのに。

19:00過ぎ、母親も自宅に引き上げ、病室でひとりになった。羊水の流出もまだまだ止まらず続いていて、助産婦さんからは「まだまだ赤ちゃんが下に降りてきていないわよ」と、長期戦を宣告される。

それでも次第に陣痛は間隔も狭まり、強さも少しずつ増してきていて、21時過ぎにはトイレにやたら篭るようになる。私が体感した陣痛は、ホント、生理痛の延長線にあるようなものでもあり、下痢でどうしようもない症状とも似ていて、トイレに座っていると、なんとなく精神的に安心するのだ。それからしばらくはトイレとベッドを行ったり来たりしていて、途中、様子を伺いに来た助産婦さんに「トイレにずっと居たら体力も消耗するからベッドに横になってなくちゃダメよ」と、強制送還される。ちなみにこの時点で、助産婦さんは昼間に自己紹介された若い助産婦さんではなく、東北訛りの年老いた助産婦さんに交代。「私、夜の助産婦です」とはじめに自己紹介され、なんだか風俗みたいで猥褻なその響きが強く印象に残った(「夜のお菓子・春華堂『うなぎパイ』並みの意味不明さだ)。

そのころから、ちょっともうこれからはmixiの書き込みは無理だなぁと感じ、最後に「これからちょっと限界です」と一言書き込もうかと思ったけれど、すぐにまたトイレに駆け込みたい気分になったりしてるうちに、深い夜へと突入してしまった。

ジェダイ誕生物語 ~入院へ~

事前に行き先は示してあったけれど、タクシーの運転手は目的地付近で道を通り過ぎたりして、ちょっと大回りされて病院まで辿り着いた。 破水した妊婦を乗せて道を間違えて焦る運転手に「あ、そんな一分一刻を争う状況じゃないので、慌てないでいいですよ。それより安全運転でお願いします」と冷静にのたまう。

8時40分ごろ、病院前到着。
診療時間は9時からなので、門が開いておらず、タクシーの中から再度病院に電話を入れる。しばらくすると受付の職員が出てきて、開錠。けれど、そのまま待っていてくれるわけでもなく、その人はそそくさと中へ引っ込む。

いつものように受付で母子手帳と診察券を提出し、トイレで尿を採取し提出した後、すぐに診察室に呼ばれる。いつものように子宮内の超音波や触診などの診察を終え、先生に「破水ってことで間違いないです。ご入院になります」と告げられる。本人的には、あれだけ尋常でない水が流れ、においも羊水そのものだし、100%破水に違いないとわかっていたけれど、なかには尿漏れを破水と勘違いして病院へ駆けつける妊婦さんも多いらしい。

診察の結果は「羊水もきれいですし、まだたっぷりとありますので、これから陣痛を待って出産ということになるかと思います」と説明を受ける。そして二日前の検診では、胎児の推定体重は2600グラムだったので「多分2500グラム前後でお生まれになると思いますが、ギリギリ未熟児というわけではないので、問題ないでしょう」と言われる。さらに子宮口の状態も2日前と同じ状況で、まだ閉じたままだそうだ。

診察を終えると、次は入院の準備へと引き渡され、そのまま上階の病棟へ案内される。本来、出産で入院する妊婦さんの病室は2回に用意されているのだけれど、まだ部屋が開いていないらしく、いったんは3階にある、それ以外の患者さんのための病室へ連れて行かれる。それからすぐに病院着に着替えさせられ、下着やら衛星用品やらの"入院セット"を受け取る。分娩までは、羊水対策におむつのような大き目のナプキンを当て、用を足した際は毎回消毒剤の染み込んだガーゼで殺菌を行う。破水した場合は、感染症に注意しなければならないので、シャワーを浴びたりするのは厳禁だ。

1時間ほどして、出産妊婦用の病室が開き、2階への部屋へ移動。3階の部屋も結構広かったけれど、こちらはさらに広い。バス・トイレ付の個室で、30平米ほど。ベッド以外は、まるでホテルのような設備だ。

その後、助産婦さんがやってきて、胎児の心音を図る機械を取り付けられ、30分から40分ほど身動きが取れない状態に。規則正しくリズミカルに刻む、胎内からの鼓動に静かに耳を傾け、昼食の配膳を待つ。

ジェダイ誕生物語~それは突然に~

その瞬間は8月30日の朝に訪れた。

5時半ごろ目が覚め、トイレへ行こうと立ち上がろうとしたとき、軽い尿漏れのような感覚があった。でも妊娠後期は膀胱が圧迫され、そういった症状があったりもするので、寝ぼけ眼でそのままトイレへ行った。そして用を足し、立ち上がったその瞬間、チョロチョロと水のようなものが流れてきた。

明らかに尿とは違うのは、身体に力を入れてもそれを自分で止めることができない。それが"破水"であるということは、事前に頭に仕入れていた。その瞬間、「まさか……」と、破水を信じたくない自分。でも一歩前へ進むごとに、液体は股の間から流れてくる。そして青臭い匂い。これは紛れもなく"破水"であると認識した。

その瞬間、頭を駆け巡ったのは「もう妊婦生活が終わってしまうのか……」という残念な気持ち。まるで学生生活が終わる前のような。いや、長かった夏休みが終わるような。

破水をすれば、少なくとも3日以内には出産になる。お腹の羊水がなくなってしまえば、胎児は生きられなくなるので、たとえ陣痛がこなくても、胎児を生まれさせなければならない。

気を落ち着けて、まずは病院に連絡をしようとするのだが、ケータイにメモリーしておいた、病院の電話番号がなかなか押せず、私なりに多少動揺していた。

電話に出たのは、主治医ではなく男性の医師。多分、いつも診てもらっている女医の先生の旦那さん。

破水後はどれぐらいの時間を急ぐのかという知識が事前になかったので、一刻を争うものではないかと心配したけれど、「8:30にご入院の用意をもって病院へ来てください」と落ち着いた声で言われ、瞬時に「あ、そんなに緊急ってわけではないのだな」と認識。「これから病院へ行くまではどうしていればいいのですか?」ということを割と冷静に訊ね、「安静にして羊水がなるべく流れないようにしてください」とのアドバイスを受ける。さらに「今後の展開については?」という質問に対しては「通常は24時間以内に陣痛が始まります」とのことだった。

というわけで、とりあえず6時をまわった時点で実家に連絡を入れ、病院での診察後に再度連絡をするので、いつでも上京できるように待機しておいてほしい旨を伝える。

入院の仕度は、前週の時点でとりあえず揃えたものだけ、まとめて非常袋のようにいつでも持ち出せるように用意はしてあった。だけど、前開きパジャマ1着(1着は友達からいただいたものが用意してあった)と、授乳用ブラジャーだけは結局間に合わなかった。

それからタクシーの手配をするが、控えてあった一件目のタクシー会社は営業時間外らしく、つながらなかった。それからネットで24時間受付の個人タクシー協業組合に電話してみるが、「無線で呼び出してみたんですけれど、お車を見つけることができませんでした」と言われる。事前に「あの、妊婦で急に病院に行かなければならなくなって」と言っていた後だったので、タクシー会社にしてみれば、妊婦だろうがなんだろうが、ただの顧客のひとり。当たり前だけど、救急車ではないんだなって、なんとなくむなしさを感じた。3件目は、うちから目と鼻の先にあるタクシー会社。もとは運送会社なので、見た感じ車の台数も少なそうだし……という理由で、リストの3番目にしていたのだけれど、ここがいちばん親切な対応だった。7:00すぎに電話したらつながって、「運転手が8時からの出社なんで、すぐにはお車出せないんですよ」と言われたけれど、うちから病院までは車で10分もあればたどり着くので「病院へは8:30に着くのでその10分前に迎えに来てもらえば構いませんので」というと、快く応対してくれ、自宅前に到着したらケータイに電話で知らせてくれるように計らってくれた。

それから1時間程度。時にmixiに書き込みをしたりしながら、短いようで長い時間を過ごす。

不意に「今から入院ってことになると、絶対朝ごはんは出ない!」と思い、台所にあった残り物のごはんでおにぎりを握り、ついでにお茶を用意してペットボトルに詰める。冷蔵庫を開けてみると、その日が賞味期限のステーキが入っていたので、焼いて食べてスタミナつけてから病院へ行こうかと思ったけれど、おにぎりなら横になりながらでもつくれるけれど、肉を焼くのは立ちながらでないとできないので、なくなく諦める。

それから「そういや、昨夜洗濯機まわしたまま干さずに寝ちゃった」ってことを思い出し、洗濯物を干す。

とはいえ、羊水は立っていればどんどん出てくる。これらの行為をいかに動きを最小限に効率よくやるかが秘訣だ。

妊娠中、パソコンはソファに横になりながらでもタイプできるようにマスターした。これが最後まで役に立って、mixi上に書き込みを続けながら、破水生活を送ることができた。

とはいえ、動くたびに羊水は漏れ続け、家の中はもう水溜りだらけだ。おまけに羊水は臭い。たとえて言うなら、草の汁のような青臭いにおい。

妊娠中は、万が一突然の破水に備えて、外出の際はいつでも生理用ナプキンを持ち歩いていたけれど、そんな程度じゃ流れ出る羊水の量にはとても追いつかない。

前日に産院に見舞ったNさんに「破水しちゃいましたー」とメールを打つと、「ナプキンは二枚重ねにしてね」とアドバイスを受け、これが結構役に立った。

mixiでの自宅からの最後の書き込みを追え、PCの電源を落とし、PCを母親に持ってきてもらえるようにバッグに整理して、着替えをして腰にバスタオルを巻いた状態で、迎えに来たタクシーへ乗り込む。

8月30日8時20分、いざ出陣。

jeudi, septembre 28, 2006

ジェダイ誕生物語 ~前夜祭~

ジェダイ誕生の前日は、まずは午後から表参道へ。3日前に出産した先輩同僚のお見舞いと赤ちゃんをその後訪問するため、まずはお祝いのお買い物へ。前日の37週1日目の検診では、既にジェダイの推定体重は2600グラム。37週からは正期産になるため、もういつ産まれても問題はないのだけれど、その時点での診断はまだ子宮口も閉じており、急に破水ということがない限り、出産は予定日前後になるだろうとのこと。

というわけで、適度な運動も必要なことだし、晴れて久々に街でお買い物。目的のお店で出産祝いを買った後、久しぶりのお出掛けなので、やはり少しショッピングもしたくなり、表参道ヒルズを少しうろついて、南海キャンディーズのしずちゃんの等身大人形を見たりして(あまりにしょぼかったから写真を摂るのはやめたけど)、原宿から新宿経由で京王線の代田橋へ。渡仏前に住んでいた隣駅なので、懐かしい景色を眺めながら、Nさんと赤ちゃんが入院中の産院に到着。昔の同僚であるパパにも会うことができ、生まれたばかりの赤ちゃんとご対面。

実はNさんには出産の前々日に自宅まで来ていただき、会っている。その時点で、目の前に居る赤ちゃんはまだNさんの大きな(!)お腹の中だったのに、こうして目の前に誕生した新たな命の存在にとても不思議な気分になる。

無痛分娩を希望したNさんは、病院側の方針とお腹の中の赤ちゃんの成長具合いで、予定日より2週間早い計画出産となった。産まれてきた赤ちゃんは、推定体重より少し少なかったけれど、ごくごく標準的な大きさで、パパとママの両方に似た、新生児の割りに皺とかが少ないキレイな女の子だった。

Nさんからは、分娩にあたっていろいろなアドバイスをいただく。無痛でも結構痛かったらしく、しきりに無痛分娩を勧められた。とはいえ、二時間足らずの安産だったそうで、その恩恵にたっぷりあやかってその場を後にする。

その後は新宿で、イラストレーターのKさんと久々の再会。帰国して少し落ち着いたら連絡しようと思っていたのだけれど、その後私のほうが妊娠が急にわかってバタバタしているうちに、Kさんのほうから連絡があった。日本に帰ってきていることは報告していなかったけれど「なんか日本に帰ってきてる気がしたんだよね」って。さすがに「なんか妊娠してる気がしたんだよね」は、なかったそうだが。

3歳の男の子のパパであるKさんからも、男性目線でいろいろとアドバイスをいただく。私の場合、今後どうなるかはわからないけれど、とりあえず当面はママでありながらパパの役割もしなければならないから、とても参考になる。

そして、その後は九段下のA社へ。Kさんとの話が思ったよりも長くなってしまい、辿り着いたのは結局20:00過ぎだった。ところが到着すると、編集部は全体会議で蛻の殻状態。聞けば、最近は企画会議が全員で行うことになったらしく、終了は下手をすれば23時をまわってしまうこともあるとのこと。待つかどうか、どうしようかなぁと迷ったけれど、席に居たデザイナーさんたちに相手をしてもらったり、バックナンバーを読んだりしているうちに結構な時間になり、せっかく来たのだからどうせもう遅い時間には違いないし、みんなが戻ってくるまで結局待つことにした。

編集部のみなさんが会議から戻ってきたのは、結局23時をまわっていた。終電まであまり時間はなくなっていたので、ゆっくりとはできなかったけれど、それでもやっぱり皆に会えてよかったと思った。日本に帰ってきて、また一緒にお仕事をさせてもらうようになって、ようやくこれからというときに妊娠がわかって、結局そのまま産休というかたちになってしまった。志が高くなって、これからまた頑張ろうと思っていた矢先で、なによりまたみなさんに会えなくなってしまったことがとても残念だったから、出産前に一度挨拶に行きたいなぁとずっと思っていた。心配してくれていた人や気に掛けてくれた人も居て、そういう人たちに元気な姿を見せたいと思っていた。

そしてバックナンバーをどっさり抱えて、結局三田線は終電一本前。家に着いたのは午前1:00前だった。それからトルコへ旅行中のロンドンの編集者YさんとMSNで連絡が取れたので、ちょっとした連絡事項をメッセージしたりして、2時過ぎに就寝。

一日動き回った割には、それほど疲れてはいなくて、逆にほどよい疲れが気分よく眠りの世界へ誘ってくれる感じ。久々にしっかり運動したせいか、ジェダイもお腹の中でいつもよりよく動いている気がした。

Et après...

『そしてその後……』

この場を突然に放置して、一ヶ月以上。
その間、ジェダイ誕生の予定日も超過して10日以上経った今、このブログをどう扱うべきかしばらく考えていた。というのも、友人のみに公開している、SNS上のもうひとつの日記のほうはその間もどんどん更新していて、見ている人もこちらのブログと相当数がかぶってしまうから。こちらをそのままフェードアウトしてもいいのかと思っていたけれど、それでも毎日数件のアクセスが相変わらず続いていることを知って、やっぱりちゃんとした区切りをこちらのほうでもつけるべきだと考えた。

このブログの最終投稿日の6日後、突然破水。その翌日の8月31日午前3時32分、ジェダイが誕生した。母子ともに健康。結局、予定日よりも3週間弱も早く、37週に入るや否や早産ギリギリでの出産にもかかわらず、ジェダイは体重3132グラム、身長51センチの立派な男の子。

そして今やジェダイは“瑠碧”として、毎日すくすくと生きている。


以降、別の日記からの転載になるけれど、ここを留守にしていた間の出来事をしばらく投稿していこうと思う。

jeudi, août 24, 2006

Le dernier moment.

『ラストモーメント』

ここのところ体調もよく、出産時の体力づくりと気分転換のために外へ出て散歩がてらに近所を徘徊したり、かなりアクティブに動いていて、そのせいで夜は疲れて昏々と眠ってしまうのでここの更新が遅れてしまう。昨日の朝なんて、前夜8時には寝てしまい、そのままずーっと朝4:00ごろには目覚めてしまい、完全に時差ボケの状態。それでもここのところは、ずっと家でじっと横になって過ごしていたのもあり、夜寝ていてもそんなに深い眠りではなく、だいたい2時間おきに目覚めたりで断続的な眠りが続いていたので、寝起きの気分が随分違う。どっちがいいとか悪いとか、楽とか辛いとかという優劣ではないのだけれど、今まで通してみても、妊娠中というのは(私にとってはその自覚がないときも。今にして思えばという感じで)睡眠の状態がいろいろ変化するので面白い。そしてきっとそれは、赤ちゃんの成長に必要な変化なんだろうと思う。

というわけで昨今は順調に過ごしていたのだけれど、今朝になってまたちょっとした変化を感じた。朝起きてしばらくして空腹時のような気分の悪さを感じたので、パンとかを適当につまんだり、冷たいハーブティーを飲んだりしてみたのだけれど、あまり気分がすっきりとしない。それでいて、腰にどーんとしたような重い痛み。久々に思い出した生理痛のような感覚。あぁひょっとしたら前駆陣痛ってやつかもしれない。明らかにこれまでの体調不良の状態とは違って、骨格に来ている感じ。足の付け根や恥骨、骨盤のあたりに痛みも感じる。それから軽い吐き気も時々あって、今日は食欲があまりない。これまでは栄養を摂取し、成長することに一生懸命だったジェダイだけど、遂に外に出るための最終準備に入ったのだという気がして、分娩の心構えをと友達にもらった『お産本番のすべてがわかる本』というのをじっくり読んでみると、"出産には重力を多いに利用すべし"みたいなことがしきりに書かれていて、興味本位に潮の干潮を調べてみたら、なんと今日は新月にあたる。まぁ世の中、毎日にどこかで多くの生命が誕生しているのだから、かならずしもそれに左右されるとは限らないけれど、少なからず月の引力が影響しているのだろうと思うと、大変興味深い。ちなみに次回大潮は9月8日、その次が22日。予定日を挟むそのあたりでまたなにか変化があるかどうかをちょっと意識しておこう。

それからここ数日、常時悩まされているのは、手のひらと足の裏の浮腫み。足のほうは外で歩くようになってからかなりマシにはなったけれど、靴がきつくて履きづらくなったし、地面と接するとなんだか間に一枚板みたいなのがある感覚だ。掌のほうの浮腫みはちょっとひどくなってくる一方で、見た目も明らかに変わった。グーに握るのがちょっと困難で、握力がないのでものが握れず、やたら物を落とす。そしてついに今朝からは各指の先端が豆ができたみたいに硬くなって、パソコンのキーをタイプするときにちょっと痛い。妊娠後期に心配される中毒症の検査のため、病院ではふくらはぎの浮腫みを検査するけれど、そちらは特に問題がない。お腹まわりのうっ血状態は収まったけれど、今度は違うところに血液の循環の変化が出始めているのか、黄体ホルモンの増加に伴う体内変化の症状のひとつだろうとは思う。

実は昨日は、同じく妊婦の編集部の先輩同僚が遊びに来てくれた。日本に帰ってきて、会社で7月初めまで隣に並んで仕事をしていた仲間だけれど(結局、とても短い期間になってしまったのだが)、自分より出産予定が一週ちょっと早く、しかも私なんかより全然大きなお腹を抱えながら、つい最近まで通勤していた彼女。出産経験は二人目とはいえ、「すごいな~。でもホントに大丈夫なのかな?」と常に気にはなっていたけれど、ギリギリまで頑張っている彼女になかなかゆっくり会いたくても会えなくて、今どうなんだろうか? と思っていた矢先に連絡をもらった。するとなんと出産日が急に早まることになり、入院前にぜひ会おうとのこと。しかももう間もなく出産だというのに、うちまで来てくれるという。既に陣痛もあるっていうから、ホントに大丈夫なのかとかとても心配だったけれど、私も周りがとても気を遣ってくれたり、心配されたりするけれど、彼女とほぼ同じ週数でホントに無理なときやヤバイときっていうのは絶対に出掛けたり、無理する気にはなれないものだし、自分が大丈夫だと思えるときはたいがい問題がないのでなんとなくそのへんはわかるし、新居へも結局訪問してもらっていないし……ということで、お言葉に甘えて自宅まで来てもらうことに。

駅に彼女を迎えに行って、さらにお腹が大きくなっている彼女に「あぁ私も急激にお腹が大きくなったけど、まだまだだな~」って思いつつ、やっぱり臨月妊婦が二人並ぶと結構迫力があるもの。でも訊いてみると、結局現時点での体重増加は同じだし、お腹の赤ちゃんの大きさは彼女のほうが大きいし、ホント、こういうのは一概にはわからないものだと改めて実感。だから目安としていろいろ書いてあるけれど、結構幅があるのは結局、お母さん自体のもともとの身長や体重だって違うのだから、あくまで平均というのでしかないっていうのは、こういうことなんだなって思った。だいたいよく考えたら、結果から言ってママだって生まれてくる赤ちゃんのほうだって千差万別なんだから、みんな同じだったらある意味気持ち悪い。

要するに、そんな状況ながらお腹が大きいというのは羊水の量が多いということらしい。でもふつうに考えたら、そのほうが母体が辛いような気がするのだけれど、彼女の足取りは私なんかよりずっと軽い。私なんて、話しながら歩いていると息切れもするし、歩きにくいし……だけれど、さすがはついこないだまで通勤していた妊婦と家で寝て過ごす毎日だった妊婦の差なのだろうか、でもやっぱりもともとの我慢強さの違いもあるだろうけれど、それだけ順調だったということで素晴らしいなぁと思った。

実を言うと、前々日は母親学級に出席した。3回あるうちの2回目は、体調が優れなかったのと、内容も妊婦の栄養管理教室という、当時臨月間近な私にとっては今さら感もあったので欠席。でも今回は、赤ちゃんの沐浴と3,4ヶ月前に出産経験をした新米ママたちとの交流会だったので参加することにした。でも実を言うと、前回欠席しているのと、お盆でちょっと時間が空いた間に結構参加者どうしの交流が進んでいるようで、しかも既に臨月に入り妊娠ステージが進んでいる私とはちょっと共感する点も異なっていたりで、なんとなくその輪の中にうまく入っていけない感じが正直あった。さらに沐浴の実技のときは、手が浮腫んで人形の赤ちゃんの服のスナップを止めたり外したりするだけでも手間取ってしまう状況で、他の人よりもどうしてもうまくできず、感想を聞かれても「もう嫌になりました」とつい口走ったり、大人げない自分が嫌になったり、新米ママ&赤ちゃんとの交流会でも「抱いてみます?」と言われて、みんな赤ちゃんを抱かせてもらったりしているなかで、手も動かなくて他人の赤ちゃんを落っことしてしまったらなにより大変だという気持ちと、よく知りもしない人の赤ちゃんに全然興味がわかなくて、なんとなくやっぱり自分は他の人より母性本能が低いのではないかと考えてしまったり、目の前の実際の赤ちゃんを見れば、数週間先の自分の姿に実感がわくのかと思っていたのとは間逆の反応でがっかりしたり……とちょっとへこんでしまった。

それでも面白かったのが、会場で響きわたる赤ちゃんの鳴き声にジェダイがものすごく反応して激しく動いていたことだった。ひょっとしたら、私が他の人の赤ちゃんに興味がわかなかったのは、ジェダイがジェラシーを感じていたのもしれないと思うのは、思い過ごしだろうか。

でも昨日は旧知の友人に会って、やっぱり彼女の話や赤ちゃんにはとても興味があるし、彼女が出産したらすぐにでも会いに行きたいと思った。そして彼女のほうも私のそういう気持ちを共感してくれて、とても安心した。母親学級では「あぁ子供が同級生という結びつきだけで、ジェダイのためには受け入れがたい人間関係の中にもこれからは入っていかないといけないのかぁ……」とちょっと気が滅入る思いだったのだけれど、「あぁそうか、別に無理してつきあわなくてもいいんだ。気の合う人と基本的にはこれまでどおりのスタンスでも。まぁ時にジェダイのために多少の"演技"は必要かもしれないけど」と思えて、とても気が軽くなった。やっぱりもともと友達で、さらに同じ年の子供が居てっていう、二つの点での結びつきがある友達ってすごくありがたいし、大事だなって思う。

そんなわけで昨夜は、前から気になっていた駅前のインドカレー屋で遅くまで彼女と食事をしながら、とても楽しいひとときを過ごす。

でも次会うときには、目の前のお腹の中の赤ちゃんはもうこの世に生を受けているんだなって思うと、本当に不思議で、言いようのない神秘を感じる。

「お互い頑張ろうね!」

最後はそんなふうに声を掛け合って、駅で最後の彼女の妊婦姿を見送った。
この次は彼女の元気でかわいい赤ちゃんに会えることを楽しみに。

mardi, août 22, 2006

Ouvrez la cage aux oiseaux.

『鳥かごを放って』

昨日は久々の定期健診。妊娠6ヶ月から9ヶ月までの間は、通常2週間に一度の検診なのだけれど、先週がお盆休みだったので、約3週弱ぶり。今までは木曜に予約を入れるペースだったのだけれど、その3週の間に臨月にも入ることだし、心配なので病院がお盆休みが開けてすぐの月曜の午前中に予約を取っておいた。

診断の結果は万事良好。ここのところ私自身の体調はいいのだけれど、果たして胎児の状態がどうなのかとかそういったことはやはり医師の判断を仰がなければわからない。前回は減っていた体重も、今回は3週間足らずで+2キロ。この時期にこのペースはどうなのかと思っていたのだけれど、先生には「やっと増えてきましたねぇ~」と言われて安心。前に母親教室に来た助産婦さんの話では、「+8キロぐらいが安産にはベスト」との話だったけれど、これももともとの体型があるので個人差がある。私の場合、現時点でちょうど+8キロなのだけれど、痩せ型の人は+9~12キロが標準だとだいたいの妊婦マニュアルには書いてある。そしてジェダイの推定体重は2.5キロ。先生によると、これも36週でまさに標準値。羊水の量もちょうどよく、子宮口も閉じた状態ながら、柔らかくはなってきており、この週数としては理想的な状態だとお褒めの言葉をいただいた。それにしても現在、胎児+羊水だけでだいたい4キロ程度あるらしい。遂にノートPCをお腹に2台ぶら下げるよりも重くなってしまったということだ。

心配していた血圧も最高値はまだお腹も大して大きくなかった初診時の値に戻った。これは自分でもよくわかる。最近は起き上がるときにめまいがすることもなく、ものすごく軽快に起き上がれる。あとは一時は胎盤が低くて自然分娩が難しいと言われながら妊娠後期のたった2週で解消され(これは当時おそらくあまりお腹が大きくなっていなかったことが幸いしたようだ)、今後また位置が下がるという心配はないらしく、ひと安心。子宮の張り止めの薬ももう飲まなくてもいい。

これからは検診も週1回となり、子宮口の具合をしっかり診るようになるので、触診もちょっと痛く感じた。超音波検査では、相変わらずジェダイは背中のほうを向いていて、なかなか顔を見せてくれない。親心に内心「あぁ、パパもママも天邪鬼だからなぁ~」と思っていたけれど、先生曰く「恥ずかしがりやさんみたいですね」って、あぁホントに"ものは言い様だなぁ"と思った。それから「赤ちゃん、すごくよく動くでしょ?」と言われ、あぁ診察中に第三者からもわかるぐらいに動いているんだなぁと、落ち着きのない我が子にちょっと赤面。臨月に入ると、骨盤に頭が固定されてくるのであまり動かなくなるとは言うけれど、そんな一般論は我らが母子には適用しない。でも胎児が苦しくて動くということはないらしいので、どんなに暴れても問題ないらしい。

そんなわけで久しぶりの検診で、昨日まではとりあえず慎重にとなるべく静かに自分を抑えて込んできたけれど、これからはやはりじっとしているだけというのも、今度は逆に遅産になってしまうので、多少出産を促すような適度な運動が必要。気候にもよるけれど、自分が「しんどいな……」と感じない程度を目安に、散歩や出掛けたりしても大丈夫。

そんなわけで、帰りはとても気楽になって、軽い足取りでいつもとは一本違う道を通って、家まで帰ってみた。そういえば、5月の半ばにこのあたりに引越してきて、バタバタしていて街探検もまだまだだったけど、このあたりは本当に公園や緑がいっぱい。ジェダイが無事産まれて、一ヶ月間は実家で両親の世話になりつつ過ごすつもりだけど、それからまた東京へ戻ってきたら、ちょうど気候もいいころで、ベビーカーで一緒に外を散歩したりするのがちょっと楽しみ。

実は昨日はちょうど日付が変わったころ、ジェダイパパからメールが届いた。2週間以上、MSNでも見かけなかったし、バカンスでフランスにでも帰っているのかとか、いろいろとやきもきしていたのだけれど(実はそのせいもあってちょっといろんな気力が低下していた)、別に大したことは書いてないのだけれど、鬱蒼としていた濃霧が晴れて、ただ単に安心したとか嬉しいとか、そういうシンプルな気持ちでは言い表せないのだけれど、とりあえず今彼がどうしているのか、それからまだちゃんと私と、そしてジェダイともつながっていてくれることがわかって涙が溢れた。妊娠がわかってすぐに彼にそのことを報告したけれども、やはりこの半年という時間的距離、空間的距離によって遠くに隔てられた私たち。その後もお互い何を話し合っていいのかわからずに、どちらかと言うと彼からは責められる一方で、ジェダイと自分の身体のためにその現実に向き合うことを一時は避けていた私。でもそんな彼が初めて「身体に気をつけて」と言ってくれたこと、妊婦に対するそんな当たり前の一言でさえも私にとってはとても重い重い言葉なのだ。

彼は今、テルアビブに移り、おそらくネット環境がまだ整っていないようだ。エルサレムでの語学教育期間が終わり、とりあえず働き始めたらしい。大した暮らしではないけれど、だんだんとよくなるだろうと、とても前向きなコメントで安心した。なにより、とりあえずレバノンとの停戦協議には応じたけれども、常に火薬庫のそばで生活をしているような土地に暮らす彼が無事で元気であるというのがいちばんのこと。生きている限り、なんだってできるんだから。

前日には、リール時代からの韓国人の友達から突然電話がかかってきた。今中国に滞在していて、東京経由でフランスに渡るため、9月か10月に会いに行くのでどちらが私にとって都合がいいかを訊ねてきた。

ジェダイの名前の候補も男女の場合のリスト(漢字名はまだ決めてないけど)をリールの叔父に送って意見を聞いたり、出産の入院準備グッズもとりあえず揃えたぶんだけ袋にまとめてみたり(まだ揃えていないのか……と言われそうだが。いわんやベビー用品も結局まだひとつも買ってないし)。

昨日病院からの帰り道や、夕方買い物に出掛けて思ったことは、これからはできるだけ幸せな気持ちで出産までを過ごそうということ。ショックで寝込んでしまい、その後も鬱状態でたまに病院通いをしている母のほうも、電話口ではかなりポジティブになってきた様子でジェダイとの対面がだんだん楽しみになってきた感じ。

そして産まれてきてからも、ジェダイ自身が幸せであることはもちろん、周囲にたくさんの幸福をもたらすようなそんな存在になってくれることを願うばかりだ。

dimanche, août 20, 2006

Je t'ai vu en songe.

『キミを夢で見た』

しばらく更新を怠っていると、見守ってくれている友人、知人たちが心配してメールや電話をくれたりしてありがたい気持ちとともに申し訳ない気持ち。けれどここ最近は決して体調が悪いわけではなく、むしろ楽になり、それが逆に心配になるほど。

数日前に既に臨月に入った。妊娠36週から41週は"正期産"と呼ばれ、いつ出産しても問題がない。この時期に入るまでの出産は早産になり、まだ胎児の心肺機能が未完成で現代医療ではそれほど問題がなく育つのだが、やはり新生児の負担は大きい。とりあえず"母体の中で赤ちゃんを十分に育てる"というこれまでの任務はクリアー。あとはいよいよ出産という大一番に備えるのだが、それはまた正直不安でもある。とはいえ、私にとってのこの不安というのは、決して「産みの苦しみに耐えられるか?」という次元のものではない。そんなものは一過性のものでもあるし、それと引き換えに得られる喜びを思うと、甘んじて受け入れようと思う。それよりも分娩時に胎児の側が苦しまずに無事に産道を通って出てきてくれるかということ。例えばつい先日にも、杓子分娩で引き出された新生児が頭蓋骨骨折で死亡したとか、医療ミスによる悲しいニュースを耳にした。医療事故ではなくても、分娩時に胎児が酸素不足になってその後障害が残ってしまった例やさまざまなリスクも考えられる。

これまでは大きな問題もなく、なんとか乗り越え、わかる範囲での診察の結果も問題はなさそう。だけど本当に産まれてくるまで最後までわからない。なんだかそんなことを考えたりしながら、ここ数日は大したこともせず、首都のはずれで残暑を静かに過ごす生活。もう完全にジェダイは下のほうにおりてきて、徐々に胎盤に頭が納まった感じで、以前のような暴れまわるような胎動は感じられなくなった。それでも相変わらず胎動は力強く、口から飛び出してくるのではないかという勢いで、そのせいでたまに息苦しくなったりもする。それに明らかに肘や膝が当たる感覚があって、ちょっと痛い。先日などは、しゃっくりをする動きが大きくて、起こされてしまったほどだ。

お腹の大きさの成長は、一時としたら峠を越した感じ。異常なまでの食欲も治まり、ふつうのペースに戻った。ただじっとしているせいで、体力の低下は歴然とし、ちょっと歩いただけで疲れるし、その後手足のむくみを感じる。とはいえ、妊娠中期あたりからひどいむくみに悩まされる妊婦さんも多く、私の場合、多分、ホルモンバランスの変化というよりも、筋力の低下のせいが大きいような気がする。次の検診で医師の判断を仰ぎ、これからはできる範囲で運動不足を解消していかなければ今の状態じゃ、出産時、産後の体力にかなりの不安が残る。

そんなことを考えていたら、先日はちょっとおかしな夢を見た。寝ている間、気づかぬうちに出産を終えているという夢。目が覚めたとき、すぐには夢と現実の区別がつかずとても変な感覚だった。ちなみにジェダイは男の子で、出産後に意識を取り戻したとき、既に両親が「健太」という名前をつけていた(産後、自分がそれくらい長い間目覚めなかったというオチなのだが)。そして生後間もないというのに、既に一人座りをしてママの目覚めを待っているという、ウルトラBか天才バカボンのはじめちゃんのような赤ん坊であった。

我ながら奇想天外な夢。でも現実のほうが、それ以上に奇想天外だって言われそうだけど。

昨日は、片付きそうで片付かなかった今日締め切りの一本がとりあえず終わった。着手しようと思えばいつでもできたはずなのに、結局はこんなふうにギリギリになってしまう。

mardi, août 15, 2006

Une belle promenade d'après-midi.

『ある美しき午後の散歩』

昨日は都内は朝から大停電。幸い私の住む区は異なる電気系統下にあるようで、一切の被害なし。まぁ今回の停電はバックアップも無意味になってしまうような、ある種"想定外"の人為的事故が原因だったのだけれど、電気ひとつでこれだけ麻痺してしまう、電力依存な首都機能を思い知ったという感じ。それにしても、暑さでエレベーターに閉じ込められたりしただけでも命取りになりかねない状況、信号機が作動しなくなり交通事故だって起こりかねない状況、二次災害など、報道される限りでは犠牲者やけが人がなかったのが不幸中の幸い。こんなとき、外出していなくてよかったと、そういえば昨秋、パリの某駅でエレベーターに長時間閉じ込められたときのことを思い出す。あのときは明らかに重量超過によって、エレベーターがストップし、満員のエレベーターにまさに箱詰めにされたような状態で、しかも異常気象で10月末にもかかわらず高温のパリ。このまま息絶えたら嫌だなぁと思ったものだ。

そして昨日は午後から友達が遊びに来てくれた。先週も遊びに来てくれたお友達だけれど、今回はお盆休みということもあって旦那様も伴って。しかし夫婦揃って来てくれるとは思っていなかったために、いつものように気軽に考えていて、風呂上りの髪の毛は半乾きだし、思いっきり部屋着だし……の状態で大変失礼してしまった。でもまぁ彼女のところには居候させてもらったりもしたので、まぁいまさらか……と開き直って、身汚い格好を許してもらう。

旦那さんに会うのは5月末以来のことなので、やはり改めていろいろ報告をさせてもらう。まぁ報告以前に、この変わり果てた姿を見てもらえば一目瞭然なのだが……。でもやっぱりご多分に漏れず質問されるのは、「本当につわりとかなかったの?」ってこと。どんなに鈍感なのか、それとも極度の軽症だったのか、本当に心当たりらしきものが僅かにある程度。今だってそうだけれど、食べづわりみたいなのは一切ない。そのぶん人よりうっ血によるめまいとかがひどいのかもしれないが、いろいろとネットで妊婦さんのコミュニティーなんかを覗いたりしてみても、自分は妊婦のわりにはトータルでは症状が軽いほうなのかもしれない。この調子で出産も安産であることを願うばかりだ。

だけど今自分の腹部を断面図とかで見た場合、一体どんなふうになっているのだろう? 胴体のほとんどが子宮に侵略され、血液も子宮に集中して流れている状態で、それでも一応、生きていられるように他の臓器や器官が機能しているのだから、不思議で仕方がない。そのことを話していたら、友達の旦那さんが「子持ちししゃもの状態じゃない?」って。あぁまさにそんな感じかも。子持ちししゃもって、お腹にめいっぱい卵が詰まってて、そのくせ申し訳なさそうに他の臓器がその傍らにあったりする。

帰り際、玄関先で「お腹を触ってもいい?」と訊かれ、夫婦揃ってジェダイハウスを撫でてもらう。「へぇ~、そうなのかー。めいっぱいって感じだね」って言われて、改めて自分自身も「そうなのかー」って思ったのは、確かにお腹が出ていると、ふつうなら贅肉でプルプルしているイメージ。私にしては妊娠がわかってからのもうこの1ヶ月半は当たり前のように接してきた自分のお腹だけれど、確かに改めて思うと、この硬さはまさに40センチぐらいの体長で既に2キロ以上ある人間と羊水がこの狭い空間に収められているのだ。それはまさに"子持ちししゃも"の状態であり、その大きさの人形を誤って呑み込んでしまったことを想像すればよい(そこまで不注意な人はいないだろうが)。

そう言えば、昨日ぐらいからかなり子宮の位置が下がった感があり、息苦しさがかなり楽になった。それに、うっ血状態も軽くなったせいか、ソファから軽快に起き上がることができるようになった。

いよいよなんだなー。

ふつうなら、10ヶ月とか待ちわびて待ちわびての対面なんだろうけど、私の場合は「もう出てきちゃうのかー」って、もうちょっと金庫にでも預けておきたい気分。別々の個体になってしまって、離れ離れになるのはやっぱり寂しい。こんな調子じゃ、将来、ジェダイが大きくなったとき、なかなか子離れもできなさそうだ。

lundi, août 14, 2006

Qu'y puis-je?

『What can I do?』

ここしばらくブログをお休みしていたけれど、体調はすこぶる良好。と言っても一日のほとんどを横になってテレビや映画を見て過ごし、日が傾き涼しくなってきたところで近場に買い物に出掛ける程度の生活だが。あとは毎日の炊事、洗濯、掃除。領収書、請求書の整理をぼちぼちしたり。こんなことは以前だったら、毎日仕事をしながらとても効率よく片付けていたことだけど、今は驚くほどにスローペース。あと一ヶ月前後でまた生活が一変するかと思ったら、今はこんなふうに時間を過ごすのも悪くはないかも。とはいえ、こんなペースでも案外時間というのはあっと言う間に過ぎてしまうもので、夜、気がつくと眠っていたりすると「あぁ、あれもやりたかったのに」なんて思う日々。時間もお金もホント、使い方なんだなって思う。

今朝の東京は絵に描いたような夏空。高層マンションの背後を入道雲が"植生"している様子を窓から眺める。今年の夏は思ったほどには暑くない。自宅から河原が近いせいなのか、窓を開けていると日中でも結構風が吹き込んでくる。まぁそのぶん都心はヒートアイランド現象で暑いのかもしれないが、私に限っては今年の夏は避暑をさせてもらっているような気分。

ここのところのジェダイの様子と言えば、随分大人しくなった。位置もだいぶん下がってきた感があるし、胎動も静かになった。相変わらずよく動くけれど、前のように暴れる感じではなくなり、そのぶん内側からのボディブローの力強さが増した感じ。大きくなっていい加減、もう子宮のなかで自由に動けなくなってきたのかもしれない。そう言えば、異常だった食欲もどういうわけかピタっと治まり、こないだみたいに常に何か食べていないとお腹が空くという感じでもなくなった。お腹のかたちも前に突き出るという感じから、少し横に広がり、丸くなった感じがする。

ここ数日、MSNを起ち上げていると、何人かに久々に声をかけられることがあった。それでもたいがい寝ていて気づかずに、その後に相手のほうがオフラインになってしまうことが多いのだが。先日は中国人のある友達が話しかけてきて、ほんの少しだけ話した。彼女はリール時代に知り合った友達で、私がパリに引っ越してからもパリに来るときは必ず連絡をくれたり、日本に帰る前は自宅で食事に招待してくれたりと、結構親しくしていたひとり。彼女のほうはテキスタイル系のグランゼコール(大学院学校)に3年間の交換留学でフランスに来ている学生さんなので、この夏は義務である企業でのスタージュ(研修)で忙しくしていたらしく、最近中国に帰ってきてやっとネットが使えるようになったようだ。

少し前に彼女と彼女の仲間にはメールで出産予定であることを知らせていたのだけれど、以降彼女からはまだ返事がなくて読んだかどうか不確かだったのだけれど、とりあえずそれを確認すると知っているとのこと。彼女は続けて「おめでとう」の一言を言ってくれたのだけれど、その後の会話で正直とても気分を害してしまい、申し訳ないと思いつつも「それ以上この話をあなたと議論するつもりはない」とそこで会話を止めた。

「C'est pas juste」(=It's not just)。彼女が放った言葉で私がこれ以上話を続けてもどうしようもないと思った一言。彼女はジェダイの父親を批難し、思うに私を擁護して気遣ってくれたがためにそう言ったのだろうけれど、やっぱり彼に会ったこともなく、彼のことを知りもしなくて、唐突に第三者にこんなふうに言われてしまうのはちょっと違うと思ったのだ。私自身がどう思うかというよりも、そんなふうな理解しがたい複雑な関係や状況にもかかわらず、一度だって彼をそんなふうに言ったことはない私の両親に対して、そしてジェダイに対してとても申し訳ない気持ちになったのだ。

なにより、どんなことであれ、私自身はよく知りもしないことを第三者がジャッジメントを下すことは好きではない。そして例えば友達どうしの諍いに関しても、当事者以外の第三者を巻き込むことが嫌いだし、そうやって当事者でもないのに自分がある種のグループみたいなのに取り込まれていくのも興味がない。まぁだから周囲からは「調子いい奴」とか「八方美人」とか、「ポリシーがない」とか誤解されることも多いのだけれど。それから、人をただある一面で評価すること、決め付けることもしたくはない。だいたい人間なんて、それぞれに長所短所があってしかりだし、完璧な人間なんてあり得ないのだし。それになにより、これは大人になって理解したことなのだけれど、人と人との相性ってのも存在する。ま、こういう論理はある意味、不完全な自分に対してのひとつの"excuse"でもあるのだけれど。

しかし、そんな私がもう間もなく人の親になり、ひとりの人間を教育していく立場になってしまう。私が両親から言わずもがなに教わったように(それが必ずしも我々の間で完成されているわけではないけれど)、ジェダイにもやはり"懐の深い人間"になってほしいと思う。広い視野を持ち、他人を理解しようとする志、そして自分で培った見識をもとに自分なりの判断をして、なによりそれを上手に提案できる人間。……はぁ、どの親もそんなふうに我が子に望みをかけるものなんだな。でも本当は、今いちばんに思うのは、五体満足で産まれてきてくれること。先日母も言ってたけど、「多少おバカさんでも健康であればそれで十分」。そうやってきっと我が両親も、31年前に私の誕生を心待ちにしててくれたんだね。

イスラエル、レバノンは今日、停戦の予定。そして日本は明日が終戦記念日。いろいろ思うことがあるけれど、それはまた改めて。

jeudi, août 10, 2006

La guerre entre nous?

『私たちの間の戦争って?』

昨日は友達が家に訪問してくれ、台風が過ぎ去った後、近所を長時間買い物に出掛けられるほどにまで復活。ホント、2,3日前は起き上がるのもやっとという状態で、この先出産まで乗り切られるか不安にもなったほどだったのが嘘みたいに、よくしゃべり、よく笑い、そしてよく食べた。

もちろん個人差はあると思うけど、本当にここのところ体調が読めない。それでも実は、先週末なんて友達とコンサートに出掛け、遅くまでお茶して帰ってきたぐらいだったのに。コンサートへ行くのも、友達のありがたい理解を得て、ギリギリまで判断を迷っていた。それこそ、その週のはじめはやっぱり起き上がれないほど辛い日が一日あって「このぶんだとやっぱりコンサートは無理かな」と思っていたのだけれど、その翌日にはすっかり元気になり、母親学級にも出席して20分以上歩いて帰ってきたうえにその足で近所のスーパーをウロついたり。

実を言うと、先日、妊婦用のサポーターを購入したのもコンサートに間に合わせるためというのも理由のひとつだった。でも、直前の検診の結果次第で最終的には判断しようと思っていたところ、いちばん心配された早産の傾向もほとんど解消され、なにより、ほぼ絶望的だと思っていた胎盤の位置が上がっていたということで、自ら週末のお出かけにGoサインを出したのだった。

それでもここのところ、家で安静に過ごしていることが多いこともあり、なにより2時間から2時間半というコンサート時間、しかも会場の熱狂した雰囲気、移動時間等々を考えると、やはり体力的に持ちこたえられるかがもっとも心配だった。いつもは大興奮の特殊効果による爆音や大音響、周囲の騒がしさにジェダイがびっくりしてしまわないかとか。あとはコンサート中辛くなれば、座席に座っていればいいと思うものの、メンバーが至近距離に来たときに、興奮した周囲の観客が押し寄せたりしないかとか。

そんなふうにいろいろ不安があるなかの参戦だったけど、コンサートが始まって10分後には「やっぱ来てよかった~!」って、この日に備え、一週間仕事もせずにできるだけ安静に過ごした(以後、なんとなくそのまま完全産休に入った感じに)甲斐があったと、昨夏は帰国していたにもかかわらず、残念ながらコンサートが秋になってしまって見られなかったコンサートを2年ぶりに最後まで満喫。もし妊娠してなければ、多分毎日代々木に通っていたであろう、それに名古屋、大阪までも遠征していただろうコンサートを私としては相当我慢して、この日たった一回限りにかけたけれど「やっぱ来てよかった~」と何度も実感したのだった。

そんなわけで楽しく過ごした週末。やはり相当疲れて、翌日はひたすら寝ていた。それでもその疲れは、ふだんの自分の身体の側が感じている感じで、母体として疲れている感じではなかった。で、お腹のなかできっと「なんだなんだ?」とちょっとびっくりさせてしまったジェダイのために、2日間はしっかり身体を休めてあげようとはじめから思っていたので、ひたすらゴロゴロ。

そのせいか、その二日間でまたジェダイ殿はがっつりと成長なさったようで、一段とまたお腹が大きくなり、さらに臓器が圧迫されて血液が全身に回りにくいうっ血状態となり、私のほうの身体が急には適応できなかったのかもしれない。加えて、台風が来る前でとても蒸し暑く、じっとしていても汗が出る状態。間が狭くなった胸とお腹の間に汗をたくさんかくので、それも不快で仕方がない。どんな姿勢で寝ていても息苦しいし、めまいはするしでどうしようもなく、何度も「あぁ気を失ってしまえば楽になるのに」と思ったり、いつもは愛しいジェダイの胎動でさえも疎ましく思えてくる状態にまで気力が落ち込んだ。

そして、緊張状態が続く中東情勢。こないだ一方的に近況報告のメールを送ったところなのだけれど、以来ここ数日、ネット上で彼の姿を見なくなり、やっぱり胸騒ぎがする毎日。以前、7月末でエルサレムを離れ、8月からはテルアビヴへ移ると言っていた彼。きっとすぐにはネットがつながらない状態なのか、ひょっとしたらバカンスで一度フランスに帰っているという可能性もある。でも、ヒズボラ側はイスラエルがベイルートを攻撃したら、テルアビヴにも報復を仕掛けると宣言するなど、一向に沈静化する気配を見せるどころか、いっそう本格化する現地の戦争状態の報道を見るにつけ、本当に心配でなんか急に激情してワッと泣いてしまったりすることもある。

私にとっては、いくら彼がイスラエルに居るからといって、イスラエルもレバノンも関係ない。イスラエル側で死者何人とか、毎日いろいろ報道されるけれど、そういうのって数の問題なのか?って、こういうニュースがあるといつも思う。たとえ一人しか犠牲者がなくたって、尊い命が失われたことには変わりがない。あと、民間人とか兵士とかそういうのも。そういう区別で、ひとりぶんの命の重さって変わるものなのか? もちろん、兵士は死を覚悟で戦闘に赴き、そして加害者にもなりうるという点では民間人と区別されるのだろうけれど、彼らにだって彼らの死を嘆き悲しむ家族や友人たちが居るのは同じことなのに。

だからもう、こんな悲しいことは一刻も早く止めてほしいし、終わってほしい。
互いの理屈は抜きにして。

mardi, août 08, 2006

C'était en 2006, c'est pas la fin.

『あれは2006年のこと。決して終わりではなく』

ここ3日ほど、体調が思わしくなくかなりグロッキー。精神状態が悪くて、体調までグロッキーになったことはあっても、その逆のパターンというのはそういえばほとんどない。具合が悪いと精神状態まで本当にグロッキーになってしまうものだ。それでも今日は昨日としたら、だいぶん体調はよくなった。とりあえず、心身ともにもう少し復調してきたところで、このブログも再開していくつもり。とりあえず今日は起き上がれるようになったということで、ここまで。

vendredi, août 04, 2006

Vivre dans la perpétuité et la décadence.

『永続と退廃の中に生きる』

昨日は2週間ぶりの検診。母からは「無理しちゃいけないから、もう病院までタクシー使うんだよ」と言われていたけれど、朝ウダウダしていたら呼ぶ時間がなくなって、近所の大通りで拾おうかと思っていて歩いていたら、結局病院まで辿り着いてしまった。午前中とはいえ、既に梅雨が明け、外は暑くなった。20分ほどの道のりを途中気分が悪くなったらいつでもタクシーを拾おうと、念のため、タクシーチケットを握りしめていたけれど、前回と比べたら到着したときも割と平気だった。

そんなわけで2週間ぶりの検診。ここ数日、異様にお腹が空いてどうしようもなく、しかも明らかに自分の意思に反して食欲が容赦なく襲い、食べなければめまいがしたりするから、もう欲望に任せて食べまくっていたので、絶対に体重がかなり増加していると思っていた。ところがなんと、体重計の表示は前回より減っている。あんなに食べて、この一週間は外出も控え、家で安静にして大して動いてもいないというのに。

本当にここのところの食欲は異常だ。もう体内はほとんど子宮に占有され、他の臓器は相当に圧迫されて苦しさを伴った状態なのに、一向に食欲は衰えることがない。極端なときには、苦しいくせに食べたくて、もう場合によっては寝ながら丼飯を掻き入れたりもしている。それなのに30分後にはまたお腹が鳴ったりして、本当にとどまることを知らない。

血圧も前回としたらほんのちょっと上がっていて、細菌検査の結果もすべて問題なし。そして、前回、「低地胎盤」と診断され、出産時に出血を伴う可能性が高いため、自然分娩が難しいかもと言われていたのも、胎盤の位置が上がり、自然分娩も大丈夫そうとの診断。たとえ帝王切開でも母子ともにそれがもっとも安全な方法と現代医学が判断するのであれば別に構わないと思っていたけれど、やっぱりいちばん健康な状態でジェダイを産むことができるのであればそれがベスト。「さすがジェダイ!」と心ひそかに喜ぶ。ママとしては、最後までこれまでのように、ジェダイのミラクルにすがる思いだ。

それから最後はいつものように、エコー映像で胎児の様子を確認。ジェダイの成長ぶりは、素人目にも一目瞭然。ジェダイの姿がだんだんと画面いっぱいになってきて、顔立ちもはっきりわかるようになってきた。先生によると、週数の平均値としたらジェダイはほんの少し大きめだそう。でも大きすぎず、小さすぎず、今のところちょうど大きいサイズだそうで、こればっかりは本当にお母さんのお腹の見た目の大きさとは無関係だと実感。羊水の量もちょうどいいとのことだ。そういえば、先日の母親学級のときも助産婦さんの話だと、彼女の経験値からして+8キロ以内に収めるのがベストだとか。それ以上になってしまうと、逆にお産が辛くなるとかで、人によっては最終的に+500グラムとかいう人も安産で出産したらしく、私のような例は決して特殊ではないよう。むしろ、胎児に効率よく栄養が行き渡っているということらしく、むしろ「モリモリ食べてください!」と言われる。

それにしても、ついひと月ほど前までは静かに身を潜めていたジェダイだったくせに、ものすごいラストスパートだ。先生の話では、最後の一ヶ月でさらに驚くほど成長するらしいのでちょっと先が思いやられる。私としては既にもう限界なのに。羊水も含めると、推定でお腹に4,5キロの物体をぶらさげているようなもの。さすがに地球の重力には勝てず、先日、ついに『妊婦ささえ帯』を注文。もう出産までそんなに長くはないし、買わなくていいかなと思っていたけれど、やはりほんの少しでも楽になるならと。そして今朝はその品物が届き、さっそく装着。まるでチャンピオンベルトのようなそれは、やはりそれなりに楽になり、買って政界だった。それになんとなくお腹の安定感も増して、外出時にも安心感を与えてくれるのもいい。マジックテープで調整可能なので、産後は腹巻としても使えそうだし。

そんなわけでトータルな診断としては経過良好。相変わらず血圧が低いのとお腹が張るとよくないので、あと2週間はむしろ安静に過ごしたほうがよいとのアドバイスを受ける。あと2週間というのは、臨月に入るまでの期間ということ。それ以降はもういつ産まれてきても大丈夫だということなのだ。

っていうか、あと2週間でもう臨月だなんてなんだか実感が湧かない。こないだまで妊娠している自覚さえなかったというのに、この加速的時間の経過に、めまいすら覚えてしまう。本当に60進法で時が刻まれているのだろうかと物理の法則でさえも疑ってしまう毎日だ。

でも、きっと私たちはそうやって、太古の昔から長い長い歴史を築いてきたんだ。

でも、それがこれまでと同じようにこの先いつまでも続いていくということを意味するわけではないのだ。

jeudi, août 03, 2006

Qui sait ce qui en arrivera?

『この先を知るものは誰もいない』

いつの間にか8月。レバノンへの攻撃で戦闘状態が続くイスラエルに居るジェダイのパパは、確か8月からはエルサレムからテルアヴィヴへ移ると言っていたけれど、このごろはどうしているのだろうか。MSNではオンラインになってしょっちゅう見かけるから、とりあえず元気ではいるのだろうけれど。最近は私のほうが一方的に連絡を絶ってしまっている状態。さすがにこのごろは長時間パソコンの前で座っているのも辛くなってきたのと、なにより何を話していいのか、何から話していいのかがわからない。話さずに居ることと、話すこと、どっちがストレスに感じるのかわからない。それでも彼のほうもストレスだろうから、そろそろメールだけでも書いたほうがいいのだろうけれど。前回のメールではちょっと体調がよくないことを知らせたので、とりあえず元気で居るということぐらいは。

母が帰った翌日は、うってかわって体調が悪く、朝からずっと寝てばかり居た。それでも食事は摂らなければと、なんとか台所に立つのだけれど、母を帰してしまったことを少し後悔した。でも母がそばに居れば居たで、甘えすぎてしまってよくないし、難しいところだ。

ところが、一晩明けた昨日の朝は早朝からすっきりお目覚め。午前中からお風呂にゆっくり浸かって、気分もリフレッシュ。前日はとてもじゃないけれど、シャワーを浴びる体力さえもなく、それでも汗をかいた身体がなにより気持ち悪くて仕方がなかった。それから一日寝ていたせいで、たまった台所の後片付けや洗濯、掃除などを一気に済ませた。家賃の振込みが一日遅れてしまったけれど、午前中に銀行へも行けた。やっぱり母が来ていて、助けられはしたものの、ちょっと疲れていたのかも。おしゃべり母娘だけに。私も動悸してるのに、無理してしゃべんなきゃいいのに。そう言えば、忘れていたけれど、張り止めの薬はそのあたり多少の副作用があるって説明も受けてたっけ。

そして午後からは、母親学級に初参加する。母子手帳をもらったときに案内が入ったのだけれど、そのときは「プレママ交流会とか、なんか面倒くさそうだなー。興味ねぇ~」って思ってたけど、先日の検診で「そろそろ母親学級にも行かれたほうがいいですよ」と言われ、なんとなくその気に。大学四年のときの就職活動のときもそうだったけど(結局、こちらは途中で嫌になってしまって人と同じことをしていることがバカらしくて止めてしまったが)、母親学級も妊婦でなければ参加できない、考えようによっては"特権"だ。しかも初産でなければ参加しないだろうし、この機会を逃したらこの先もうチャンスがなくなってしまうだろうし、これは"取材"だと思ってむしろ潜入すべきだろうと思った。

そんなわけで、参加意欲は高まったものの、産院で「そろそろ……」と言われた割には、スケジュールが限られている。私の住む地区の自治体の場合、全3回制で月単位で行われ、8月を逃すと次はもう予定日にかかってしまう。というわけで、既に妊娠9ヶ月の私は大慌てで予約申し込みをしなければならず、しかも8月の母親学級は最寄の保健センターでは実施されておらず、別のところに申し込むことに。

母親学級の会場となっているセンターの入り口には、マタニティーないでたちのそれらしき"お仲間さん"たちがたくさん居て、ゾロゾロ中に入っていく。その様子はある意味、"カルト教団"のセミナー。受付で母子手帳を提出し、それと引き換えに資料と住所(番地以前)と名前が書かれた名札を受け取り、会議室みたいなところへ。ざっと見渡す限り、同じ妊婦とはいえ、まだお腹が目立たない人から今にも陣痛始まってもおかしくなさそうな人までさまざまだ。 会場前方のホワイトボードには、「自己紹介:名前、住所、予定日、出産場所、受講動機」と書かれていて、明らかにその先、"自己紹介"が予定されていることを物語っている。まぁ、自己紹介はいいとして、個人的には"受講動機"ってなんだよ? ……ってツッコミ。ここに来る人って、皆そんなに高い志なんだろうか?

とはいえ、担当指導員の女性は、近所に居そうな世話好きだけど、決して"おせっかい"ではないおばさんという感じの人で、なかなか好印象。自己紹介も隣の人と二人ずつペアを組んで、まずは二人で軽く談笑をして、相手を紹介するというパターンで、初対面の気恥ずかしさを紛らわせてくれるようなかなか配慮されていた。

私がペアを組んだのは、日本人と結婚している中国人の女性。既に5歳の男の子のママで、出産は2回目だそう。予定日は私のちょうど一ヶ月後だけど、私より全然お腹が出ている。受講動機は「1回目のことを忘れたから」とのたまい、その正直さに思わず笑ってしまった。

30人ちょっとの参加者の中で、予定日は2番目に早い妊婦で、いちばんでなかったのがちょっと悔しかったのだけれど、そんなところで競ってもどうしようもない。過半数が10月出産という感じで、中には来年早々出産という人も居て、かなり幅がある。でも子供はみんな同級生なんだ。

交流会の後は、助産婦さんがやってきて、長~い講義。正直、9ヶ月の身体には椅子に腰掛け、ずっと同じ姿勢で休憩もなしに、約3時間は辛すぎる。やっぱり妊娠中期に入ったばかりの人から後期の人まで一緒に講義をするというのは、体力的にも内容的にも無理があるというのが正直な感想。まぁ、母親学級もある種"お役所仕事"のひとつだから、その典型を見た感じで面白いのだけれど。

助産婦さんはどちらかというと"おせっかい"系おばさんという印象。なんでも人の言うことを聞いて、主体性のない、自信のないタイプの妊婦さんには、彼女のような強引なタイプの助産婦さんは"頼りがいがある"と、一気にそのカルトに取り込まれていくだろうけれど(人によっては助産院で出産したほうがいいかも……と思ってしまうかも)、私のような自己主張が激しく、我が道を行くどころか自ら敷設してしまうようなタイプはちょっと苦手。実際、事前に「妊婦体操をするので動きやすい服装を」と言われていたけれども、医者からは「むしろ安静に」と言われているのに、なによりそんな動けるかよ! と最初から見学のつもりで来ていた私に対し、彼女は相手の事情など察する様子もなく「スカート?」と無骨に訊ね、「動ける状態ではないので体操は見学させてもらいます」と火花散らしている二人。っていうか、だいたいズボンなんて持ってないし。スカートでさえ、お腹を圧迫してうっ血するので辛くて穿けないのに。

とはいえ、助産婦さんの話もやっぱりためになる話もあって、まぁ分娩が進む様子とかはどっちにしても避けては通れないことなんだから、いまさら脅してどーすんだ? って気もしたし、だいたい助産院での話が中心で「ここに居る人、全員病院で出産するって言ってんのにな」って感じで、長い時間を割いて行う講義ではないような気もしたけれど、「月の満ち欠けと出産の関係」の話はなかなか興味深かった。昔から大潮の日には出産が多いというけれど、それは単なる迷信というわけでもなくて、助産婦としての彼女の経験から語られる根拠は、科学的でもあり「なるほどな」と思ったり。だから母親学級とはいえ、どれも話半分に聞いて、それをそのまま実践すべきかどうかは最終的には自分で考えるぐらいの気構えで参加すべき。ただどちらにしても判断材料は必要になるので、できるだけいろんな話を聞いたり、参考になるものは読んだりしておいたほうがいいと思う。でも最終的には例えば「お母さんはそういうの一切行ったりしなかったよ」という、我が母の事例もあるのだから、それでもなんとかなるし、過度に心配になる必要はない。というか、我が家はあくまで"オレ流"を貫く血筋のようだ。

帰宅後、さっそく来月の暦を調べてみると、自分の予定日の前後だと、大潮にあたるのは8日の満月と22日の新月。果たして結果はどうなるのだろう。とはいえ、前回の検診で低地胎盤と診断され、早産の傾向があると言われているので、あっさり帝王切開で生命の神秘もなにもなくなるかもしれないけれど。まぁ、それはそれで"科学と非科学の融合”という感じで、"ネットとリアルの融合"みたいで新しい感じがして悪くはないか。ただどっちにしたって、母子ともに健康であれば、そしてジェダイが五体満足で産まれてくれれば、後のことはプライオリティー的にはずーっと下のほうにある。

何はともあれ、今週で33週。予定日までは一ヶ月以上あるけれど、とりあえずあと3週頑張れば、まずは早産は免れる。臨月に入れば、いつ産まれてきてももう赤ちゃんが外界で生活するのに十分な機能が整っているというし、この9ヶ月目というのがある意味、いちばん大切な時期であり、母体的にもいちばんしんどい時期であろう。出産のときの痛みは想像を絶するものだろうけれど、それでも長い人で3日間というから、何日も続くわけではない。それより先、産まれてきてからのほうが先は長いのだ。母親学級で経産婦さんが二人居たのだけれど、「産むのと育てるのどっちが大変?」という問いに対して、二人とも「育てるほう」と声を揃えて迷わず言い放った。

それでも私としては、大変なことは覚悟の上で、子育て自体はちょっと楽しみでもあったりする。自分がどこまで頑張れるか、やれるのか。絶対に途中で投げ出すことができない、大事業に自分なりにどう取り組み、新境地を開拓していけるのか。既に子育てをしている人は、辛く大変だけれども、それと引き換えに得られるものもあると皆必ず言う。

だけど、もう少しでジェダイが出てきてしまうのは、ほんの少し寂しい気持ちもある。私の場合、意識的に母子一体で過ごす時期というのはたったの3ヶ月足らずということになってしまった。ふつうではない身体の状態が辛くても、自分の体内に別の生命体を感じることができるというのは、とてもユニークな体験でもある。外に出てきてしまったらもうお腹の中でしゃっくりをしていたり、蹴伸びをしていたり、そういうのを感じることもなく、ジェダイとは完全に別個の個体になってしまうことを思うと、なんだかやっぱり寂しい。

だってこの世に生を受けて以来、今まででこんなにも誰かがそばに居てくれたことはなかったから。

lundi, juillet 31, 2006

La régénération d'une famile.

『ある家族の再生』

週末にかけて3日間、母が来ていた。私の妊娠がわかる前から、東京にいくつか用事があるので、新居訪問も兼ねて遊びに来る予定だったのだけれど、突然状況が変わってしまった。妊娠の報告をした翌週に急遽実家に帰ったときには、さすがにショックで寝込んでしまい、病院通いすることになったしまった母。ふだん肝っ玉な人だけれど、そんな母の繊細な一面を痛いほどに垣間見た。そりゃそうだ、当事者である私でさえもあまりに突然のことだったけれど、父や母からしたら寝耳に水過ぎる。

そんなわけで、先日私のほうが帰省したときには、母のほうの具合が悪く、あまり話ができなかったけれど、今回母に東京に出てきてもらって、本当にたくさんの話をした。もともと話し好きで姉妹のようでもある母娘だけれど、しゃべりすぎて喉が枯れてしまったぐらい。

母には昨年の暮れに彼女がフランスに遊びに来たときに、ジェダイの父親のことはほんの少しだけ話していた。今まで両親には一度も自分の恋愛の話をしたことがなく、過去も恋人の存在をちらつかせたことはなかったのだけれど、フランスに行ったっきり30歳を過ぎても日本に帰ってくる気配もない娘に対し、「あんたもいい加減、そっち(結婚)のこととか少しは考えないとダメよ」と初めて言われ、たまらず「私だって、それ相応のことはあるわよ! 今だって、これまでだって。だからまったく考えてないわけじゃないわよ。ただ縁がないだけ!」と言って、彼のことや、これまでも結婚を申し込まれたけれど自分のほうがまだ叶えていない夢が残っていて踏み切れずに断ったりしたことなども打ち明けた。私としては、決してキャリア志向で生きているわけではなく、時期が来てタイミングが合えば、自分としてはふつうに結婚するつもりだという自分の意思だけでも、両親にはせめて知っておいてもらわなければと思ったのだ。

というのも、父は父で「娘さんの話を聞いていると、お孫さんは抱けないかもしれないですねぇ」なんて仕事先の人に言われたとか、母にこぼしていたようで、娘の自由を認め、その生き方を尊重しながらも父親としての気持ちも覗かせたりしている気持ちも知っていて、直接は言わないにしても、母を通して「あの子は別にキャリア志向で一生生きていくって考えてるわけじゃなく、ちゃんと女性としての人生についても考えているタイプよ」と伝えてもらったりしていた。

ところが、それを知って少しは安心していた矢先に、日本にも帰ってきて新生活も軌道に乗りかけてきた矢先に、誰もが想像だにしていなかった展開。倒れることさえないけれど、さすがに父も2晩ほどは眠れなかったというし、それでも彼らはいちばん大変なのは私だと思って、彼らなりに一生懸命理解をしようとし、身重な娘の身体をいちばんに気遣ってくれるから、そんな彼らの優しさが時に私の胸を締め付ける。

そんなわけで母とは先日しっかり話せなかったこと、そしていつもの"姉妹のような"話など、時間の許す限り話をした。私と彼のことは多少は話してあったけれども、いきなり妊娠と聞いて「娘はひょっとして弄ばれたのではないか」とか、母なりにネガティブにも考えてしまったようだ。だから私は、彼との馴れ初めから現在に至るまでの話、彼の家族にもよくしてもらっていたことだとか、彼の人となりについてポジティブな面、ネガティブな面、どちらもできる限りすべてを話すことにした。そして話すにつれて、悲しく辛いことも多かったけれど、やはり幸せで楽しかった日々のことも思い出し、すぐにでも彼に会いたい気持ちでいっぱいになった。

それらを聞いて母は随分、納得してくれたように思えた。そしてジェダイのことを「我々家族にとって意味があって生まれてくる子なんだ」と言ってくれたのがとてもありがたく、嬉しかった。私が母の胎内に居たときも、相当に動いていたらしく、父には「絶対男の子だから」と言い切っていたらしいのだけれど、今私の状況を話すと、ジェダイの暴れっぷりはそれとは比較にならないほどだということが判明。もうグルグルとかじゃなくて、ドンドンドタバタ。想像するに、仰向けでダダをこねる感じ。最近は繰り出される技もジャブだけでなく、ストレートやアッパーとコンビネーションも多彩になった。

母は、この一ヶ月の私の身体的変化とジェダイの暴れぶりから言った。「でもこの子は8ヶ月近く、お腹のなかで母親に気づかれないように、ギリギリまでジーっとしてたんだよねぇ。それだけどうしても生まれたいっていう意思が強いのよ」と。

本当に母の言うとおりだと思う。これが例えばひどいつわりとかですぐに病院に行ったり、早くに妊娠を疑って、中絶可能な妊娠初期の段階でもしも気づいていたとしたら、果たして私はどう判断しただろうか? 既に彼はイスラエルに旅立ってしまっていたわけだし、それはそれでとても悩み、苦しんだと思う。周囲はもちろん反対するだろうけれど、多分、私は同じ選択をしていたと思う。

母は今の新居や住環境も「今までの中でいちばんいいとこじゃない! 名古屋(の実家)よりずっとここのほうが快適よ」とても気に入ってくれた様子。近所に買い物に一緒に出掛けたとき、一度具合が悪くなってしまったりして、心配をかけてしまったけれど「もうログハウスに避暑に来たと思って、出産まではゆっくりゴロゴロしていなさいよ」と、身体をいちばんに考えることを諭し、少々後ろ髪引かれる思いながらも、とりあえず東京を後にしていった。

お盆休みには、父も来ると言っている。一人暮らしを始めて以来、一度だって私の家に来たことはないどころか、直接電話することだって過去10年以上で数えるほどしかなかった父なのに。

vendredi, juillet 28, 2006

Le temps se passe...

『Time goes by...』

ここ2日ほど、外にも出ずに家事をする程度でゴロゴロしているせいか、体調はすこぶるよくなった。薬は飲み続けているけれど、お腹の張りもほとんど感じない。思うに、体調がいいとついついアクティブに動きたくなるところを敢えて我慢して、じっとしているほうがいいのかも。ただどっちにしても、子宮底が日に日に上がってきているので、座っていても姿勢によっては胸が苦しいけれど。これから出産までは、ジェダイが元気に順調に成長すればするほど、自分の身体のほうが辛くなるというジレンマ。それでもまだ見ぬ愛しい我が子のために、台所で毎晩まな板を消毒していたりする自分に本当に驚く。今までなんて、大人だし、少々腐ったものでも「ま、死ぬことはないだろう」と口にしたりもしてたけど、今はそれらが全部ジェダイの栄養となることを考えると、変なものは食べられなくなった。生鮮食品を買うときも、産地とかチェックして比べたりして。

私がご飯を食べてしばらくすると、ジェダイは本当によく動く。最近の傾向としてわかったのは、ヨーグルトを食べた後が特に。ひと言で胎動と言っても、9ヶ月にも入るとパターンが多様になってくる。まずは明らかに手足を動かし、蹴伸びをしているような動き。これはもう痛いくらいに力強いので、時々「もう、痛いよ~」と突っ込みを入れたりもする。あとは脈打つような鼓動。これはちょっとはっきりとはわからないのだけれど、ひょっとしたらしゃっくりをしているのかもしれないと、自分なりには分析している。

それにしても、家でゴロゴロしながらもネットで調べものをしたり、本を読んだり、映画を見たり、それなりに自分らしい時間の過ごし方にも慣れてきた。4月末に日本に戻って、その後、東京へ再上京して新生活も安定しつつあり、社会復帰も徐々に果たし、割と順当に(というか、2年半のブランクを思うとむしろ恵まれているほうだと思う)、「よし、これから、本腰入れるぞ!」というところでの妊娠発覚。ちょうど意欲が漲ったところでのことだったので、やや残念な気持ちもあったけれど、出産後母子ともに健康であればまたいくらでも再開できることだし……と、最近は潔い気持ちになってきた。ホント言うと、やりたい企画もたくさん溜め込んでいるんだけれど、それらは今やれないことはないだろうけれど、無理に発動してしまうと、それこそ急に産気づいたりしてしまって、自分の手に負えなくなり、周囲に迷惑をかけてしまうことを考えるとしばし我慢。そんな折に、昨日も、書評を書かせていただいた今日新創刊のある雑誌の見本誌が届いた。こないだの古巣での特集もそうだけれど、今や行き先が決して明るくない紙媒体だけれど、やっぱり作る側としては、ウェブとは違った醍醐味がある。テキストを上げて、それこそこのブログのように気軽に世に発信できるウェブとは違って、紙媒体は出来上がるまである程度時間がかかる。書籍なんかの場合、仕込みの時間も含めたら、何年がかりというプロジェクトだったりもする。それだけに出来上がったときの喜びも大きいもの。それこそ、実体のない発想やアイディア(時にそれは他愛もない単なる思い付き)から、"カタチ"あるものに仕上げていくという一連の過程は、妊娠、出産にもちょっと似ているかもしれない。

昨日は、秋篠宮妃が宮内庁病院で診察を受けたというニュースもやっていた。妊娠週数も近く、先日「前置胎盤」と診断され、帝王切開が必要な状況とか(私は「低地胎盤」で帝王切開の可能性が高いという診断なのでまったく同じではないけれど)共通点もあって、なにより同じ妊婦としてやはり気になるもの。

それで昨日は「高齢出産」についても調べていて、いろんな複雑な状況を一切排除して考えた場合、やっぱり私の場合は、今、子を授かるべくして授かったのではないかと思えてきた。というのも、「早いうちに子供を持ちたい」という気持ちは、絶対的だった。だから結婚というご縁に恵まれさえすれば、いつでも出産していいと思っていたのだ。

よく「出産には年齢的な制限がある」とはいうけれど、それは個人差もあるものだし、芸能人とかで40歳を過ぎて高齢出産したとかそういうニュースも聞くから、「まぁなんとかなるだろう」って、一般論で考えがち。心のどこかで心配しつつも、実際自分自身もそういうひとりだった。35歳前後で妊娠するとして、その時点で真剣に取り組めば多分大丈夫だろうと。

でも調べてみてわかったことは、人間の生命力というのは確実に低下していくということ。そして、これはなにも女性の側に限ったことではない。例えば、35歳で子供が欲しいなと思ったときに、その時点で避妊を止めればすぐに子供ができるといった、簡単なものではないのだ。実際、私の場合は、その逆で「できるときにはできるものなんだ」というぐらい、心当たりとしては可能性のとても低い状況だったのだ(だからこそギリギリまで自分が妊娠している可能性を疑わなかった)。生命の誕生は、ある程度は医学的論理に従うことはできるけれど、100%それで解明できるものではない。

少子化の問題はあるにせよ、子供を持つ持たないは最終的には個人の自由だ。だけど「いずれは……」と少しでも考えているならば、その"いずれ"の時に備えて、まさに今から真剣に考えておくべきだと思う。ある専門家は、特に30代以上の女性は妊娠したい時期から2~3年前ぐらいには、とりあえず自分の体質を知っておくなりの取り組み始めるべきだと言っている。

とはいえ、つい最近まで、調子が悪くてもなかなか病院にさえいかなくて、自分の身体に無関心だった私。そんな偉そうな口を叩ける身分ではないけれど、でもだからこそ逆に、周囲の人にはもっともっと自分の身体のことを把握しておいてほしいと心から思うのだ。

そして「子を授かるということは、命について考えること」。今は本当にそれを実感する毎日を送っている。

mercredi, juillet 26, 2006

Fais dodo, mon petit bébé.

『おねんね、私の愛しい赤ちゃん』

今朝は、屋根裏部屋のベッドの脇の窓から差し込む日差しで目が覚めた。昨日までの曇り空とはうってかわって真夏の日差し。あぁ、もうすぐ梅雨明け。毎日続いていたどんよりとした天気は、気持ちをブルーにさせるけれど、これから始まる日本の厳しい夏を思うと、それはそれで覚悟が必要だ。しかもふだんよりも増えた体重で、お腹にカンガルーのように人ひとり担いだ状態で、炎天下を歩くことはかなりしんどくなりそうだ。

とはいえ、階下のリビングに降りて窓を開けると、とても気持ちのいい風が吹き込んでくる。昨日までの湿度を伴った風とは違うし、空気も肌にまとわりつかない。窓際で揺れるレースカーテンは、この家にもうひとり誰かが居るような気にもさせてくれる。

つい先日まで食欲が増進して困っていたのに、一昨日ぐらいから今度は食欲がなくなってきた。いや、厳密には、作ればちゃんと食べられるのだけれど、お腹が空く以上に体が疲れていることが多い。

昨日は午後から記者会見の取材に出掛けたのだけれど、やはり電車の中の移動が辛くて、途中、ちょっと後悔した。それでも辛いのは移動時、しかもどういうわけか帰りは全然平気で、取材中、原稿執筆中は問題がないから、今後お仕事をお引き受けるのをどうすべきか本当に悩むところだ。このまま完全産休に入ってしまうか、体調と相談しつつもうちょっと続けてみるべきか。ただ如何せん、週1程度のペースなのでその都度様子を見てみようと思う。

思うに電車の中で調子が悪くなるのは、やっぱり低血圧でめまいがしてしまうのがいちばんの原因だと思う。取材が始まったり、原稿書きを始めると、集中して、血液もそちらに流れていくので、それこそ、立ってカメラを構えているときでさえも、めまいを感じることはほとんどない。あとは、電車の中の揺れもひょっとしたら影響しているのかもしれない。でも帰りは平気なことを思うと、やっぱり精神的なものが大きいのかも。記者会見は毎回、行き先も内容も段取りも違うし、どんなふうなかたちになるかわからない。行く前はいろいろな状況を想定して、ある程度シュミレーションをして向かう。でも終了後は、それらが全部わかって、取材をしながらも原稿をどう書き進めていくかの組み立てができて、気持ちがずっと楽になる。あとはシナプスに沿って、実際に文章を書いていくという作業を続けるだけなのだ。

以前、週刊誌の記者をしていたときは、日にもよるけれど、入稿までに時間があって、他のメディアを参照して書いたりという余裕があった。でも今取材のお仕事をさせてもらっているのは日刊なので、数時間後には原稿を上げなければならない。だから他の媒体がどのような反応をしているかとかは、だいたい自分の原稿が上がった後にわかること。それはそれで、自分なりの色が出せてやりがいもあったりもする。あとはアップロードされた時間とかもレース感覚で楽しいし。

そう言えば、妊娠がわかって以来、一ヶ月が経った。なんだかまだそれっぽっちの時間しか経ってないのかって、あまりに圧縮されたこの一ヶ月を振り返る。当時はちょっと太ったかな?って程度だったお腹は、相当に大きくなり、いまや見違えるほどの妊婦の姿になった。それに人間、短期間にそれだけの変化があると、さすがに体調も変わって、数日前あたりから脚の付け根が痛くなってきた。もちろん体重も増えているわけだから、身体を支えている両足もだるい。

よく妊婦さんに「転ばないように」って注意するけれど、最初のころは「そんな子供じゃあるまいし、大人がいきなり転んだりするかよ!」って密かに思っていたけれど、確かにこれだけ体型に変化があると、体の重心も変わってバランスが取りづらくなる。そしてあちこち痛みを感じるし、立ちくらみをしたりして、転びやすくなるというのもよくわかった。

胎動はボコボコって感じだったのが、今はグリグリ。完全に"人"が動いている感覚で、人喰いワニやサメの気持ちがわかるようになった。お腹を触ると、グリグリしたしこりのような箇所が数箇所あって、「これは手かな~? 足かな~?」って優しく押すと、それが引っこまったりして反応があるときはとても楽しくて幸せな気持ちになる。ジェダイがお腹の中でそれを「イヤイヤ、やめてやめて!」って言っているのか、キャッキャと喜んでいるのか、その表情はわからないけれど。

それにしても、昨日寝る前に考えていたのは、赤ちゃんはどうして生まれ出てきてからでなければ泣かないのだろう? お腹の中に居るときから泣いたら、"いっこく堂"みたいでちょっと面白いのに。

lundi, juillet 24, 2006

Le temps qui reste - on ne le sait pas.

『残された時間。それは誰にもわからない』

今朝の体調もまずまず良好。お腹の張りは相変わらずあるけれど、苦しいほどではない。それより、ここのところ、食欲が増殖してちょっと困る。こないだ病院に行ったとき、あまりに血圧が低かったのであまり食べられないのかを心配されて、「内臓が圧迫されて食欲とかもなくなったり、食べられなくなったりするかもしれませんが、ちょっとずつ回数を分けて食べればいいですよ。最悪、点滴を打つこともできますし、あまりきになさらなくても大丈夫です」と言われたけれど、最近の私はむしろ食欲がありすぎて困る。もともと痩せているから娠太りを注意する必要はないけれど、やっぱり加減がないのはあまりいいことではない。と言いつつ、この食欲はむしろジェダイの要求なのかと思って、我慢せずに食べてしまうのだけれど。まぁジェダイ・パパの血を引いている以上、無理もないか。ジェダイ・パパはQuickというマクドナルドのようなファーストフード店で、1回行くと15ユーロ(2000円ぐらい)は注文して完食してもまだ足りなくて、ママのぶんまで食べていた人だし。あぁ、それを思うとちょっと先が思いやられるなぁ……。

この週末は2組の来客があって、充実した時間を過ごした。東京23区内ながら都心から隔離された難民地に新居を構え、妊娠がわかって以来、"都"へもあまり出掛けられなくなってしまった私にとっては、こんな僻地にまでわざわざ会いに来てくれるというだけで感謝感激。おまけにお土産や、出産前祝のプレゼントをいろいろもらったりして、本当に恐縮するばかり。心温まる贈り物はとっても嬉しいけれど、この後、どうやってお礼をしていいものやら……。

1組目のゲストは中学からの長いつきあいのお友達。中高一貫校に中3で私が転校してきて以来、高校、大学時代も同じ関西で、就職してもともに東京で、気がついたらかれこれ相当長い友達のひとりだ。少し前に地元に帰ってしまったのだけれど、前々から東京に遊びに来たときは新居に訪問してね、気軽に泊まってねと言っていて、予定どおり連絡をもらったときには、妊娠の報告をしなければならなかった。

彼女からはプレゼントに『TOMVITAL』というドイツの自然化粧品メーカーのマタニティー用のマッサージオイルをもらった。初めて知ったメーカーだけど、パンフレットのコピーやテキスト、写真が本当に素敵で、それだけで幸せな気分になった。と同時に「あぁ私もこんな赤ちゃんが生まれるんだ」て改めて思った。マッサージオイルも瓶がかわいくて「もったいなくて使えないや~」「いや使ってよ。使わないと意味ないし!」「そうだね、空になったら違う液体入れて飾っとくよ」って。

そうそうマッサージオイルをもらって、思い出したのだけれど、帰国前に「日本で買うと高いし、記念に」と、『L'occitane』で少し買い物をしてきたのだけれど、たまたま『Baume maman & bébé』(ママと赤ちゃんのためのバーム油。無香料でクリームが柔らかい)っていうのを買っていた。乾燥ケア用のシアバターを買うつもりだったのだけれど、テスターでこの赤ちゃん用クリームを使ってみて、あまりに付け心地がよかったので思わず購入したのだ。もちろんまったく意識はしてなかったのだけれど、ひょっとしたらジェダイが「買っておけ!」って指令を出していたのかも。フランスで当時、新発売の商品だったので、日本ではまだ手に入らないようなので、わかっていたら大きいサイズのほうを買っていたのに。

1泊していった1組目の友達を送り出したのと入れ替わりで、2組目のお客様。彼女たちは私が大阪で学生をしていたころからのおつきあいで、その後、いつのまにか全員東京に来ていて(次々と後を追うように)、思えばもう10年来のおつきあいのお友達だったりする。

クリスマスプレゼントを抱えたサンタのように到着した二人。あぁ、こんなところまで来てもらうだけでもありがたいことなのに、またしても恐縮。かと言って、せっかく持ってきてもらったものを返すわけにはいかないので、ありがたく受け取らせていただく。

「持ってたら全然返品できるから……」と渡されたそれは、鉄鍋の炊飯釜。実は炊飯器を買うときに、どうしようか迷っていた代物で、でも結局、"こだわり”より"実"を優先して前者を買ったのだけれど、帰国して新生活をスタートさせたばかりで何かと投資が必要な今ではなく、余裕が出てきたところで自分へのご褒美として買いたいもののひとつだった。しかもいただいたものは、南部鉄器。鉄分が必要な妊婦を気遣って、鍋の鉄分がご飯に吸収される鉄鍋を選んでくれたのだ。しかし本当にこんなものをいただいてもいいのだろうかと戸惑いながらも、これからジェダイが大きくなるまでありがたく使わせていただこうと思う。

そして妊婦さんでも大丈夫なアロマオイルと妊婦用に処方された、ニールズヤードのハーブティー。そして「今朝焼いたばかりでまだ水滴ついてるんだけど」と言って渡された、ホームベーカリーで焼いてきてくれたという手作りの食パン。日本に帰ってから、やっぱりパンがあまりおいしくなくて、家では米か麺類中心の生活を送っていたのだけれど、それこそ家庭用パン焼き機は、自分へのご褒美にそのうち買いたいなと思っていた家電。でも実際のところどうなんだろう?って思っていたのだけれど、手作りのそのパンは見た目だけでもおいしそう。お腹が空いて夜中に食べさせてもらったけれど、見た目に違わずめちゃくちゃおいしい! ジェダイのぶんと二人分、モグモグあっという間に食べてしまった。

週末の2組のお客様の訪問に、相手が疲れているのもお構いなしに相変わらずノンストップでしゃべりまくった。さすがに昨日の夜は結構疲れてしまって、なにもできなかったけれど。

私の友達は、破天荒で変わったいわゆる"類友"系か、周りとの調和を大切にする私とは真逆の"常識人"であるかのどちらかである場合が多い。昨日もいろんな話をして共通して感じていたことは、周りの期待に応えようと自分を抑えて生きているけれども、年齢とともにそういう演じられた自分に対し疑問を感じ、ジレンマに悩んでいる人が多いということ。それに対して、いかに自分がこれまで自由に生き、またそれを周囲から許されてきたかということ。期待に応えるどころか、それを裏切ってばかりの自分。

幸せって何だろう?

みんなが当たり前のように思うこの疑問。結局それは結果として言えることであって、みんなそれがわかるときには死んで語れなくなってしまうから、その答えは永遠にわからない。

でも私は「どうせ後悔するなら、やらずに終わるよりもやって燃え尽きて後悔したい」。それは今までもこれからも変わらないと思う。

samedi, juillet 22, 2006

Comment Marie se sentait à ce moment?

『マリアはそのときなにを思ったか?』

自分でも毎日、よくこんなにも書くことがあるなぁと思う。一応、文章を書くことを生業としている身の上。人によっては、一銭にもならないことに時間を割くなんて、バカらしいという人もいるかもしれない。それに、こんなダラダラと長い文章を誰も好んで読まないかもしれない。でも私としては、これは一種の義務感のようなもの。今もそうだけど、自分を取り巻く人には状況を説明しなければならないし、この先出会う人にもそれをずっと続けていかなければならないのだ。

もちろん、文章ですべての真実を伝えることはできない。特にブログという公開性の高い場においては、明かすことのできないこともあるし、そして伝える側、受け取る側、双方に限界がある。だから本当は、ちゃんと一人一人面と向かって、その人に合わせて話すほうがいいに決まっている。でもそれには、物理的な限界がある。だからこそ、こうやって少しでもその労力を省くために、こういう場を利用することも時として必要だと思う。もちろん、慎重に言葉や内容を選びながら。

"Les paroles s'envolent, les écrits restent"

フランス語にはこんなことわざがある。「言葉は消えるが文章は残る」という意味だ。

人は考える生き物。誰もが毎日、いろんな瞬間に接する度にいろんなことを感じ、考える。でもそれらのほとんどが残念ながら、消えてしまう。きっとそれらは、実はとっても重要な財産になる可能性を秘めているのに、もったいないないと思う。私たちは案外、何気ない言葉に、心から励まされたり、救われたりもする。もちろん、言葉は時として、暴力以上の効力を持って人を傷つけることもできるけれど。

もちろん、私がこのブログを続けているのには、他にもたくさん理由がある。妊娠、出産という体験が取り巻く、人間の複雑さを自分なりに記録しておきたいと思っている。生命の誕生というのは、科学的に説明可能な側面と、非科学的な側面の双方でとても興味深いメカニズムによって起こる現象。

実際、私が妊娠を知ったのは8ヶ月に入る直前。ふつう妊娠というのは、すぐに身体にサインが現れるものだし、きっと誰もがそんな時期まで気づかなかったことを不審に思うだろう。いや、実際には6月に入ったあたりから、胎動らしきものを感じるようになり、さすがに自分でもその可能性を強く疑い始めた。

それでも、倒れて病院に行くまで確信には至らなかったのには、私なりにはReasonableな理由がいくつかあるのだ。実を言うと、私は思春期のころから自分の身体にはなにか欠陥があるように思い込んでいた節がある。とは言っても、特に大きな病気をしたことがあるわけではなくて、むしろ医者にかかったのはこれまでの人生でも自分が知る限りでは、多分、両手の指で足りるぐらい。ただ、小さいころからずっと痩せていて、いつも「やせすぎ」の判子を押されていた(これでも成人してから少しは太ってきたほう)。だから勝手に自分には、なにか決定的な身体的な欠陥があるのではないかと思っている時期もあった。だから、自分はふつうの人のように子供を産むことができないかもしれないと30前から少し思っていた。

それから、妊娠するからにはそれなりの心当たりがあるのだけれど、それに関しても本当に可能性は小さいだろうとずっと信じて疑わなかった。それに受胎して、それ以後の自分の生活ぶりを考えると、こんな時期まで子供が育ってきたというのが、まずはあり得ない。いろんな人からいろいろな話は聞くけれど、胎児の命というのは、本当に弱弱しいもので、ほんのちょっとしたことが原因で悲しい結果になってしまう。

だから、妊娠がわかったとき、それはもう運命だと思ってすぐに受け入れることができたのだ。周囲の人は「今は大変な時期だろうし……」とかって、私の精神状態をとても気遣ってくれたのだけれど、当時の私は信じられないほどに冷静だった。というか、ジタバタしたところで状況は変わらないのだし、そんな暇があったら、これからどうすべきか、今どうすべきかを考えるべきだと思ったのだ。これは昔から変わらないのだけれど、ジタバタしても、時間は逆戻りするどころか、先へしか進んでいかないのだし……っていうのが、物事に対しての基本的な私の姿勢なのだ。昔、海外に取材に行ったとき、入稿用のデジカメのデータが全部入ったパソコンを空港で盗まれたのだけれど(後に発見された)、そのときもとても冷静だった自分のほうに逆に驚いたものだ。

それからここ最近の私は、仕事で成功したり、自分が認められることに対する願望が年々薄くなってきていた。というか、自分の仕事がそれなりに評価されることは真摯にうれしかったけれど、そのことになんとなく空虚さを感じ始めていたのだ。そして「私の人生にはもっと大切なことがあるのではないか?」と思って、当時とてもやりがいを感じていた職場をあえて離れ、フランスへも旅立った。それでも結局、「コレ」と言った決定的なものは最後まで見つけられなかった。「これが私の生きる道!」とはっきり言い切れるような、迷いのない確信を。ところが先日、海外でもその才能が認められ、活躍しているあるバレリーナがテレビのインタビューで「これからの目標は、女性として完成することですね」と、今後の目標について語っているのを観て、「あぁ、これだ!」って思った。

あとは数年前に中国へ行ったとき、占ってもらったところ、実はそれしきりの“予言”めいた啓示を受けていた。具体的にどうとかって言われたわけではないけれど、占ってくれた友達は、とても意味深な表情で私に結果を伝えることを躊躇していたことを今でもはっきり記憶している。

話が少し逸れたけれど、なにより、これからジェダイが産まれてきて、物心がつくにつれ、いろんなことを説明したりしていかなければならないと思う。すべてを知っている、そしてジェダイの質問に答えてあげられるのは、他でもなく、この私しかいないのだ。

たとえばジェダイが「パパはどこに居るの?」と訊く日がいつか必ず来るだろう。そして「イスラエルに居る」と言えば、「どうして?」と訊き、パパはユダヤ人でシオニズム思想のものとにイスラエルに旅立った……ってなると、当然ながら「ユダヤ人って?」、「シオニズムって?」、「じゃ、ジェダイは何人なの?」……と、いくつもの疑問が沸いてくるに違いない。そうなったとき、母として私はどう答えることができるのだろうか? この大人でもわかりにくい複雑な疑問に対して。だからこそ、まだ記憶が褪せないうちに、事実をしっかりと書き留めておかなければならないとも思うのだ。

そして、ジェダイもそのうち自らのアイデンティティーを意識する年齢になると思う。でも私は母として、その属性よりも、まずはジェダイがジェダイとして生きることを大切に思い、誇り高く生きてほしいと思うのだ。

Tout sur ma mère.

『オールアバウト・マイ・マザー』

今朝の体調もまずまず。張り止めの薬を処方してもらって以来、数日前がいかにお腹が張っていたかがわかる。今思うと、確かに苦しかったんだけれど、それは妊娠していれば、これくらいの週数なら当たり前のことなのなのかな? とか、少し我慢していれば治るものなのなのかな? とか、如何せんこれまで経験のないことだから、判断ができない。でもお腹の張りが随分治まったことで、身体はかなり楽。しんどいときは、ホント、ベッドの上で身体を捩じらせていて、「あぁ~、出産のときなんてこれより遥かにしんどいんだろうなぁ。耐えないと」って、少々気が遠くなりながら、自分を叱咤激励していた。

だけど、先日病院で、お腹が張るのはとにかくよくないということを聞いて、そっちにはちょっと注意しようと思った。確かにいちばんひどいときには、歩いていて、お腹がキューっとなって、このまま産まれてきちゃうんじゃないかって少し心配になった。

というわけで、医師からは「絶対安静」とは言われていないけれど、自分の性格を鑑みると、多分ふつうの人の限界の+2割ぐらいは我慢してしまう傾向があると心得て生活することに。たとえば昨日は体調は割りとよかったので、気持ちはお出かけしたいところでウズウズしていたのだけれど、「休めるときは無理しない」と自分に言い聞かせて、一日中家で過ごすことに。それこそ、気持ち的には身体をベッドに縛り付けるぐらいの感じで、横になるか、台所でこそこそとお菓子を作ったりするかの繰り返し。あとは溜まっていた領収書類の整理など。今年度の確定申告は、帰国→転入→個人事業主→出産etc……と、めちゃめちゃややこしいことになりそうなので、今から手を打てることはできるだけちょっとずつ済ませておくことに。

あとは、出産前ももちろんだけれど、出産後も育児で忙しくなることを見越して、ネットでできることの手続きを徐々に進めている。今は大変便利な世の中なので、銀行の振込みも買い物もネットで簡単に出来る。光熱費の自動引き落としも、実はついこないだ引っ越したばっかりだから、まだコンビニ払いをしていて、追々でいいかと思っていたけれど、そういうのも一通り申請した。というか、東京電力の場合、自動振り替えだと、ほんの少しだけど割引もあるんだ。

先日、病院に行って、分娩予約の説明を受けた。用紙に無痛分娩を希望するか、立会い出産を希望するかとかを記入するのだけれど、それと合わせて、入院時に用意しなければならないもののリストも掲載されていた。早い人は7ヶ月ぐらいで用意したりしているらしいのだけれど、病院によっては病院側で用意してくれるものもあって必要がないものもあったりするので、まだ買わなくていいやって保留にしていた。

そこに書かれていたなかに、授乳用下着ってのはわかるのだけれど、前開きのパジャマってのがすぐにピンと来なかった。それで妊婦用のパジャマってあるんだろうか? とネットで調べてみると、要するにこれも主に授乳のためのよう。なるほど、納得。最初は勝手がわからなくて手間取るだろうし、これは必要なものなんだと、ネットでいろいろと探してみると、結構かわいいのがある。マタニティー服も必要ないかなって思っていたけれど、実は産後も授乳のために実はいろいろ考慮しなくちゃいけないんだとわかった。とはいえ、探してみると案外いろいろあるもので、デザインもふつうにかわいい。俄然、物欲上昇。

あとはベビー服もぼちぼち見ているのだけれど、こちらは本当に迷うほどあって、なかなかこれってのが決められない。ところがあるサイトで、ママとお揃いのベビー服ってのがあって、「コレだ~っ!!」って、アドレナリン上昇。デザインはもちろん親子で全然違うのだけれど(一緒にできるわけがない……)、同じ生地を使っていたり、一部だけ同じモチーフを取り入れていたりして“さりげなくオソロ”な感じがいい。いかにもお揃いって感じは「舞い上がっちゃってます~」って感じで、個人的にはさすがに抵抗があるけれど、この「あっ、ひょっとして、これって?」みたいな……感じがね。

そんなふうにひとりで楽しんでいるときに、ふと気がついたことが。

そう言えば、私の母も私が小さいときには、よく同じように『miki house』とかの服をお揃いで着てたっけ。そして私のほうは大きくなって、その服がもう着られなくなってしまった後も母はその洋服を大事にしまっていた。そして自分のほうは、その服を色が褪せるまで着ていたこと。

何十年ぶりに蘇る記憶。私はまだ子供だったけれど、確実にこういう記憶って、残っていたりするものなんだ。

そしてやっぱり「私はお母さんの子供なんだな」って。こんなところでも、確実に遺伝子を引き継いでいる。

なんかそれがわかって、密かに感動した。難解なパズルの最後の1ピースがピタッとハマるみたいな感じに。

母からはよく、私が成人した後も「あんたもこの先、結婚して、子供ができたら、わかるわよ」って、何かにつけて言われることが多かったのだけれど、今なら心からわかる、彼女のこと。

vendredi, juillet 21, 2006

En cherchant un petit bonheur.

『小さな幸せを探して』

今朝の体調はまぁまぁ良好。相変わらず多少の立ちくらみはあるものの、お腹の張りはさほどでもない。昨日から張り止めの薬を飲んでいるので、いつもは食べたり食べなかったりの朝ごはんだけれど、薬を服用するために、朝起きて辛かった場合に備えて、昨日の夜のうちに用意しておいたおかゆ(まぁご飯が余っただけっていうのもあるけれど)を一膳食べる。

一昨日の話になるけれど、実は皇居へ行った。先日と同じく観光で来ているフランス人の友達を案内したわけだが、先週、どこへ行きたいかと訊いたところ「皇居」と言われたので、調べてみたところ、平日のみではあるが、無料のガイドツアーが開催されていることを知った。皇居の東側は、門が開いていればいつでも入ることができるのだが、西側は通常このツアーに申し込みをしないと見学ができない。自分自身も興味があったので、いい機会だとさっそく予約を入れるが、申し込みの受付は最速で希望日の4日前まで(外国人の場合は前日でもオーケーみたいだ)。とはいえ、今年からネットでの受付が開始され、名簿の提出にわざわざ事前に出向く必要もなくなったようで、手続きはいたってシンプルだった。

というわけで、張り切って楽しみにしていた皇居参観だったのだけれど、前日に取材先へ向かう途中の電車の中で意識を失いかけたりして、体調にはちょっと不安があった。おまけに外は結構な雨。どうしようか迷ったけれど、とりあえず連れて行くだけ連れて行ってあげて、自分はツアーには参加せずに終わるまで待機しているとかにしようと、家を出た。

ところがやっぱり電車の中で、前日と同じ区間で気分が悪くなった。おまけに微妙に朝のラッシュの時間帯にあたって、車内は結構混んでいた。最初から座ってはいたけれど、優先席の真ん中だったので、姿勢を変えることができず、かなり辛くなり、気がつくと「大丈夫ですか? 今、気を失われてましたよね?」と隣に座っていた女性に声を掛けられる。

どうにかこうにか待ち合わせ場所へ辿り着き、合流して、ツアーの受付場所の桔梗門へ。雨が降っているので、中止になったりしないのかなぁと思ったけれど、ふつうに決行。受付で身分証を提示し、名簿の照合が済むと、さらに奥の窓明館という休所へ通される。そこでまた名簿のチェックを受け、出発まで待機。こんな雨でも参加者は結構居て、外国人を含め、40人ほどが集まっていた。

あらかじめ、ガイドの人に所要時間や、途中休憩があるのかなどの詳細を確認する。

「実は妊娠しているので、ちょっとどうしようか迷っています」
「そうみたいですねぇ。何ヶ月ですか?」
「えぇっと、来週で9ヶ月に入ります。それこそ、秋篠宮妃と同じ時期に出産するんです」
「えぇっ~!! うーん、途中歩きっぱなしってわけではありませんけど、座ったりする場所はないので。ただまぁ、なんかあったらすぐに声を掛けていただければ。すぐそこに宮内庁病院もありますしね!」

そんな冗談を交わしつつ、内心「あっ、そっか! 宮内庁病院になんてそうそうかかれるもんじゃないし、ちょっとおいしいかも~」なんて一瞬思ったけれど、いやいやそんなことを言っている場合じゃない。そんなことになったとしたら、何よりも健康面で一大事だ。この期に及んで、自分をネタにしてはいけないのだと、愚かな自分を諫める。

待合場所のこの建物のなかには、売店が併設されていて、菊の紋章のグッズがいろいろと売られていて、それなりに興味深かった。とはいえ、あえて買おうと思うほどではなかったけれど。

ツアーの出発の前には、概要のビデオが流れ、皇居を簡単に説明。出発のときになって、先ほどの案内の人が「雨が強くなってきましたし、やっぱりこちらで待たれたほうがいいと思いますよ」と言ってきて、一応、友達のほうは英語の音声ガイドも渡されたことだし、大人しく従うことに。私のほうは、またいつだって来られるわけだし、なにより雨の坂道で滑って転んだりしたら大変なことになる。

ガイドの人は、親切にも売店のおばちゃんにも事情を説明してくれ、「何かあったら声をかけてくださいね」と優しく接してくれ、さらにおばちゃんは「寒いかもしれないから」と、防寒着代わりに雨合羽を持ってきてくれたり、退屈しないようにテレビをつけてくれたり、本当に親切にされた。友達を見送った後は、お言葉に甘えて、広い広い館内を独占し、長椅子に横になっていた。

一時間ちょっとで、ご一行様が戻ってきて、友達に感想を聞いたり、写真を見せてもらうが、雨が降って傘をさしていたせいで、残念ながらあまりいいショットが撮れなかったそうだ。

その後は、ランチタイムの丸の内へ繰り出し、久々に丸ビルへ行って、てんぷら屋さんに入って天丼を食べた。いつもいつも家で妊婦食だといい加減飽きるし、たまにはやっぱり人と一緒に楽しく外食したい。それでもふだん友達は昼間は働いているし、夜は夜で私のほうがあまり遅くなれないから、ゆっくりとは難しくて、彼はそのちょうどいいお相手になってくれた。おまけに妊娠がわかる前は、日本に帰っても語学力を維持するために、フランス語教室に通うか、個人レッスンを夏から始めようと思っていたので、一石二鳥。いまさら、お金を払って勉強するっていうのもなんだかちょっとバカらしいような気がしていたので、こういうほうがよっぽどいい。

その後は、現金を引き出したり、JRパスという外国人旅行者向けの旅行券があるのだけれど、その使用開始手続きをしたいという彼の旅の計画をサポート。こうして見ると、観光地としては整備されているはずの東京駅でさえ、当事者の目から見たら事足りない、不親切なことがたくさんあるものだ。例えば、東京駅のような大きな駅ではたくさんの窓口があるのだけれど、切符を買うだけが専用だったりいろいろだ。あとは、新幹線の切符を買うにしても、電光掲示板は日本語/ローマ字表記で切り替わって、外国人にもわかるようになっているけれど、「東海道・山陽新幹線」「東北新幹線」といった、電光掲示板の上にあるタイトルのほうは漢字のみ。これが私たちにとっては、外国の例えば韓国の空港であることを想定して、タイトル部がハングル文字しかなかったとしたら、どんな感じなのか想像できるだろう。

所用を済ませた後は、大丸のデパ地下へ。軽く流すつもりだったのが、いろいろと試食があり、フランス人を連れて、急遽「Degustation(試食)」の時間に。私としてはいろんな日本の味を紹介することもできたし、いろいろ味見できてうれしかったけれど、さすがにフランス人にとっては、饅頭を食べたかと思えば、辛子明太子を食べさせられたりして、少々ヘビーだった模様。

あとは偶然にも、パリでよく食べていたブランジュリーのKayserを発見。そのあまりの懐かしさに、迷わず買って帰る。久々に味わうそれは、やはり日本の湿度ではその触感を再現できてはいなかったけれど、味わいはほとんど同じだった。Kayserはパリのブランジュリーのなかでも、ちょっと高級なお店だったのだけれど、高級とはいえ、たかがパン屋なので、相場は知れている。一般的なブランジュリーがバゲット1本0.75ユーロぐらいのところを1ユーロとか。わずか数サンチームというその程度の差でも、“ちょっとした幸せ”を感じることのできるところが、当時、兼業学生でそれほど贅沢もできなかった私の心を掴んだ。だから、たとえパリのお店とまったく同じでなくても、私にとってはそんな気持ちを思い出させてくれる別の意味合いのあるお店のひとつなのだ。

懐かしの味を噛み締めながら、ふと、一度取材をさせてもらったことのある、パリ在住で企業のパッケージ広告なども手がけ、パリ生活の自著を出されるなど、活躍されているイラストレーターさんのことを思い出した。彼女とは、インタビュー取材の仕事も半分忘れて、フランスのパンについてカフェで何時間も熱く語り合った。そのとき、彼女はしきりに「バケットは何もつけなくても、噛めば噛むほどに小麦の味わいが感じられるのがいい」と言っていた。まさにそう。Kayserのパンを日本で久しぶりに食べてみて、一口噛むごとに良質な小麦粉の味わいを感じて、幸せな気分になった。

帰国前、そんなおいしいパンがもう食べられなくなるだろうと、Kayserだけでなく、散歩の途中の通りがかりに見つけた、気になるブランジュリーに立ち寄っては、ここぞとばかりに食べまくった。今思えば、そのときにももうジェダイはお腹のなかで育っていて、一緒にそれを味わっていたことになる。

そんなジェダイのためにも、日本に居ても、時々、ここのパンを食べさせてあげたいな。

jeudi, juillet 20, 2006

La vie n'est pas aux pièces.

『人生は出来高払いじゃない』

今朝は3回目の検診へ。急患があったのか、往診が遅れているらしく、30分ほど待たされる。今朝もなんとなく調子が悪くて、病院までの家から20分ほどの道のりを結構、フラフラになりながら辿り着く。

今回は、まずは前回の検査結果の説明を受ける。風疹血清のみ、規定値の2倍でギリギリセーフだったけれど、あとはすべて問題なしの結果に、とりあえずほっと胸をなでおろす。HIVの抗体検査なんて考えもしなかったけれど、これだけは検査結果を別紙で親展で目の前で開封するので、心当たりはなくても案外緊張するもの。

体重は2週間でちょうど+1キロと順調。ただしやっぱり血圧が低いとのことで、ここ数日、電車のなかで意識を失いそうになったことなどを話すと、やはりお腹の赤ちゃんが大きくなってきているせいで、臓器が圧迫され、うっ血状態になっているせいだとのこと。血液が通常のように送り出されないため、急に立ち上がったりするとめまいを感じたりするらしいので、気を失って転倒するのを避けるために、姿勢にかかわらずなるべく手すりにつかまったりして、注意するようにと言われる。

あとは、超音波検査と触診で「低地胎盤」と診断される。要するに胎盤の位置が低いらしく、分娩時に出血の可能性が高いそうだ。これから子宮が多少ひっぱられるので、それによって胎盤の位置が上がることを期待しましょうとのことだったけれど、先生の口ぶりでは自然分娩はちょっと難しそうだ。あとは、子宮口も閉じてはいるものの、柔らかくなっているらしく、張り止めの薬を処方してもらうことに。

最後に超音波検査で、今日は初めてジェダイの顔を見る。3Dのエコー写真ではないので、ちょっとわかりにくいけれど、目鼻口をはっきり確認。推定体重は1.7キロと2週間で+200グラム増加。心臓もしっかり動いていて(ミジンコを顕微鏡で見るのにちょっと似ている)、赤ちゃんに関しては今のところ異常なし。モノクロの二次元の写真じゃわかりにくいけれど、私の子供にしては堀が深い気がするのは、思いすぎだろうか。

それから先生に「性別は……どうされます?」と訊かれる。多分訊いたほうがいいのだろうけれど、心の準備をしていなかったので、次回以降まで返事は保留に。男女どちらでもいいと思ってはいるし、自分でもなんとなく母親の勘でわかっているくせに、いざ訊くとなるとやっぱり躊躇するもので、とても不思議な心理だ。

それにしても、自然分娩ではなくなるかもしれないと聞いて、案外思ったよりも動揺するものだ。今まで無痛分娩にするかどうかで迷ってはいたけれど、帝王切開のことは考えてもいなかったから。帝王切開で出産する人なんてたくさんいるし、身体にメスを入れること自体には抵抗はないのだけれど、やはり誰だってふつうに出産できることを望むものなのだ。調べてみると、「低地胎盤」や「前置胎盤」というのは、子供よりも母体への危険が高いらしい。医師はプロだから、よりリスクの少ない分娩方法を選ぶのがふつうだし、そう思うと、素直にそれを受け入れようと思うけど、やっぱりほんのちょっと動揺してしまったのは、否定できない。と同時に、今まではジェダイのことを第一に考えて頑張ってきたけれど、産む側、自分の身体にももっと気を遣うべきだと実感した。ただし、本当に危険な状態なら、即入院ということになるだろうし、さしあたっての生活の仕方を訊ねると「そうですね。むしろ安静にしていたほうが」とのことで、一瞬何に対して「むしろ」と言われているんだろう? と思ったけれど、言わずもがなそれは、この時期、適度な運動が必要とも言うけれど、それに対してということであって、「絶対安静」とまでは言われなかったので、それほど心配しすぎることでもないのだろう。ただ、つい先日、「前置胎盤」と診断された、秋篠宮妃の「赤ちゃんのためにできることは安静にしていることなのですね」という言葉が自分のなかで何度も頭をよぎった。

帰宅して食事を取り、張り止めの薬を服用する。しばらく苦しくて、ソファの上で悶えていたのだけれど、薬が効いてきたのか、2時間ぐらいで楽になり、いつの間にか眠っていた。起きると、お腹の張りがだいぶん引いてきていて、やっぱり相当にお腹が張っていたんだと認識。張り止めの薬は、動機やめまいを引き起こすかもしれないと説明を受けていたけれど、今のところ、副作用も感じていない。それより、ここ2,3日、息苦しくて実はあまり眠れなかったのだけれど、ひさびさにぐっすり寝てスッキリした気分。薬そのものの効果もあるだろうけれど、やっぱり先生にいろいろ話を聞いて、納得できたのがいちばんの効果。「病は気から」というけれど、初めての妊娠で、個人差が大きいものだし、やっぱりさすがの私でも実は不安でいっぱいなんだなって思う。人からは精神的に強いと言われることが多いけれど、それもよしあしだと思う。時には自分に対しても人に対しても甘えられるってことも大切なんだって、妊娠して初めて思った。そういう意味では、「弱さ」も実はちょっとした「強さ」のひとつだって。そして、赤ちゃんが泣いて何かを訴えるのも、きっと生きていくために必要な本能的に授かった「強さ」なんだろう。

mercredi, juillet 19, 2006

La 32ème semaine.

『32週目』

3連休の後ろ2日間は、天候も悪いのであえて出掛けずに、家でのんびりと過ごしていた。そして昨日は午後から来客の予定だったのだけれど、午前中、急な取材依頼の電話が。訊くまでもなく、電話をかけてきた当人が体調不良だと、電話口ですぐにわかった。それくらいひどい風邪声。当日、午後からの取材だった上、既に約束していたので、一瞬どうしようか迷ったけれど、とりあえず来客予定の人に連絡を入れて、最悪、取材先近くで落ち合うことを提案。自分も今、妊娠している如何にかかわらず、突然に体調不良ということもありうるので、とりあえずお仕事をお引き受けすることにして、すぐに電話を折り返す。電話をもらったときも、お腹が異様に空いていたので、ちょうど早めに昼ごはんをつくっていた最中だったので、急に出掛けることになったのにも対応できたし。

というわけで、急遽、赤坂にある某ホテルへ向かう。先日いただいた洋服を着ていこうかと思ったけれど、やっぱりお腹が目立たなくて、マタニティー演出のため、少々お腹周りはきつくなってきたけれど、まだまだ全然ファスナーも閉まる、普段着のワンピースで出掛ける。すると電車に乗って、堂々と優先席に座るや否や、目の前に座っていた初老のご婦人に声を掛けられる。

「何ヶ月?」
「来週で9ヶ月目に入るところです」
「えぇっ~!! 周りに信じてもらえないでしょう? 全然スリムだから」
「えぇ、そうなんです」

なかなか見た目で妊婦とわかってもらえないのも、実は結構なお悩み。それから実はそのご婦人は、子供に歌を聞かせたりするボランティアをされているなど、彼女が下車するまでの数駅の間、楽しくおしゃべり。妊婦であることをきっかけに、こうやって世代の違う人とも容易にコミュニケーションを取る機会が増えるのも、なかなか悪くないなと思った。多分、これが赤ちゃん連れになったら、もっと広がるんだろう。

ところが、それからしばらくして、急に気分が悪くなった。ふつうに座っているのが辛くなってきて、手すりにつかまったりしたけれど、だんだん気が遠のいていくのがわかる。先週は調子がよかったし、栄養のバランスは結構気を遣っているので、鉄分のサプリメントを飲まずに外出したせいなのか、完全に貧血の様相。もしくは、やっぱり着てきた洋服のせいで、多少、身体が締め付けられているせいなのか、はっきりとその原因はわからないけれど、とにかく意識がどんどん遠のいていく。意識を完全に失う寸前に、なんとか気分が回復しだす。気がつくと、前に座っているご婦人に「大丈夫? 顔色悪いわよ。よかったらお茶あるけど」と声をかけられたが、とりあえず元には戻ったので「ありがとうございます。大丈夫です」と言って電車を降りて乗り換えて、そのまま取材先になんとか辿り着く。

会見が始まると、とりあえず写真を押さえ、あとはICレコーダーに頼ろうかと思っていたら、なんと電池切れ。うっかりしていた。おまけに出席者は日本人だけじゃなく、半分は英語。通訳機が用意されていたけれど、これは録音に頼れないので、否が応にも集中して聞かなければ。それでも幸いだったのは、紙資料が結構配られて、内容はハードのデモンストレーションと、事業戦略といった比較的わかりやすいものであったことだ。しかしそれにしても、登壇者が変わるたびに席を立ち、カメラを構えて撮影する、大きなお腹の記者の姿は相当に目立っていたことだろう。

会見後はプレゼンされたデモ機の撮影を手際よく済ませ、その場を退散。それからまっすぐ家に帰り、しばらく休憩。取材後に、人と会うことになるかもしれなかったので、原稿締切時間をいつもより遅く見積もって先方にお願いしていたぶん、ゆっくりと休憩することができて、結果的に助かった。

家に帰って、倒れこむようにソファに横になると、結構お腹が張っているというか、固くなっていたが、しばらくして、ヨーグルトなんかを食べたりした途端、もとに戻り、胎動も活発に。

以前は、ボコボコって感じの胎動だったけれど、最近はグリグリって感じで、皮膚を突き破って飛び出してきてしまうのではないかと思うほどに力強い。横になっていると、外側から見ても皮膚が内側から波打っているのがわかるほどで、まるでホラーか鬼畜映画のようだ。

いつものように原稿を上げ、先方に送って、後はひたすら横になる。最近は下階のソファで寝ることも多かったのだけれど、同じ姿勢がちょっと辛かったので、久々に屋根裏のベッドで眠る。だけど、なんだか息苦しくて、2,3時間は眠れず。

調子がよかったり、急に悪くなったり。妊婦というのは本当にコントロールが難しい。ここ最近、急に暑くなったり、肌寒くなったり、そういうのも多分、影響しているのだろう。

なにはともあれ、来週からは9ヶ月目に入る。妊娠を自覚して、まだ一ヶ月未満だけれど、さすがに今は、ふつうではない自分の身体を認識する毎日。いくら頑丈な身体であっても、やはりふつうとは違うのは確か。とはいえ、今日も電車の中でご婦人と話していたけれど、今のところ、時々しんどいときはあるけれど、つわりとか、マタニティーブルーみたいなのもほとんどない。吐いたことは一度もない。このまま順調に出産できるといいけれど。多少私自身の身体がしんどくても、ジェダイにさえ問題がなければ、それで十分。

dimanche, juillet 16, 2006

Allons à la fête!

『祭りへ行こう!』

今朝の再配達で、待望の扇風機が届いた。やっぱり冷房の冷たい空気よりも、爽やかな自然風のほうがいい。今日の東京のお天気は曇りがちで、それほど暑くはないけれど、じめじめとした空気をかき回してもくれる扇風機は、この夏、予想以上に大活躍してくれるかもしれない。

「ジェダイのパパに会いたい」と、ここで打ち明けたその翌日、ネットで久しぶりに彼と会話した。数日前に送ったメールはちゃんと読んでくれているようだけど、「まだ返事をしていない」とのこと。今までと変わりない他愛もない会話から話が“核心”に掠り始めると、私たちは途端に言葉を失う。お互いに何を話していいのかわからない。おそらく、しばらくはそんな状態が続くだろう。でも筆不精な彼だけど、返事を返そうという意思があることがわかっただけでもよかった。

昨日は、日本でバカンス中のフランス人の友達を靖国神社の「みたままつり」に案内した。前日に行った友達からは、人多すぎで身動き取れない状態だし、将棋倒しにでもなったら危ないから、妊婦にはお勧めできないと言われていたけれど、約束もしてしまったし、相手にも私が妊娠していることは説明してあったので、最悪、とっとと引き上げればいいやと思って、出かけてみる(まぁ、それでなくても根性なしのフランス人はこっちが言い出すよりも前に、人ごみと暑さに挫折してしまうとは思っていたけれど)。

待ち合わせの前に、編集部へ少し立ち寄る。休日なのでもちろん誰も居なかったけど(安心した……)、請求書を提出して、マタニティー用の洋服を譲ってくれると言ってくれたデザイナーさんの席に寄って、荷物をピックアップ。いただいたものは、ふつうの洋服でマタニティーにもなるという大きめのサイズのものだったけれど、さすがはデザイナーさんのお洋服なので、センスがいい。ただでさえ、まだ完全には引越しも終わっていなくって、バタバタとして洋服を買いに行く暇もこれまでなくて、着るものに大変困っていた挙句に、妊娠発覚。本当にありがたいお話。これでこの夏は、こないだ買ったものと合わせて、外出着も十分に足りるだろう。夏だから、汗もかくし、数枚の着まわしだと洗濯も大変だったので、家事も大分楽になりそう。

九段下の駅前で待ち合わせて、さっそく靖国神社へ。早めの時間帯だったせいか、人出は大したこともなく、かと言って閑散としているわけでもなく、ほどよい祭りの賑わいを感じさせる程度だった。屋台や見世物小屋、日本舞踊、邦楽の演奏会などを見物しながら、境内をぶらりと二時間ほど。あまりの暑さに、途中食べた久々のかき氷は、身体に悪そうだけど、思わずどぎつい色したシロップを掛け放題でたっぷりと。

それから、近くのファミレスでしばらく避暑。日が暮れ始めたあたりから、神輿が始まり、盆踊り、阿波踊り、なぜか「青森ねぶた」を見たりして、日本の夏の風物詩をフランスからの旅人に紹介しながら、堪能する。

お祭りのもうひとつの醍醐味といえば、屋台。いくら暑くても食欲を誘う、あの雰囲気は本当に不思議だ。でも妊婦である今は、やはりそれらに思う存分に手が出せないのが残念。ミニサイズのお好み焼きをひとつと、友達が食べていたやきとりを少しだけ分けてもらって食べた。あといちばん困ったのが実は飲み物。うっかりしていて、水を持参するのを忘れていて、屋台でなにか買おうと思ったけれど、アルコールとカフェイン系飲料はパス。あとはコーラとか、糖分の多そうなジュースとかで、なぜかミネラルウォーターが売っていなかったので、とりあえずその場は我慢することに。でも本当はもちろん、ビールがいちばん飲みたかったのだけれど。

お囃子の音を聞きながら、石畳の境内を歩いているとき、「あぁ来年はジェダイと一緒かな」とかって考えていた。いや、今年も一緒なんだけれど。そんなジェダイは、時々お腹のなかで、めいっぱいお囃子を立てていた。

前日はちょうど、フランスは「革命記念日」。シャンゼリゼを戦車がパレードする映像をネットのテレビでずっと見ていた。あぁ、去年も一昨年もこれに参加していたんだなって思いながら、約2年というフランスでの日々に思いを馳せて。果たして私にとって、その2年というのは長かったのか、短かったのか。でも今は、ジェダイという存在により、それは完結ではなく、継続の日々に変わったのだ。

vendredi, juillet 14, 2006

Le monde ne serait pas une unité?

『世界はひとつにならないのか?』

今朝は変な夢を見て目が覚めた。

パキスタン人とのハーフという男性が現れて、しばらくストーカー的行為に悩まされるのだけれど、その人はジェダイも含めて、私のすべてを好きになってくれたことがわかり、次第に心を開き始めるのだけれど、最後に「でも私はどうしても忘れることができない人がいるの」という台詞で終わるのだ。

目が覚めて、「あぁ私は一生彼のことを忘れることはできないのだろうなぁ」って思った。この先どうなるかはわからないけれど。ジェダイが居る限り。

今までだったら、どうしても忘れられない人や出来事というのを、時には場所を変えたりして、そして新しい出会いによって塗りつぶしていくように、自分の心から消去していった。そしてやがてそれらは、過去のいい思い出か、振り返ってはならない過去として、自分のなかでなんとなく消化をしてきていたように思う。多分、他の誰もと同じように。

でも今回は、そんなふうにはいかないんだと思うと、悲しくて涙が溢れ、その行き止まり感にどうしようもなさを感じて、やがてそれは嗚咽に変わっていった。

一時的に連絡を絶つ一方で、素直に彼に会いたいと思った。ちょっと前までは、7月に入ってBフレッツが回線したら、ウェブカメラで話をしようねと言っていたところだったし、9月には彼の国に行って、会えるはずだった。

折りしも、わが国のプライム・ミニスターは中東を訪問中で、テレビでエルサレムの映像を目にするたびに、「私が代わりに行くのに」って思ったりもした。ホロコーストの犠牲者を祭った記念館に花束を持って訪れている小泉さんを見て、あぁ私もいつかその場所にジェダイを連れていかなければならないと思った。アウシュビッツの悲劇なんて、昔は遠い国の歴史上の過去の出来事だと思っていたのに。

彼と一緒に過ごしていたときも、民族問題の話になると、私には語る言葉がなかった。頭では一生懸命に理解をしようと、私なりに調べたりして勉強もしたけれど、やはり今も心では理解することができていない。アイヌを除き、単一民族国家と呼ばれる国に生まれ育ち、迫害や外国からの侵略でさえも歴史上経験したことのない国の血を引く私にとっては、その心象に決定的に近づくことができない。

だけどこの先、ジェダイがアイデンティティーという自我を持つ年頃になったとき、私は母としてそれに答えてあげなければならないのだ。

リール時代の友人で、兄弟のように(彼のほうが年下だが、先日彼からは「妹のように思ってる」と言われてしまった)仲のよかった男友達がいるのだけれど、彼は私の妊娠がわかる前に話したとき「僕はいつになったらフランス人と言えるのだろう?」という、彼ならではの苦悩が語られた。

彼は母親がポーランド人とイタリア人のハーフで、フランス人の父親の血を引く、国籍上はフランス人だ。前々から、多様な文化を受け入れる彼の人格はそうしたルーツにあるのかもなぁと感じてはいたけれど、思わぬ告白に、どう答えるべきか、少し迷った。

「あなたがフランス人だと思っている限り、紛れもなくあなたはフランス人じゃないの?」

人によっては無責任な答えに取られてしまうかもしれないが、私にはそんなふうな言葉以外に見つからなかった。

そんな彼だから、私がジェダイの存在を知ったとき、すぐに彼にはいろいろな相談をした。というのも、ほんの少し、ジェダイと境遇が似ているぶん、彼なりの考えやアドバイスを聞けると思ったから。

当初私がいちばん悩んでいたことは、ジェダイが自分の出生の事情が世間一般とは少し外れてしまうことで、母や父を恨みはしないかということだった。でもその友達が、お母さんのことをとても愛しているし、大切にしていることを前々から知っているし、その後彼が私にかけてくれた言葉の数々に、私は責任は重いながらも頑張ってジェダイを育てていこうと固く決意できたのだ。

でも、その友達ともうひとりよくつるんでいたイスラム系の友達の話になって、私と彼のことを話したら「『あぁやっぱりユダヤ人だ』って言うと思うよ」と言われて、本当に心苦しい思いだった。

L'été, comme une fille.

『“女子”としての夏』

今週に入ってから、本当に暑い日が続いている。ただでさえ、久々に迎える日本の梅雨で、耐え難いことなのに、今は妊婦。家でじっとしているだけでも異常に汗をかく。冷房はあるけれど、もともと冷房は苦手なほうだし、妊娠していることを思うとできるだけ自然の空気の中で過ごしたいとも思う。それに、まだ冷房は使っていないけれど、天井が高いのと、カウンターキッチンなので、どうしても冷気を密閉できないから、使ったところであまり効かないような気もするし。というわけで、さっそく先ほど、ネットで扇風機を購入した。

昨日は友達と久々に池袋へショッピングに出かける。お互い自由業者だから、なかなかスケジュールは立てにくいけれど、バーゲン時期にもかかわらず、こうやって平日に人ごみを避けて、買い物を楽しめるというのはメリット。

最初はマタニティーとかベビー服とか見に行こうかと言っていたけれど、私としてはごくふつうにショッピングを楽しみたかった。帰国してからは、新生活に必要なものを買い物するばかりで、ブラ~っとあてもなくショッピングを楽しむことがなかなかできず、いい加減そういう楽しみ方もしたいと思っていた。でもそんな矢先、お腹に赤ちゃんがいるとわかって、今度はそっちのお買い物。でも今は自宅に居ながらネットでも買い物が簡単にできる時代だから、そちらはなんとかなるだろうから、今回は実際にお店に行かなければ楽しめないショッピングに集中することに。

日本も先週からバーゲンが始まったので、かわいい洋服や靴なんかが半額とかでいっぱい売っている。でも今夏はそれらを思うように買えないので、ちょっぴり残念。タイトな洋服や、ヒールのある靴は買ったとしても、今は着用できない。でもショッピングって、買うのが目的じゃなくて、実際に手にとって、自分でいろいろイメージを膨らませたりして、やっぱり見ているだけでも楽しい。

あとは雑貨もたくさん見たり。最近紫外線がきつくて外に出ると目が痛かったので、安いサングラスを購入。本当は濃い目のレンズのほうがよかったのだけれど、最近そういうのって“西部警察・石原裕次郎系”なのばっかりで、気に入ったのがないので、レンズは透明だけれど、UVカットをしてくれるものにして、“時東あみ”を目指してみるのもよかれと一瞬血迷ったが、イメージは育児に頑張るママ。あとはエスニック系の雑貨屋でマタニティーにもなるようなワンピースを買っておく。無印とかでもシンプルにマタニティーとしても着れるようなものがあったけれど、おしゃれ着っぽいのがいいなぁと思っていたので、即買い。それになんと言っても、インド綿なので涼しくて着心地もよさそう。

締めくくりは、YAMAYAで輸入食材のお買い物。重くなるので、そんなにたくさんは変えなかったけれど、バルサミコとかがかなりお安く手に入り、大満足。フランスに居たときは、そんなに高いもんではなかったので、やっぱりオリーブオイルとかワインビネガーとかそういうのを、思う存分ドバーっと使っていたのだけれど、日本に帰ってきてスーパーとかで見かけるそれらは高級食材で愕然。あとはずっと探していたミントティーも発見。実はチュニジアで茶器を購入してきたのだけれど、肝心のミントティーがなかなか見つからなかった。たまに見つけたと思っても、それは紅茶にミントのフレーバー付けがしてあるだけで、あくまでフレーバーティーであり、私が探すミントティーではなかった。ところがやっと「内容量:ミント葉100%」のミントティーを見つけた。YAMAYA最高! イカ墨パウダーも買っちゃえ!!

実は百貨店、ベビー服もちょっと見てみたりした。先日、西松屋という専門店へ出向き、その質実剛健なラインナップに、フューチャー・ママンとしての夢をちょっぴり打ち砕かれてしまったのだけれど、やっぱりデパートはちょっと夢がある。ブランド服は高いけれど、やっぱりかわいいし、素材も優しそう。私も子供のころは、母の着せ替え人形と化し、いろんなメーカーの服を着せてもらったけれど、自分が着ていて、どのブランドが着心地がよかったかを、実は子供心に記憶していたりするから、予算が許す限り、ジェダイにも心地のよいものを着せてあげたい。でもまぁ、子供はすぐ汚すし、きっとそんなことは当分言ってられなくなって、西松屋へ飛び込んだりするんだろうけれど。

ところで一緒に買い物につきあってくれた友達は、ベビー服も見に行こうと言っていたので、妊婦でもないのにマタニティーふうの装いをしてきた。っていうか、ふつうのワンピースを着てきた私よりも、彼女のほうが妊婦っぽい。二人で歩いていると、妊婦同盟っていう感じ。っていうか、ホントに愉快な女の子。

そんなわけで昨日は、お茶もせずに、夜まで目いっぱい遊んだ。これから臨月に入ったりして、そんなに体も動かせなくなるだろうし、その後ジェダイが生まれたら、それこそこんなふうな自分の時間をつくるのも難しくなってしまうだろうから、今のうちにこんなふうにひとりの生活も楽しんでおこう。

そういえば、昨日は一度も圧迫されたような胸の苦しみを感じることはなくて、調子がよかった。そろそろジェダイも所定位置を決めて、子宮も下に降りてきたのだろうか? 先週としたら、胎動も少し落ち着いてきたような気がする。あの腹が内側から爆発するのではないかというほどの蹴りが少なくなって、それはそれで少し寂しい気もするけれど。

mercredi, juillet 12, 2006

Un bébé, c'est peut-être un magicien.

『赤ちゃんって、きっと魔法使い』

相変わらず、妊婦の心と体の変化の凄まじさに驚愕の日々を送っているのだけれど、シャワーを浴びるときにじっくりと自分の体を見て、特に妊娠を自覚して以来の変化は本当に驚異的だ。ただ急激な変化というのも母子ともに負担がかかって問題かもしれないので、どうしたもんか。果たして8ヶ月というのは、こんなものなのかやや心配になる。それにしても、人間というのはいかに「意識」によって支配された生き物なのかということを思い知る。

体の変化としては、ただ単にここ数日、暑いせいだけなのかもしれないが、やはり代謝が激しくてよく汗をかくようになった。もともとは夏でもあまり汗をかくほうではないのだけれど。それに汗をかくせいか、明らかに体臭が変わった。まぁこれも、今までは菜食中心だったのが、心して肉類や魚類、たんぱく質、乳製品を摂取するようになり、食生活の変化のせいもあるだろう。明らかに「肉食」の野性的なにおいが自分から漂っているような気がする。

心の変化としては、母性本能ということになるのだろうが、実はいまだに自分でもこれを母性と呼ぶのかどうかははっきりしていない。多分、もともとは平均的に人と比べて、際立って母性本能が強いわけでもないわけでもなかったと思う。子供に関しても、特別好きというわけでも嫌いというわけでもなく、いたってニュートラル。「かわいいな」って思ったり、「くそガキ!」って思ったりというのは、相手によるという感じで、今もそうだけれど、子供は苦手でも得意でもない。ただはっきりしているのは、今まで苦手だったというか、受け入れがたかったのは、子供を目にすると「私、母性本能に溢れてます!」って、全開でオンナ度をアピールする独身女性のほうだったかもしれない。なんかそういうのをあからさまに傍らで目にすると、出遅れたっていうか、ちょっと引いてしまって、子供に対する関心が一気に冷めてしまうことが多かった。

だから母性ということに関しては、理屈を抜きにして、手放しに目の前の小さな存在を愛しいと感じることだと定義するとしたなら、多分、確実にそれに目覚めてきているのだろう。ジェダイの存在を意識して以来、不思議なくらいに自分のなかでのいろんなプライオリティーが入れ替わった。昔はこだわっていたことや、気になっていたことが不思議なぐらいどうでもよく思えるようになり、いろんなことを先の長い目で考えるようになったと思う。

既に子供を出産した、昔からのある友達は、出産した後もなかなか母性を感じられずに、それはそれで悩んだという。しばらくは「これからずっとこの子のお世話をしていくのかー」って思うと呆然としてしまったそうだ。それが今では本当にいいママになってしまっているのだけれど、思うに、母性を感じないというのはそれはそれで、母親失格ではないだろうか? と感じたり、辛いことだと思う。

そういう意味では、自分はごく自然に子供を持つことを受け入れられたように思う。20代で果たしたかった夢を自分なりに叶えてきて、日本に戻ってからは次の目標が見つからずに、ちょっと抜け殻のようになっていた面もあったので、次の大きな課題を与えられたようでもあり、あくまで自己中心的に物事を考えるとしたら、自分としては幸せだった。

それにあっという間に母親としての自覚をせねばならず、人からは大変なように思えるかもしれないが、逆に言うと、あれこれと悩んでいる暇もなく、現実的に物事を考えていかなければならないので、そういう意味での辛さは人より薄いかもしれない。というか、私の性格上、これが早い段階でわかっていたとしても、出産までとても待ちきれなかっただろう。順調に行けば、わずか2ヶ月ちょっとで我が子と対面できるなんて、なんて幸せなんだろうとも思う。

今日は午前中、通販で注文していたローテーブルが届いた。新居探しから始まって、引越しやら、足りないものをいろいろ買い足したりしてきたけれど、これでだいたいが揃った。そしてこれからはジェダイを迎える準備もぼちぼちしなければという感じ。配達に来てくれたおじさんに「ホントに暑いですね~」と声をかけたところ「でもお部屋の中だと冷房効かせてられるでしょ?」と言われたので、「いえ、今妊娠中なので、なるべく自然の空気のなかにいるようにしているんですよ」と返したところ、なんとそのおじさんも先月、お孫さんが誕生したばかりだそうだ。そして実は娘さんの最初の妊娠のときは、6ヶ月で流産してしまったらしく「当時は若かったから重いもの持ったりして無理しちゃったからダメになっちゃんだよねー。重いものとか持っちゃダメだよ。体大事にね」と言ってくれた。そして「お孫さんかわいいですか?」と訊ねたところ、「もうかわいいなんてもんじゃないよ! かわいすぎて殺しちゃいたいぐらい!」と、目じりを思いっきり下げながら、べらんめぇ口調で返ってきた。

あぁ、うちの両親もそんなふうに言ってくれるといいな。あともうちょっと、ジェダイを大事にしなくっちゃって改めて思った。本当は赤ちゃんってそんなにも弱弱しいものなのに、何度も思うけど、本当に強い子だ。

Il n'y a pas que ça dans la vie.

『人生ってそれだけじゃないさ』

夢の中でジェダイに会った。初めて産院に行ったとき、超音波写真でその存在は確認したけれど、画像のクオリティーとかもあって、それはまだ微かに人のかたちとしてわかる程度で(例えば、これが手、これが耳という程度)、それだけでも歓喜極まるのに十分だったけれど(あのときの何とも言えない気持ちは多分一生忘れないと思う。いきなり妊娠を告げられて、いろいろな説明を受けて少々動揺していたすべてが、それひとつで一瞬で吹き飛んでしまうのだ)、夢の中のジェダイははっきりと人の赤ちゃんの姿をしていた。でも彼は夢の中でもまだ生まれてはいなくって、子宮の中に居る8ヶ月の胎児の状態。水槽のような中で、プカプカと浮かび、心地よさそうな表情でスヤスヤと眠っているのだ。

そしてジェダイのパパにも会った。ここ一週間ちょっとは、彼との連絡を絶っているのだけれど、多分、私と話したくてイライラと待っているであろう彼に対してはいつも気がかりでありつつも、今は自分のキャパシティーを超えてしまいそうなことを懸念して、申し訳ないけれど自分とジェダイだけの世界に置かせてもらっている。だけど、昨日になってようやく、それらの言い訳や彼に一方的に伝えたいメッセージをメールに託して送信した。彼が夢に出てきたのは、そのせいかもしれない。

カレンダーを何気なく眺めていて、ふと気づいたのだけれど、ジェダイの出産予定日は、ちょうどイスラエルに遊びに行くつもりで居て、彼にも事前にそのことは伝えていて、久々に会えることをお互い楽しみにしていた。こうなる前の話のことだけれど、なんという因縁。

ここ数日は、休養を取りながら、適宜やるべきことをやったりしつつ、帰国後の報告をまだ済ませていなかった友人たち(国内外、国籍問わず)にようやく少しずつメールを書いたりしている。そして戻ってくるそれぞれの返事に懐かしさでいっぱいになったり、相手の近況を知り、安堵したり。それから、何より私の妊娠について掛けられる言葉の数々に励まされたり、感動したり。中には意外な個人的な告白を受けたりして、ショックを受けたり、悲しんだり。

実は昨日帰宅して、一通の封書を受け取った。差出人は、私より年上のお友達でいろいろと親しくしてもらったり、かわいがってもらっている女性。いまやメールでのやり取りで済んでしまうところを、先日敢えて住所を聞かれたので、いったいどんな内容が書かれているのか気になっていた。

温かみのある直筆によってしたためられたその手紙の内容は、私にとってはとてもショッキングな告白でもあった。というのも、実は彼女も何年か前に私と同じようなシチュエーション(環境が変わってすぐの出来事。そして未婚であったことなど)で妊娠を知り、悩んだ末に産むことを決意したものの、残念ながらその子に生を授けてあげられなかったというのだ。

ひとりの女性として、そして母になる覚悟を決めたひとりとして、友達として、いろんな思いが交錯し、その場で涙が止まらなかった。そして今の私だって、とりあえずまだ出産までは油断をできない状態だし、もし今、ジェダイを失ってしまったら……そんなことを思うと、当時の彼女の悲しみや辛さがシンクロして、胸が締め付けられるような思いだ。

そして彼女はこうも付け加えた。

「あなたならできる」

私が妊娠したと聞いて、「あぁやっぱりあのときの私にはまだその力がなかったんだ」と思ったということ。

ショックで寝込んでしまった私の母だけれど、彼女は私が今まで相当無理をして日本に戻ってきたことを振り返って、8ヶ月に入る直前まで母親に自覚されることもなく、それでもここまで順調に育ってきたジェダイに対して「でもね、お母さん『あぁその子はそこまでしてこの世に生を受けたいって思っているんだ』って思ったんだよね」と言った。

そう私自身も思ったことは、昨年の暮れに彼が旅立って、その後、予想以上に気力を失い、大変悲しい思い、辛い思いをしていたことも、ジェダイはお腹のなかで全部知っていて(多分私の次に理解していると思う)、それでも生まれてくることを選択したんだって。そしてパパのために私が流した涙の結晶となるべく、ここまで頑張ってくれているんだって。

他にも、結婚してしばらくになるけれども実は子供ができなくて、まさにちょうど不妊治療を開始しようと思っていたけれど、あまり気乗りがせず鬱蒼としていたところを今回の私のことを知り、勇気づけられ、パソコンの前で涙を流してくれたという友達。恋人の暴力のせいで、流産してしまったという、外国に居る友達……など、みんなふだんは平然と何事もないような顔をして暮らしているかのように見えて、実は自分の身近なところだけでも、こんなにもいろいろなことがあるんだということを知った。

そして、それがゆえに感じる、生命の尊さ。今まで自分が生まれてきたことを、当たり前のように解釈していたけれど、31歳にして初めて、頭ではなく、感覚としてその尊さを理解した。

昔、いじめを題材にしたテレビドラマのラストシーンで、いじめを苦に自殺した生徒を持つ担任の先生が、人の心の痛みをわからない、ロボットのような顔をした子供たちを前にして、卒業式の最後に放った台詞を思い出した。

「あなたちは生まれてきたということだけで、もうそれはとても尊いことなの。だから自分の命が大切なように、他の人の命も愛して」

増加する少年犯罪のニュースを耳にするたびに、胸が痛くなる昨今。ジェダイもこれからいろいろと競争社会の中で生きていくことになるだろうけど、母として、我が子には「属性」よりもまず「個」として、ひとりの人間として、周囲に惑わされることなくしっかりと、他人も自分も同じように思いやれる人間らしさを持った人間として成長し、生きてくれることを願うばかりだ。

mardi, juillet 11, 2006

Comment tu te seins aujourd'hui?

『今日のご機嫌いかがでしょう?』

今日は、午後から久しぶりの記者会見のお仕事に出掛ける。妊婦と言っても決して病気ではなく、かと言ってやはりふつうの体ではないので、そのコントロールがとても難しいのだけれど、やはり生活のリズムや心身のバランスというのは大切なので、できる範囲、できる限りでもうしばらく仕事は続けていこうと思う。

それにしても、今日の取材は予定時間よりもかなり短くてかなり拍子抜け。通常、記者発表とかっていうのはだいたい1時間程度というのが相場なのだけれど、事前の案内には2時間弱の予定となっていて、「ちょっと長丁場だな~」と思っていて、万が一に備えて久々にICレコーダーを持参する。私は取材記事を書くときは、その瞬間瞬間発せられる言葉からこちらが受ける熱意やインパクト、直感的な躍動感のほうを大切にしたいほうなので、基本的にはメモしか取らない。もちろん、一字一句拾い上げが必要なインタビュー取材のときは必ず録音と合わせて取材に臨むけれども。でも今はどうしたって急に気分が悪くなったり、集中力が途中で途切れる可能性もあるので、万を持していつもとは違う体制で臨まねばならない。

ところが、発表会はなんと30分で終了。「え?もう終わりなの?」って感じで、個人的には取材が早く終わって帰れるのはうれしいけれど、そんなんじゃ文字数ぶんの記事書けないよ……ってな感じで、私にしては珍しく会見後、会見者に直接取材。それでもトータルで40分ぐらいで終了。はっきり言って、移動時間のほうが相当長いよ……という仕事になってしまった。

というわけで、予定よりも取材が早くに終わり、自宅にも早く戻ってこれたので、そのまま1時間ほど昼寝する。今日は外は本当に暑くて、これは妊婦の体調以前に体力が消耗される。それに、瞳孔の色素がもともと薄いぶん、直射日光を浴びると本当に目が痛くなって、そのせいでも相当疲れる。外を歩いていた時間そのものは短いのに、この調子じゃ、これからはサングラスを忘れないようにしないと厳しいかも。

夕方、原稿を仕上げた後、近くのスーパーへ買い物に。妊娠を自覚して以来、自分でもびっくりするくらい食生活には気を遣っている。その効果なのか、お腹も急激に大成長。これまでの極貧生活から、ジェダイも栄養をものすごい勢いで吸収し出したようだ。母として急激に甘やかすのもよくないかな? とかって思ったりもするけれど、かわいい我が子のためならと健気に頑張る。だから最近は、塩分もお砂糖も極力控え、必要な栄養素はしっかり摂取しながらも、余分なカロリーはカットするように心がけている。特に妊娠後期というのは、妊娠中毒症が怖いので注意が必要。肉類は油をなるべく使わない調理法にして、塩分もカット。お醤油を使いたいところを、ポン酢とかで代用。お砂糖もはちみつにしたり、糖分が欲しくなったときにも、フルーツだとか芋類、小豆といった、そのままの成分で甘みを感じられるものをなるべく食べて満足感を得るように努力。あとはカフェインもよくないので、常用ではカフェインが少ないとされるプーアール茶を薄めて、ハーブティーを取り入れて気分転換も兼ねたり。

自分でもホント、ここまで努力できるもんだとちょっと驚くけれど、そんなことでジェダイが元気に生まれてきてくれるなら、お安い御用だ。

そして、家計的な努力も。火曜日はお肉のポイントが5倍の日。レジ袋不要なら+2P。でもこれって、フランスの場合、レジ袋有料のスーパーって結構多いから、私にとっては既に習慣だったりもする。そもそも、エコ的観点からのサービスのはずだし、日本でももっと定着させねば。というか、日本に帰ってきて毎回出すゴミの多さに驚かされる。そしていまや「燃えないゴミ」のほうが圧倒的に多いはずなのに、燃えないゴミの日の回数のほうが少ないのって、どういうこと?

lundi, juillet 10, 2006

On ne sait pas ce qu'il y avait pour lui et s'il en parlerait.

『彼に何があったのか、そして彼がそれを語るのか? 我々はそれを知らない』

昨日は気がついたらいつの間にか転寝をしてしまって、ちょうどW杯決勝戦でジダンが得点した場面で目が覚めた。それからはもう試合に釘付け。前半、イタリアに同点に追いつかれ、両チーム気迫みなぎるその試合に、にわかサッカーファン、にわかナショナリストながらも「さすがは決勝戦だな」と、決勝戦ならではの緊張感と興奮をここ日本で味わった。

結局試合は延長戦へ。動きそうで動かない試合に少々飽きかけて眠くなっていた矢先に、信じられない光景が飛び込む。主審がジダンに対して、レッドカードをかざしている。誰もがボールの行方を追いかけるなか、その視界枠から外れるところで起きたまさかの出来事に、おそらく世界中がどよめいただろう。

しばらくして、ジダン、頭突きの映像が流れ、ようやく事態を把握するが、真意のほどはわからない。でも瞬時に「あ、これはジダンに対して、なにか差別的な暴言が吐かれたな」と思った。

あまりにもあっけない世界的英雄の幕引き。コートの外では寡黙で穏やかな彼のヒューズを、決勝戦という大舞台、そしてサッカー人生を締めくくる特別な試合たることを忘れさせ、一瞬にして飛ばさせてしまった言葉はいったいどんなものだったのだろう?

後味の悪い結果、大英雄のこの終焉に対しては、失望したという声や無念さを嘆き悲しむ声など、賛否両論だ。結局、結果はイタリアの優勝。はっきり言って、チームの核を失ったフランスチームはその時点で既に優勝から遠のいていた。それでもジダン退場後も、最後まで一生懸命に闘い抜いた、チームメイトたちに対しては、個人的にはまずは心から拍手を送りたい。頂点に立てなかったことは残念だけれど、最後まで私たちに希望を与え、夢を見続けさせてくれたことを。

なにをジダンを狂わせたのか? まだ私たちにはわからないし、この先、彼の口から真意が語られるかどうかはわからないけれど、試合終了後もしばらくフランスが抱える民族問題とかを考えて、しばらく眠ることができなかった。

リール時代は、ジダンと同じアルジェリアやモロッコ、エジプト系移民2世のフランス人の友達もたくさん居た。いつもは明るく楽しくて、陽気に極東からやってきたちょっと風変わりなお友達を受け入れてくれたけれど、時々吐き出される彼らの本音には、そのたびにいろいろと考えさせられることが多かった。

正直、私のフランスへの憧れというのは、パリのスノッブな雰囲気では決してなかった。旅行で訪れるたびに感じる、いろんな民族、国籍の人が集まって生み出される、多種多様で躍動感のある文化だった。そう、王国でもなく、ましてや帝国でもなくて、「République(共和国)」への憧憬。

そして、最初に住んだリールという街は偶然にも、ド・ゴール将軍という第五共和制という、今のフランスの国の基礎形態を築いた人物の出身地。さらに、奇しくも彼の生家は、私が住んでいたレジデンスから100歩ほどのところにあったのだ。

そしてそんな街で、当時、実家はリールだけれど、パリに住んでいた、ジェダイのパパと出会った。しかも、私にとっては友達の友達、彼にとってはたまたま遊びに来ていた友達の家の隣人宅で開かれていた誕生会という、なかなか出会うはずのない場所で。

その後はいろいろあって、本当に辛かった時期もあったけれど、そうやって辿り着いたのが、今私のお腹になかに居るジェダイ。だから私にとっては、誰がなんと言おうと、ジェダイは特別以上の存在なのだ。

dimanche, juillet 09, 2006

Au secour!

『ヘルプ!』

昨日ちょっと遠出をしたせいなのか、蒸し暑い天気のせいなのか、今日はここ数日のなかでも体調が優れない一日だった。とはいえ、一日中具合が悪いというわけではなくて、「死にそう~」って唸っている時間はたいてい30分以内。それが今日はちょっといつもより頻度が高かったという感じ。

それにしても、妊婦のこの辛さというのは、経験したことのある人でなければ絶対わからないだろうと思う。実際、私も話しに聞くのと想像と、そして実際とでは全然違った。もちろん、個人差はあるのだろうけれど、現状、私が苦しみ悶えているときの状態をあえてたとえるなら、酸素ボンベなしに水深300メートルの海に30分とか沈められる感じ(実際そんな経験はないけど、あくまでイメージ)。あぁこれで意識を失ったら、溺れ死んでしまう……というような生死を彷徨う寸前の状態。でもこれが収まると、なにごともなかったように元気になるのだ。

既に出産を経験した友達は「一生のうちで妊婦がいちばん辛いと思う」って言ってたけど、激しく同感。だけど、みんなそうやってお母さんから産まれてきたんだから、ぜひ今一度お母さんに感謝してほしいと強く訴えたい!

というか、本番はまだこれからなのだけれど。

今日はこないだ遊びに来てくれた友達からもらった、漫画家が自らの出産体験を描いたオムニバス漫画を読んでみた。っていうか、出産のときの逸話があまりに痛い話ばっかりで、かなり萎える→今日は半分読むのでお腹いっぱい……。

今までジェダイを授かったこと、育てることとか、将来のことばっか考えてきたけれど、「その日」についてはあまり考えることはなかった。というか、なんだかんだ言っても、みんななんとか耐えてふつうに産むんだから大丈夫でしょう? ってぐらいに甘く思っていた。

だからこれまでは、自然分娩か無痛分娩かっていうのは、まぁ直前にビビったら無痛分娩にしてもらえばいいし、大丈夫そうだったら自然分娩で頑張ってみようと思っていたけれど、俄然、無痛分娩に気持ちは傾く。どうやら無痛分娩にしたって、陣痛とかは相当痛いわけだし、今、妊婦の状態で時々苦しくて「死にそう~!」ってひとりもだえているそんな自分が果たして本番を耐えられるのか、一気に自信がなくなった。

それにしても、いろんな人の妊娠、出産体験談を読んだり聞いたりしてみると、みんな結構つわりとか、妊娠初期に切迫流産になりかけた人が意外に多かったりして、大変だったみたい。それを思うと、自分はまだ今のところ軽症なのかなって思う。っていうか、8ヶ月に入る前まで気づかないその脳内と神経のほうが重症なのかも。

Comment tu t'appelles?

『お名前なんて言うの?』

8ヶ月に入る直前にして、妊娠がわかって以来、周囲からよく「性別ってもうわかるの? 生まれる前に聞く?」とかってよく聞かれるのだけれど、私としては本当にどっちでもいいというのが正直なところ。それは、男の子でも女の子でもどっちでもいいっていうのと、生まれる前に性別を聞くのも聞かないのも、両方ともどっちでもいい。これが二人目以降だったりすると「今度は女の子がいい」とかっていうのもあるんだろうけど、ひとり目というのはとにかく新しい命が誕生するということ自体がもう神秘で、奇跡的なことであって、そんなことはもう次元の違う話なのだ。

ただちょっと思っているのは、実務的なレベルでひょっとしたら事前に性別を尋ねるかもしれないということ。それはベビー用品の準備のためっていうわけでもなく(そんなものは後でもなんとかなると思う)、やっぱりいちばんは名前を考えるうえで。

ジェダイは、純粋な日本人ではないわけだし、やはり名前の付け方にはふつうよりも気を遣う。私としては、日本でもフランスでも、国際的に通用する名前を付けてあげたいと思っている。実際、私の名前も「将来国際的に通用するように」という思いを込めて、日本でも外国でも通用する名前を付けてくれたのだ。

日仏ハーフということで、有名人の名前とかをいろいろと思い起こしてみたのだけれど、例えば「滝川クリステル」なんかは、日本名は「雅美」で仏名が「クリステル」。でも私としてはややこしいので、できればジェダイには日仏両用の名前を付けてあげたいと思う。

そんなわけで、「名づけサイト」みたいなものを探してみたら、日本同様やはりフランス語でも結構ヒットした。

フランス人の名前は、宗教や出身(移民系の場合)によって一概には言えないのだけれど、一般的にはキリストの聖人の名前を付ける場合が多い。だから日本人からすると、本当にバラエティーが少なくて、特に「ジャン」とか「ピエール」いう名前なんて腐るほど多くて、「えっ? ジャンってどのジャン? ジャン・ポール? えっ? ジャン・ピエール?」なんてあえて尋ねることは日常茶飯事(ちなみに「ジャン」=「ヨハネ」、「ジャン・ポール」=「ヨハネ・パウロ」のことだ)。

日仏両方で通用して、古臭くなくって、かと言ってあまり突飛ではない名前で、ちゃんと意味があって、さらにジェダイ・パパはキリスト教徒ではないから、宗教色がない名前で……とかって思うと、本当に悩むところだ。

それでも女の子だったら、自分のなかではいくつか候補がすぐに浮かんでいて、問題は男の子の場合だった。でもフランス版名づけサイトを参考にしながら、いくつかをピックアップ。これからも出産まで、そんなふうに思いつく候補をリストアップしていき、最終的には生まれてきたジェダイの顔を見て、そのなかから判断したいと思う。

性別を事前に尋ねるかどうかについても、自分が訊きたいと思えば……という感じで、自然の流れに任せたい。なにより、インスピレーションを大事にしたいから。

Une journée d'une prè-maman.

『ある妊婦の一日』

妊婦としての生活パターンにもだいぶん慣れてきた昨今。これまでは少々無理しても自分としては大丈夫だったけれど、お腹に子供が居ると思うと、心して「無理をしない」ようにしなければならず、だからと言って病気なわけでもないし、でもやっぱり体への負担はふだんとは違うし、そのへんの加減をどうしていいのかがなかなか難しかった。

最近わかってきたことは、現在の私の体力は通常のだいたい7~8割程度と思っておけばいい。これが妊婦だと自覚する前は、10割出せない自分がもう本当にもどかしくて、それがフランスでの生活中のブランクや年齢のせいだと思っていて(多少はそれもあるだろうけど)、少々焦ってもいた。

でも今は、どうしても内臓が圧迫されて息苦しくなったりしたときには、どうすればいいのか? どういう状態でどう休憩を取るべきなのか、ということがなんとなく感覚的につかめてきたような気がする。そして、だからと言って、一日中横になってばかりだと、やっぱり調子が悪くって、適度に家事をしたり、外に出たりして、気力が充実しているほうが体調がよいということも。

そんなわけで、前日は自宅から一歩も出ず、一日のんびりと過ごしていたので、気分転換も兼ねて外出することに。というか、これまで相当アクティブに移動をさせられていたジェダイも、急にあまりに静かになるよりもこれまでのように適宜外に連れ出してあげなければ、急に環境が変わって不安になってしまうかもしれないし。

というわけで、昨日は、ベビー洋品店へ初デビュー。いろいろ調べてみたら、「西松屋」っていうのが圧倒的に安いらしく、うちからも歩いて行けなくはないところにあるようなので、散歩がてらに行ってみることに。

自宅から妊婦歩行ペースで30分強なのだが、目的地までの往路はのぼり坂で、緑豊かな幹線道路をひたすら歩いていくのだけれど、目的地にたどり着くまでの体感距離は結構長く感じられて、途中何度も挫折しそうになったけれど、ようやく西松屋の看板が見えて「おぉっ! これが西松屋か!」とちょっとうれしくなる。

しかし、いざ一歩足を踏み入れてみると、実は「ふーん」って程度。ベビー服とかを見て、もっと心躍らせている自分をイメージしていたのだけれど、実際はなんだかビニールに覆われたベビー服がズラっとかけられている感じで、なんだか「婦人洋品店(“しまむら”とか)」の安売りコーナーみたいな感じが購買意欲をそそらない。というか、手に取ってみる気さえしない。まぁそれは、まだジェダイが男の子か女の子かもわからない状態で(自分のなかでは男の子だとかなり確信しているのだが)、実際産まれてきたら変わるのかもしれないけれど、個人的には通販のカタログとかでベビー服やベビー用品を眺めているほうが、わくわくして楽しい。というか、既に出産も近くなった妊婦のうちはそんなバーゲン品の山のような中から、お気に入りの一点を探すというのは現実的に無理というのが私の結論。体力的にも気力的にも。それから、出産まで、体力づくりも兼ねて時々ここへ通ってみようかとも考えていたけれど、ちょっと散歩というには遠い距離だし(実際の距離よりも途中で辛くなったときに引き返せなくなることを考えるとちょっと心配)、そんなに面白くもないので、やっぱり近くの100円ショップ巡りをする程度がちょうどいい(近所だが、店自体のフロア面積が広いぶん結構な運動になる)かなと実感。


そんなわけで、最近お腹が目立ってきたこともあり、妊娠線予防クリームだけを買って帰る。ついでに途中にあったユニクロで、部屋着を買い足す。さすがにワンピースタイプのものじゃないと、家に居るときはしんどくなってきた。

vendredi, juillet 07, 2006

Et on repete...

『そして繰り返す』

今週後半は完全休息日。この2週間は、本当に公私ともに慌しかった。

そして実は今週は彼との連絡を自ら絶っている。とりあえず事実を伝えるという第一の使命は果たした。お互い混乱している状態で、噛み合わない話を続けるのは双方を傷つけるだけなので、ちょっと時間が必要。相手の出方によってはやっぱり私もどうしても感情的になってしまうし、なにより疲れる。とりあえず仕事のほうも切れ目がついて、両親とのさしあたっての話し合いも済んだ。だから急がなければならないことがとりあえず落ち着いた今は、母子ともに少しの間、休息ぐらい取らせてもらっても許されるだろう。というか、母として今まで労わってあげられなかったジェダイに対する、せめてもの償い。とりあえず、今週いっぱいは、お腹のなかのジェダイと穏やかな時を過ごさせてほしい。

日本にテポドンが打ち込まれ、イスラエルは戦闘状態へ突入、緊張状態が高まる二国。そして、私たちのクロスポイントとなるその国は、W杯でチームが決勝に進出し、国民が沸き返る。

世界はひとつ。

時にとても近く感じたり、遠くに感じたり。
物理的な距離は、この際問題にならない。

Chères les enfants au 21ème siècle...

『21世紀の子供たちへ』

朝目覚めてまずは、W杯で青軍団が勝利、決勝進出のニュースを知る。これは素直にちょっと興奮。背水の陣という感じで予選もやっと突破したような、それこそその望みの薄さは、ブラジル戦を前にした日本と同じような状況だったのに、なんたる躍進。決勝進出しても一戦目の対戦相手が優勝最有力候補のブラジルで、「ま、決勝進めただけでもいっかー」って感じだったのに。野球派な私は、今までサッカーなんて興味なかったのに(それでも在仏時は野球文化というのがまったくないので、現地では強制的にサッカーやテニスにも興味を持つようにはなったけれど)、フランスチームの勝利にこんなに喜んでいる自分にちょっと驚く。いやいやこれはきっと私のなかのもうひとつの命、半分は本物のラテンの血が混ざった命のせいかも。

昨日は午前中から、29週目にして2度目の産院。これまでの遅れを取り戻すべく、一度にたくさんの検査を受けなければならなくて、行く前は内心意気込んでいたけれど、よくよく考えたら、検査と言っても基本的には採血と検尿を使いまわして行われるので、自分がやることってそれぐらい。あとは検査薬とかをそれぞれ使って調べるだけの話だ。

とはいえ、検査は貧血の検査、各種感染症など、本当にたくさんあって、先日初めて駆け込んだときは、「陽性です」って言われたことよりも、妊娠から出産までにやらなければならないことの多さのほうに動揺した。そして妊娠、出産は保健がきかないので、それなりに費用もかかる。ひとつひとつはだいたい1000円ぐらいから5000円程度なのだけれど、それらを一度にとなるとやっぱりあっという間にお財布から万札が消えていく。妊娠登録をした時点で、母子手帳と一緒に検査無料券が区から配布されるのだが、23週で行われる梅毒とか3種類の検査が無料になる券が、その週を過ぎているともう利用できないらしく、自己負担。「がーん、これで7~8000円は浮いたのか……」とかって一瞬思ったけれど、まぁ今の今まで通院していなかったのでそのぶんの診察料(うちの病院だと1回4000円)が浮いてるから、±ゼロになるか、下手したら経済的だったかもなぁ……などと、親思いなジェダイを愛しく思うバカ母。

なにはともあれ、結果は2週間後なので、まだなんとも言えないけれど、すぐに結果が出た貧血検査は問題なし。超音波による検査でも、胎児も順調に育っているらしい(もう1.5キロもあるらしい)。先日ちょっとお腹が張ったということを話したら早産を心配されたけれど、産道が短くなっていたり開いたりしたりっていうのもとりあえず大丈夫とのこと。まわりからしきりに重いものとか持っちゃダメだよって注意されるけれど、「あぁそうか、重いものもつとお腹に力入っちゃったりしてイキんじゃって、お産を早めてしまうかもしれないんだ」って、初めてその理由を自覚する。体重は2週間前より少し減っていたけれど、妊娠後期というのは体重はそんなに増加しなくなるらしいし、異常な体重増加は妊娠中毒症のおそれがあって、かえって危険らしい。それにしても、2週間で明らかにお腹も大きくなったのに、体重が減ってるなんて、相当ジェダイに栄養摂られてるんだなって思う。確かにお腹以外、特に腕とかがすごく細くなってしまった気がする。

次回まだ少し検査が残っているけれど、とりあえず私としては第一関門突破。というのも、実は私は「採血」が本当に苦手で、恥ずかしい話だけれど、これが嫌で会社の健康診断も密かに欠席していたほど。でも今日は先生に「今まで採血で気分が悪くなったりしたことはないですか?」って事前に聞かれて、「あります。実はとっても苦手でちょっと心配なんです」と正直に申告したところ、「それじゃ、横になったままやりましょう」と言ってもらって、診察台に横になって採血してもらった。予想どおり、しばらく気分が悪くなり、その後の超音波検査のときも、横向きの姿勢のままやってもらうことに。モニター越しに元気なジェダイを確認して、ほっとして気が抜けたのもあってまた気分が悪くなり、診察後もそのまましばらく横にならせてもらった。

受付で帰りにお金を払うときに、いろいろと本をもらったりして、改めてママになることを自覚。そういえば、分娩予約金を払うつもりでお金を用意してきていたのだけれど、請求されなかった。今回検査代で随分払ったから、そのへん気を遣ってくれたのかな?? っていうか、お財布にお金がそうやって残ってしまうと、ついつい無駄遣いしてしまいがちなので、こっちから申告して払っておけばよかった。う~ん、お財布に残った現金は封筒に入れて、次回までしまっておくほうがいいかも。

午後からは昨日会えなかったお友達が家まで遊びに来てくれる。彼女には東京で家探ししている間にもしばらく居候させてもらったり、本当にお世話になりっぱなし。引越しを済ませた後もずっと家に招待したかったのだけれど、なかなか落ち着かなくて7月に入ってからと思っていたのをこんなかたちで。なんだかんだで1ヶ月ぐらいは結局会えていなかった。

彼女によると駅で待っている間、私がどんな表情でやってくるかちょっと気がかりであったらしい。でも目の前にすっかり見違える(!)妊婦姿で現れた私は、本当にいつものとおりで安心したと言ってくれた。彼女は私がいつでも子供は産めたら産みたいと前から打ち明けていた数少ない友達のひとりだ。妊娠の報告をしたときも第一声が「おめでとう!」で、こちらのほうがなんと答えていいかわからなかったぐらい。

それから、そのビッグサプライズの報告を受けて、彼女の旦那さんのほうが動揺してたとかって、なんだかちょっとおもしろい。そう、本当にお騒がせな私に対する周囲の反応は、おもしろいほどにタイプが分かれていて、男性でしかも子供を持っていない人がいちばんどう反応していいか困っている様子。でも、女の子はちょっと違う。それってやっぱり女性の本能であり、根本的な強さの表れだと思う。

昨日来てくれた友達も、これから妊娠、出産と続いていく女性。母になることの喜び、期待、そして現実、重圧、思いの丈を私なりに話せたと思う。

私自身は、人生には人それぞれいろんな選択があると考えているので、「女性として生まれてきたから絶対子供を産むべきだ」とは思わない。要はそういう選択肢が与えられているということをもっともっと正面から意識して考えていくことが大切なのであって、状況が変わることを恐れないでほしいというのが、今の私が言えること。

21世紀なんだから、人はもっともっと多様に生きてもいいと思う。
これから産まれてくるジェダイにもそんなふうに生きてほしい。

Le thèatre : Exposition -Le mystère de l'enceinte-

『劇団・妊婦“人体の不思議展”』

名古屋の実家から戻って、校了を終えた翌日は、やはり気力、体力ともに疲れを感じていた。ここ最近はホントにバタバタとした日々を送っていたので、久しぶりに池袋あたりにでもショッピングに出かけようかと友達を誘ったのだけれど、あいにく彼女のほうもちょうど締め切り前ということで、大人しく静養日に当てることに。というか、そうしておいて正解。当日は雨も結構降っていたし、目が覚めてみるととてもじゃないけれど、そんな人ごみのなかを動けるような状況ではなかった。

自宅にてのんびりと過ごし、たっぷりと体力を回復させたあと、近所のスーパーへ買い物へ出かける。月に一度の特売日だったので、野菜をいろいろと買い込み、家に帰ってそれらの冷凍保存作業に勤しむ。もう先週のようにバタバタすることはないだろうけれど、やはりこれからどんどんお腹も大きくなっていってなかなか家事も大変になるときもあると思うので、調子のいいときにできるだけ下準備をしておいたほうがいい。どんなに疲れていても、やはり食事を抜くことはできないし、これまでだったら面倒だからコンビニでスナック菓子とか買ってそれでとりあえず済ませばいいや……みたいなこともあったけれど、今はそういうわけにはいかない。一応一人暮らしだから、そのあたりできるだけ工夫をしておかなければならない。ネットで調べてみると、野菜類も下茹でしたりすれば、たいがいが冷凍保存が可能だということがわかった。一人暮らしだと、生鮮食品を買ってきてもなかなか全部使い切れなくてかえって割高になったりしてしまうのが悩みの種だったけれど、冷凍しておけば保存もきくだけでなく、下準備してあるので使いたいときにさっと使えるのがいい。妊娠後期は、とにかく量や回数よりもバランスを考えた“量より質”を優先すべきらしいので、いろんな食材を摂取するように心がけなければならない。でもこうしていろいろと買い揃えると、旬の食材ってやっぱり美味しいなって思う。

あとは今まではあんまり間食とかをするほうではなかったけれど、最近は食後に甘いものが欲しくなったりして、随分と味覚が変わったと思っていた。でもそれはどうやらジェダイのせいだったみたい。そうそう、それ以外にも妊娠に気づく前から随分といろいろ変わったと感じていたことがあって、まずいちばん驚くのがお酒がまったく飲めなくなってしまったこと。一時は酒豪とまで名を馳せ(あるいはアル中?)ていたような私で、それこそリールという街に住んだ理由を「ここならベルギーもすぐ近くだし、フランスのワインとベルギーのビールを両方楽しめるから!」などと、パリではなく、そんな地方都市を最初に選んだ理由を冗談半分に語っていたような人間なのに、4月半ばあたりからまったく受け付けなくなった。妊婦さんにとってアルコールは厳禁。それからコーヒーも一切受け付けなくなったし。28週になる直前まで妊婦としての自覚がなかったわけで、それまで妊婦として一切食生活などに気をつかってこなかったわけだけれど、そういうのって本当に不思議なものでお腹のなかの赤ちゃんのほうが「それはイヤイヤ!」ってちゃんと拒絶反応をしていたりするものみたい。

それから一時期、異様にプルーンが美味しくて、最初は美容のためにヨーグルトに混ぜて食べていたんだけれど、なぜか止まらなくて一袋を一度に食べ切ってしまったりとかってのもあった。プルーンと言えば、妊婦に必要な鉄分、ミネラル、ビタミンの宝庫と言われる食材だと思うと、やはりそれも理由があったんだと今考えると、本当に驚く。

とはいえ、今思い起こしても、「ごはんの炊けるにおいが耐えられない」というようなよく聞く妊婦さんにありがちなつわりの症状らしきものは、ほとんど思い当たるものがない。酸っぱいものが食べたくなるっていうのも、そういや帰国前に冷蔵庫に大量にあった梅干を強制消費せねばならなくて、おにぎりとかお茶漬けとかにして「おいしいなー。やっぱ私の胃袋は日本人だわ」なんて思っていたりはしたけれど。

そんなふうに、今は本当に体の変化とか嗜好の変化とか、不思議なことがいっぱいで、ひとり密かに「人体の不思議展」を楽しんでいる。妊婦でなければ体験できないこの“ミステリー”をここでちょっとでも告白して、妊娠経験のない女性や男性にも少しでも知ってもらって、「命」の不思議と感動のこの貴重な体験を味わってもらえたら。

mercredi, juillet 05, 2006

Tel père + telle mère, telle fille, et donc?

『蛙の子は蛙。で、つまり?』

昨日は午前中、病院へ行かなければならない母の帰りを待って、午後から東京へ戻ってきた。母は精神的に気分のムラはあるものの(これはもともとの気質でもあすが)、とりあえずふつうに家事とかはできるように回復した。ただ、メニエール氏病とかの疑いも可能性はなくはないので、念のための検査と点滴を打ってもらうために、引き続き通院している状態だ。

でも東京へ帰るときは、名古屋駅の新幹線のホームまで見送りに来てくれて、一応はいつものような母に戻って本当によかった。母と父をこんなにも苦しめてしまったこと、自分のことはさておいて、本当に胸が痛むけれど、今回のことを機に私は痛いほどに親心というのを理解したし、なにより彼らの娘として生まれてきたことを、誇りに思えるようになった。

我が家は一家揃って、本当に変わり者ばかり。父も父なら母もふだんは負けず劣らずの変わり者。一家のなかでは多分、私がいちばん「フツー」かもしれない(でも今回の件でそのランキングを大逆転してしまいそうな勢いだが)。

来年で60歳になる母は、ふだんアルマーニのサングラスをかけて名古屋近郊の田舎町を闊歩するマダム(昼夜関係なく)。昨日は母らしい最近のおもしろエピソードを話してくれた。

なんでもいつものサングラス姿で街を歩いていて、道がわからなかったので通りかかった人に尋ねたところ、その人は母を目が不自由な人と勘違いして、手取り足取り道を案内してくれたそうだ。で、母もあんまり申し訳ないので、目の不自由な人のふりをそのまま演じきったそうだ。

心労で倒れてしまった母だったけれど、母のこの話は私をとても安心させてくれた。というか、笑いすぎてお腹が痛かったのでちょっと辛かった。

「っていうか、来年赤いちゃんちゃんこ着るような人が、ファッションでそんな格好して歩いてるなんて、ふつうは思わないよ!」

「うん、そうね。あとはあっち系(暴力団とかチンピラとか)の人にはよく声かけられるけどね」

……だって。

あぁ、昔からそういう人。ふつうは人が怖がって寄り付こうとしない人にも分け隔てなく友達になって、小さいときは私も見た目ちょっと怖めのおじさんとかにごちそうしてもらったり、おもちゃを買ってもらったり、当時住んでいた名古屋で一台しかないとかっていうベンツでドライブに連れてってもらったりしたっけ。

結婚して、妊娠して、出産して……って、そんな父や母でも一応は私に対して、ふつうの両親と同じような“理想系”っていうのはあったらしいけれど、私が帰省する前に夫婦で話し合って「俺らの子供だもん。仕方ないよ」って言っていたらしい。

昨日は新幹線を下車してそのまま編集部へ向かい、無事、校了。
比較的スムーズに事が進んで、割と早い時間に帰宅。

九段下で都営線に乗ったら、前の男性に「どうぞ」って初めて席を譲られた。
残念ながら、ひと駅だけだったので、今回は辞退したけれど。

lundi, juillet 03, 2006

Un petit trou.

『小さい穴』

父が仕事に出かけていない月曜日。
午前中は母は病院で点滴を打ってもらいに行っていて、やはり犬とお留守番。
お昼に母が帰ってきて、父なしで向き合う初めての時間。

一応の理解を示してくれたかのように振舞っていた母だったけれど、今日は母の本音が随分と吐き出され、とても辛い。私なりに考えや言い訳、反論はあるけれど、今はなにも言える立場ではないから、なるべく黙って耳を傾けるだけにした。この先、ジェダイが生まれてきて、その子を母も心からいとおしいと思ってくれ、祖母としてどんな状況であっても愛してくれることをただ願うばかり。私としては、そのときが訪れるのをじっと待ち、今はどんな言葉にも黙って耐えていこうと思う。

少なくとも私の前では、一応の理解を示したように振舞ってくれている父と、母はやはりひとりの女性として、かなり違った思いでいるということを理解した。それでもいちばん大変なのは私だとわかろうとして、彼女なりに感情は抑えているのだろうけれど、感情はかなり揺れている。

私はなるべく前向きに考えていこうと、物事を運命と受け止め、心のどこかでドラマ仕立てのように考えようとしている節がある。でも「みんないろいろ言うけれど、人生はそんなドラマみたいなものじゃないんだから」と、そんな私を前に言い放った母の一言は、グサリと私の心をえぐった。確かに他人から見たら、ドラマチックに見えるかもしれないが、当事者にとっては現実にほからない。

ただいずれにしても、母には出産前後では、これはどんな場合にも限らず、力を借りなければならない。今日で妊娠29週目(8ヶ月目)に入ったところなのだけれど、先週、妊娠がわかった時点で、もうすぐにでもどこで分娩を行うのかを決めなければならないと言われた。

里帰り出産をするのであれば、だいたい32週目ごろにはもう転院先の医師にかからなければならないらしく、それならばすぐにでも病院探しや手続きを取り、34週目ぐらいには移動も済ませておくべきだと一般的にはされている。

私の希望としては、周りに友達の居ない実家近くの病院よりは、自宅近くの病院での出産を希望しているが、そうなると両親への負担が大きくなる。我が家には犬も居るし、一ヶ月も母が家を空けるとなると、仕事をしながら父も相当大変になる。だから、現実的には私のほうが移動するのがベストなんだろうけれど、そうしたところで、もともと私が大学4年のときに引っ越した今の家で、周りに知り合いもなく、心が揺れ動く母と時々気まずい思いをしながら、特にやることもなく、出産の日までを過ごすのは、想像しただけでも気が滅入ってしまいそうだ。

それにしても、自分がいざ出産するということになって、本当に思うのは、子供を育てる環境並みに産む環境というのも大切だということ。先日飛び込んだ病院は、たまたま自宅近くの産婦人科ということで、ホームページを見て、綺麗そうだということと、女性医師がいるかどうかということで選んだ。

で、今は実際の診察、分娩費用とか、分娩方法、医師の方針などを含めて、ネットで評判を調べたりもしているのだが、幸いなことにうちの近くでは、1,2番目を争う評判の産婦人科のようだ。

そして、いろいろ複雑な事情で出産を経験した人のコミュニティーとかを覗いたりもしているのだけれど、驚くことになかには、妊娠した未婚の女性に対して「ご主人はいないのですか?」みたいに無神経にたずねたり、非難までするひどい医師もいるらしい。

私が今の病院で産みたいなって思ったのは、まだ1回しか行ってないのだけれど、実はなんとなくフィーリング的なものがあって、見た感じまだ30代の若い女性医師がごくごくふつうに接してくれたこと、それによる安心感というのが大きかった。ほんの少し、戸惑いの気持ちをあらわにした私に対して、先生は表情を変えることもなく、驚いた様子を見せることもなく、客観的だけれど、決して冷たいわけではなく。

いずれにしても早く結論を出さなければ。

dimanche, juillet 02, 2006

Le temps tranquille, qui se passe devant nous.

『私たちの前に過ぎ行く静かなとき』

今朝起きると、W杯でフランスがブラジルに勝利したニュース。優勝最有力候補のブラジルとの対戦、決勝進出もギリギリの状態での我らが“Les bleus(青軍団)”だったから、勝利は難しいと思っていた。テレビのニュースで勝利を知り、「え~っ!! すごーい!」と思わず狂喜乱舞。昔はサッカーなんて全然興味なかったし、オリンピックとか見ても愛国心とか全然ない人だったのに、ものすごい変化だ。きっと私の中に宿る半分フランス人の血が騒いでいたのだろう。

午前中から父は母を病院へ連れて行くと言って出かけていった。途中、何度か連絡があり、近所の病院ではなく、名古屋市内(我が家は厳密には名古屋市内ではない)の耳鼻科にかかることになったという。もしかしたら、母も大きな病気を患っているのでは? と一抹の心配が募る。「私は大丈夫だから。お昼も適当になんとかやっとくし、お母さんをよろしくお願いね」と、犬とお留守番。

夕方、病院で点滴を打ってもらって、父と母が帰宅。とりあえず大きな病気ということではないらしく、やはり精神的なショックでめまい等がしていたようだ。いつもはとても気が強い母だけれど、やはり母もひとりの女性。私のせいで母をこんなにも悩ませてしまっていたことを今改めて知り、本当に申し訳ない気持ち。昨夜も父と話していたけれど、働きに出て昼間はほかのことを考えることのできる父や私とは違い、今は完全専業主婦な母はきっと一日中ひとり悶々といろんなことを考えて苦しんでいたのだろう。

父も私も「これからお母さんにいっぱい助けてもらわないといけないから、早く元気になってもらわないと」と、精一杯の気遣い。母も少し元気を取り戻し、私とも話すこともできるようになり、私が考えていること、彼のこと、彼の家族のことなどをできるだけ話した。

妊娠がわかってから、まだたったの1週間。この1週間は本当にもう1ヶ月ぶんぐらいには相当するぐらいの質量だ。私はもう「私の人生は私が生きていかなければ誰が生きていく?」というので、自分でも驚くほど早い段階で気持ちの切り替えがついてきている。でも母はそうじゃない。頭では理解できていても、なかなか心というのはそんなに早くは追いついていかないのだ。

夜はどこかに食事に行こうかという話になったけど、私のほうも時々具合が悪くなるし、出前のお寿司を取って自宅でゆっくりすることにした。

父の昇進と私の妊娠を祝って、家族で静かに食卓を囲む。

「いろいろと迷惑をかけますが、がんばりますのでどうか応援してください」

そう言って、両親に頭を下げた。
両親の前でこんなにも素直になれたのは、いったい何十年ぶりのことだろう。

我が家の愛犬・mignon(ミニョン。=仏語で“かわいい”の意)も、今日はたんまりと好物のちくわを食べさせてもらって満足そうだ。

Une famile.

『ある家族』

昨日はBフレッツの午前中にNTT、午後一でOCNの設定・工事の人がやって来て、ようやく自宅のネットが開通。今まではエアーエッジでネットにつないでいて、不便だったけれど、これからは快適にネット生活ができるはず。

そちらの用事が思ったよりも早く済み、夜は割りと早い時間に名古屋の実家に到着。朝起きたときは、前日の疲れがまだ残っていて、最悪、帰省を一日ずらそうと思っていたけれど、予定がスムーズに進んだこともあり、気分的にも楽になったので、少しでも早く帰ることにした。

ところが実家に帰ると、母が寝込んでしまっている。日中、実家とやり取りしていたときから、いつもは母が間に入ってやり取りすることが多いのに、父のほうから電話があったり、連絡も父のケータイへと言っていたので、少し様子がおかしいとは思っていた。なんでも前日の夜から急に具合が悪くなり、そのまま寝込んでしまったそうだ。

あぁやっぱり、私の前では気丈に振舞っていた母だったけれど、実は精神的にかなりショックだったんだなと、こんなにも迷惑、心配をかけて、娘として本当に心が痛い。父によると、前々日までは「帰ってきたら、お祝いに食事でもそろっていかなくちゃね」なんて話していたそうだけれど、いざ私が帰ってくるとなって、急に糸がプツリと切れてしまったのだろう。

そんなわけで、母は昨日は寝込んだままで、結局、「ただいま。大丈夫?」と声をかけただけで、一言も話せなかった。そんなわけで、昨日は父と十分に話しをした。大学入学と同時に一人暮らしを始めて、以来、就職、渡仏……と、本当にいつもいつも身勝手気ままなひとり娘を許し続けてきた両親。特に父とはこんなに真剣に向き合って話をしたのは、何年ぶりのことだろうか。最近はお互い照れくさくって、目と目を合わせて離すことも少なくなっていた。

体は少ししんどかったけど、予定を早めて私が実家に帰ってきたのは、やっぱりなによりもまず、両親を安心させなければと思っていたから。今の私の体の状態も認識してもらった上で、自分が考えていること、これからのこと、いろいろ話したけれど、自分でも想像していた以上に理解し合えたと思う。というか、理解をしてくれたんだと思う。

父は昔から「過去は過去。今は今。未来は未来」と、とても建設的に物事を考えていく人。60年代、70年代の学生運動のまさに真っ只中を生きていた人で、休みの日といえば、今でも思想や経済の本を読み耽っているような、本当に勉強家な人だ。なによりも驚くのは、父は仕事上、転勤が多いのだけれど、引越しのたびに出てくる山のような新聞のバックナンバー。10年前とか、20年前とかの新聞をずっと持ち歩いていて、今でも日本のバブル経済ついて、なにか黙々と考えているようだ。

「ちょっと自由にしすぎたかな」。父は私への接し方について、ポツリと語った。でも父自身も若いころ、自由に、昨年の元旦の朝に亡くなった彼の父であり、私の祖父からは、あまり生き方を強制されずに、意思を尊重してもらって生きてきたことを話してくれた。

確かに父は本当に変わり者で、特に若いころは、やっぱりふつうのお父さんと違うところを、やはり子供心には理解できなくて悲しい思いをしたこともあった。でも昨今、年とともに、性格が丸くなっていく父を見るたびに老いを感じて、今度は逆に少し心配をしていた。

でも父はそのことを「若いころは周りに流されたくないって思いが強かった。でもだんだん年を取るにつれ、流されてみるっていうのもひとつの選択肢だと思うようになってきたんだ」と語った。

あぁ私は、確実にこの人の血を引いていると思った。20代の前半は私も相当突っ張っていた。でも30代が近くになるにつれ、「時には流れに身をまかせるほうがいいのかも」なんて、友人によく語っていた。まぁ、今はちょっと、流れに身をまかせすぎたかな……なんて、思う節もあるけれど。

昨年に祖父が亡くなってからは、田舎で年老いた祖母がひとりになった。幸い、今住んでいるところから、祖母の家までは車で40分ほどの距離なので、以降、父は隔週末で通うようになり、父も平日は仕事が忙しいのに大変だなぁと、フランスに居る間も、父のほうの体調が気になっていた(私の体型は父そっくりで、とても痩せているし)。

そして、仕事のほうも本来ならあと2年で定年を迎え、「あと2年、静かに定年までサラリーマン人生をまっとうするよ」と、私がフランスから帰国したつい先日に語っていたばかりだった。でも実は、とても個人的なことだけど、先週付けの人事で父が会社の取締役に就任することになり、新聞の会社人事の欄にも名前が出たせいか、今回、家に帰ると自宅には関係者から祝いの電報がたくさん届いていた。

コミュニストである父には、元来出世欲とか、まったくない。ここ数年は、やっぱり体力も集中力も落ちてきて、やっぱり若いころと同じようにはいかないから、あまり責任のある仕事はしんどいと言うようになっていた。今回の人事昇格によって、責任はこれまでよりさらに増える。あぁそれなのにまた、娘のことでこれ以上負担をかけてしまうのは、本当に辛い。

でも父は言ってくれた。
「お父さんもついにおじいちゃんになるのかー」。

娘は母になり、母は祖母になり、父は祖父になる。
我が家の家庭内人事も異動になるのだ。

Non plus...

『それ以上はもう……』

昨日はある意味いちばんヘビーな日だったかもしれない。

現在、私の社会的身分は自由業者。一応、フランスを経つ前に働いていた会社に復帰させてもらえるということで、帰国前に既に連絡はしていたのだけれど、いろいろ会社の都合とか、タイミングとかあって、当面はフリーランスという立場でお仕事させていただくことになった。私のほうも在仏中、そして帰国後すぐに時々お仕事をいただいたりしていたところとの関係も大事にしなければならないと思っていたので、あとはまずはこちらでの生活も落ち着かない状態で、当面はちょっと面倒くさいけれど、それでもこうやって帰国してすぐにでもお仕事をさせてもらえるというだけでも、とてもありがたいことだと思っていた。まぁ日本に帰ってきたんだし、これからのことは慌てずにゆっくり考えていこうかと。というか、自分の国に暮らしていれば、許可なく、なんの制限もなく働くことのできるということだけでも、なんとありがたいことだろうかと。

ところが自分の人生において、予期せぬ展開が起きた。でもそれを驚くほど前向きに、冷静に受け止めていた自分。というか、子供をひとりでも育てていくという覚悟を決めたからには、四の五の言える状態じゃなくなった。

この先のことは、もちろんそんなに甘いものじゃないということは、子育てをする世のお父さん、お母さんから言われるだろう。でも今はとりあえず、不思議なことに経済的な不安というのはあまりない。いざとなれば、なんだってできると思うし、それからこれから自分と子供の生活のために、事業を起こすとか(日仏に絡めてネット事業でもなんかできないかな?)、逆に逆境を自分にとっての新たなチャンスになると考えればいいと思っていた。必然的にこれから仕事は制限せざるを得なくなるし、出産までは今よりも時間ができるだろうから、育児の勉強をしたり、新たな計画を練ったりするのに時間を割いていきたいと思っていた。

ただ将来のことを考えて、どうしても不安に思うのは、自分の子供にお金では買えないものをどうやって与えればいいのか、説明していけばいいのかということ。例えば、パパが欲しいと言われたり、兄弟が欲しいと言われたとき。実際、自分自身も一人っ子で、小さいころは自分に兄弟がいないことでとても淋しかった。今でも、この先、両親が死んでしまったら、私は本当に一人ぼっちになってしまうなぁということを考えていて、だからこそ、自分の子供が欲しいという気持ちが強かったのかもしれない。

MSNでの彼との会話は、相変わらず平行線をたどったままだ。あまりに噛み合わなくて、正直、もう話すことが嫌になった。それに彼はものすごく私を誤解している。私が彼をつなぎとめるために、子供をつくった、罠にはめたと思っているような節がある。彼は「子供はおもちゃじゃないんだ」と私を攻める一方だ。「じゃ、どういう解決策があるか、あなたの意見を提示してちょうだい」と言っても、何も言わない。「僕やその子供が幸せだと思うか?」と、結局自分のことしか考えていないことがわかって、そんな男に失望し、そんな男を愛した自分の見る目のなさが本当に情けなくなってくる。挙句の果てには「『mon enfant(my baby)』って言うな、『un enfant(a baby)』」とま で言われてしまう始末。私としては特に意図はないんだけれど、そこは単に翻訳上の差異から生まれる意識の違いだと思っているのに。なんだか、そういうことまで想像力がおぼつかない、この男の人間としてのレベルの低さを感じて、それ以上話す気になれなかった。でも私も、大人気ない態度は絶対に取りたくないと思ったけれど、「じゃ、生まれてきた子供を殺せって言うの?」と反論。そして、その後、冷静さを取り戻すため、外の空気を吸いに出て、自己嫌悪に陥ったり、いろんな複雑な気持ちが絡まったりして、「今、私がこの世から消えてしまえばすべては解決するのかな? どうせもしかしたらこの先短い余生かもしれないと覚悟もしていたし」と一瞬でも思ってしまったこと、一晩経ってちょっと恥ずかしく思う。たったひとりの理解が得られないというだけで、両親をはじめとするそれ以外の理解をしてくれる周囲の人たちを裏切ったりしてはいけないのに。

昨日は、2つの仕事先の仕事をかけもち。午後一で記者会見に出席して、その後は昨日入稿の特集を担当している古巣の編集部へ。本当はそんなふうに無理すべきではないのはわかっているのだけれど、仕事に集中している時間は、プライベートな問題を一瞬でも忘れることができる。

結局、昨日は特集の入稿を途中で人に任せて退社させてもらう。自分ではこれ以上、周囲に迷惑をかけたくないし、最後までがんばりたかったのだけれど、結局ありがたくお言葉に甘えさせてもらうことにした。それでもその時点でも既に終電の時間が過ぎていて、ふつうは泊まり勤務になるところを、タクシー代までどうにか工面してもらうように計らってもらって、感謝の気持ちと理解は必然に尽くしがたい。都内でもかなりはずれに住んでいるし、深夜なのでタクシー代は高額になってしまう。帰宅後、無事に到着した電話を入れるべきだったのだけれど、結局、その後気力が尽きてしまってそのままにしてしまい、さらに罪悪感。もしかしたら、その人がここを見ているかもしれないので、今度ちゃんと直接お礼は伝えるとして、とりあえずこの場でお礼を。(それと、領収書はちゃんともらっておいたので)

vendredi, juin 30, 2006

Je peux être nulle pour toi.

『キミのためなら“無”にだって』

昨日の日記を読み返してみると、ひょっとしたら見守ってくれている人たちを心配させてしまったかもしれない。そして思わぬ誤解を与えてしまったかも。

昨夜、私が思わず漏らしてしまった涙のいちばんの理由は、身体がしんどいとか言うよりも、それはむしろ世間の冷たさを目の当たりにしてしまったこと。でも誤解して欲しくないのは、私はそれを卑下するつもりはない。むしろそれは当然のことだから。仮にそれが逆の立場だったとして、満員電車の中、一日の疲れを身体に感じながら帰るとき、果たして自分はそれほどまでに周囲の人に気を配っているだろうか?

実は昨日、九段下の駅を降りたところで、3人組の外国人旅行者が地下鉄の路線図らしきものを広げながら、困っている様子を目にした。外国での旅先での不安は私もよくわかるし、違う国で自分が暮らしてみて、地元の多くの人々に助けられた。だから今こうして自分の国に帰ってからは、今まで自分がお世話になった恩返しをしたいと、日本に居る外国人に手助けをしてあげられたら……と、実はつい最近にも掲示板で夏休みに日本に遊びに来るというフランス人とコンタクトを取り、いろいろと質問に答えたり、可能な範囲でなら都内を一緒に案内してあげたいと思っていたところだ。私にとっては、彼らを手助けするというのももちろん、彼らに日本で楽しい思い出を残してもらって、「優しい日本人に出会えたよ」と、この国を好きになって欲しいと思っていたから。自分が旅先で感じてきたのと同じように。それに、外国人がこの日本という特殊な国で示すいろんな反応を見るのが何よりも楽しかったりもする。

でも結局、昨日は声を掛けずに素通りしてしまった、途中引き換えしてでも彼らに声をかけようかとも悩んだけれど、自分自身も少し急いでいたのと、彼らは若くて3人揃っているということで、自分たちできっとなんとかできるだろうと自らを納得させた。

だから昨夜たまらず涙を流してしまったのは(泣いたというよりも涙がこぼれた)、立場が代われば自分もそんな一人なんだということを実感してしまったから。そして今、周囲で私に対して理解を示してくれる友人たちの優しさとのギャップに、なんとも言えぬ気持ちになってしまったのだ。

そして、これから先、理解が得られるかどうかわからない、彼のこと。

私が妊娠しているとわかって、それを周囲に発表して、明らかに気を遣ってくれている人たち、仕事関係でも理解を示してくれる人たちには、本当に感謝している。でもなんとなく、周囲も絶対にそういうつもりはないのだけれど、自分が同情を求めていると思われたり、便乗して甘えていると思われたりしてはいないかと、そうした優しさなり気遣いをどう受け入れていいのかが時々わからない。日に日に自分の内面は、母性の目覚めとか、激しい勢いで変化していって、驚くほど適応してはいけるのだけれど、そういうのにはまだ慣れない。

でもちょっと考え方を変えてみた。それは私に対してではなくて、ジェダイのために向けられたもの。「おめーのためじゃねぇよ!」、そう思えば、素直に受け入れていくことができると思った。

現に他のことだって、たとえば食欲がなくても少しでもいいから食べなければいけないと思うときだって、ジェダイのためだと思えば頑張れる。自分のことだと思うと、今までも「ま、いっか」って少々無理することもためらわなかったけれど(そのせいで今の現状があるわけだけど)、今は子供のためだと思うと、立ち止まることも躊躇しない。

結婚、出産をためらう理由。私にもよくわかる。
人生が大きく変わり、必然的に自分のための時間や金銭は制限されるだろう。
でも、誰かのために一生懸命になるって、きっとその犠牲以上のものなんじゃないだろうか?
それに例えば辛いことがあったとして、もう逃げたいとか思ったとしても、それが自分のことだったら本当に辛くて行き止まりを感じるかもしれないけれど、それが誰かのためだと思ったら、少し違って思えるんじゃないだろうか。

それからいろいろ苦労して、ボロ雑巾のように必死になって生きること。
それって格好悪いことなんだろうか?
だったら人はなんでスポーツを見るの?
もちろんそれはゲームという娯楽的楽しみもあるけれど、例えば泥まみれになって必死で白球を追いかける高校球児の姿を見て私たちは何を思うのか? 傷だらけになっても立ち上がる『あしたのジョー』に向けられるのは、同情よりもある種、羨望の眼差しだったりすると感じているのは、私だけなんだろうか?

私の決意によって、勇気が与えられたと言ってくれた、それぞれに悩みを抱えている大切な友達のみんなへ。

少なくとも私は今、これまでの人生でいちばん「生きている」っていう、自分のなかに通う血の流れを感じているよ。二人分のね。

jeudi, juin 29, 2006

Comme si c'est assez loin...

『こんなにも遠い……』

昨日自宅でたっぷり休養させてもらったおかげで、今日の体調はすこぶるよかった。昨日のぶんも挽回しなければならないので、いつもより早めに出社して、順調に仕事もこなしていく。そんなときは、気力がとてもみなぎっていて集中力も高まり、仕事の効率もよい。というか、今日は仕事によって、随分と私の精神力は支えられたと言っていい。

彼と昨日の続きを話すものの、話がまったく噛み合っていないことを実感。その間にある、言葉の壁、時間の壁というのは、日本-イスラエル間という物理的な距離の何倍も大きい。噛み合わない会話の数々に悲しみ以上に「あぁこんなにも遠いんだ」って、途方に暮れる気持ちのほうが強かった。

彼のほうは「なんで今まで気づかないんだ。あり得ない。一人の女性としてどうかと思う」とただ一方的に非難。えぇもちろん、それは事実、否定も反論もしないけれど、今それを言っても物事はなにも先へは進まないのだ。父親が医者で、27になってもいまだ両親から独立せずに常に親の加護を受け生きている彼には、信じられないことだろう。そして働き者でギリギリのところまで無理をしてでも責任を果たそうとする、日本人の美徳なんて、1年の1/3はバカンスのフランス人には理解できないだろう。

パパが遠いところに居て、胎内を出た後も一生父親に抱きしめてもらうことができないかもしれないジェダイのために、先週産院でもらった超音波の彼の写真とパパの写真を一緒に持ち歩いている。他人から見たらバカげた空事かもしれないけれど、今の私にはそれぐらいのことしかしてあげられない。

書くのを忘れたけれど、こないだ目が覚めたとき、いつもは朝寝坊なジェダイが胎内で激しく動いていたときの直前、実は彼の夢を見ていた。駅で大きく手を広げてハグする体勢で、そこで夢から覚めた気がする。既に現実の夢は覚めてしまっているのだから、せめて非現実の夢だけでも見ることを許してほしいのにと、その後は涙がいっぱいに溢れた。

私はこの先、彼とのいい思い出のなかでジェダイを愛して、育てていければいいと思っていた。だから彼にコンタクトを取り、その反応次第でその夢が壊されていくかもしれないことを危惧し、彼には真実を知ってもらわなければという思いと同時に、できることならそれを避けられたらと思っていた。

彼への思いを完全に断ち切った、割り切っていたといえば嘘になる。ただ納得させなければ、時間が経てば、きっとまた新しい恋をして、清らかな思い出になるだろうと思っていた。これまでの恋愛と同じように。

でもきっと私は、これからジェダイが生まれてきて、嫌でも彼を忘れることができないだろう。過去の記憶に縛られて生きたとしても、自分では最悪それでもいい。

でももし、彼を憎むようになって、この先その憎悪をジェダイに向けてしまうかもしれないことを思うと、彼にどんなことを言われても彼を許し、決して恨んだり憎んだりしたくはないのだ。

このあまりにも愚か過ぎる自分が本当に嫌になる。そしてその気持ちに拍車をかけるように、今夜もまた孤高の列車に身を任せなければならない悲しさ。カバンを肩にかけ直し、空いた席に座ろうとした瞬間、さっと割り込む若者。なんだか集団でいじめられているような気分になって、人目もはばからず悔しくて、やりきれなくて大粒の涙をこぼす。

そして今日初めて気づいたけれど、涙のかたちや大きさって、その理由で結構違うもんなんだ。足元に滴る涙を見ながらそんなことを思って、つり革に身を委ねて、今日も満員電車に揺られて帰った。