dimanche, juillet 02, 2006

Une famile.

『ある家族』

昨日はBフレッツの午前中にNTT、午後一でOCNの設定・工事の人がやって来て、ようやく自宅のネットが開通。今まではエアーエッジでネットにつないでいて、不便だったけれど、これからは快適にネット生活ができるはず。

そちらの用事が思ったよりも早く済み、夜は割りと早い時間に名古屋の実家に到着。朝起きたときは、前日の疲れがまだ残っていて、最悪、帰省を一日ずらそうと思っていたけれど、予定がスムーズに進んだこともあり、気分的にも楽になったので、少しでも早く帰ることにした。

ところが実家に帰ると、母が寝込んでしまっている。日中、実家とやり取りしていたときから、いつもは母が間に入ってやり取りすることが多いのに、父のほうから電話があったり、連絡も父のケータイへと言っていたので、少し様子がおかしいとは思っていた。なんでも前日の夜から急に具合が悪くなり、そのまま寝込んでしまったそうだ。

あぁやっぱり、私の前では気丈に振舞っていた母だったけれど、実は精神的にかなりショックだったんだなと、こんなにも迷惑、心配をかけて、娘として本当に心が痛い。父によると、前々日までは「帰ってきたら、お祝いに食事でもそろっていかなくちゃね」なんて話していたそうだけれど、いざ私が帰ってくるとなって、急に糸がプツリと切れてしまったのだろう。

そんなわけで、母は昨日は寝込んだままで、結局、「ただいま。大丈夫?」と声をかけただけで、一言も話せなかった。そんなわけで、昨日は父と十分に話しをした。大学入学と同時に一人暮らしを始めて、以来、就職、渡仏……と、本当にいつもいつも身勝手気ままなひとり娘を許し続けてきた両親。特に父とはこんなに真剣に向き合って話をしたのは、何年ぶりのことだろうか。最近はお互い照れくさくって、目と目を合わせて離すことも少なくなっていた。

体は少ししんどかったけど、予定を早めて私が実家に帰ってきたのは、やっぱりなによりもまず、両親を安心させなければと思っていたから。今の私の体の状態も認識してもらった上で、自分が考えていること、これからのこと、いろいろ話したけれど、自分でも想像していた以上に理解し合えたと思う。というか、理解をしてくれたんだと思う。

父は昔から「過去は過去。今は今。未来は未来」と、とても建設的に物事を考えていく人。60年代、70年代の学生運動のまさに真っ只中を生きていた人で、休みの日といえば、今でも思想や経済の本を読み耽っているような、本当に勉強家な人だ。なによりも驚くのは、父は仕事上、転勤が多いのだけれど、引越しのたびに出てくる山のような新聞のバックナンバー。10年前とか、20年前とかの新聞をずっと持ち歩いていて、今でも日本のバブル経済ついて、なにか黙々と考えているようだ。

「ちょっと自由にしすぎたかな」。父は私への接し方について、ポツリと語った。でも父自身も若いころ、自由に、昨年の元旦の朝に亡くなった彼の父であり、私の祖父からは、あまり生き方を強制されずに、意思を尊重してもらって生きてきたことを話してくれた。

確かに父は本当に変わり者で、特に若いころは、やっぱりふつうのお父さんと違うところを、やはり子供心には理解できなくて悲しい思いをしたこともあった。でも昨今、年とともに、性格が丸くなっていく父を見るたびに老いを感じて、今度は逆に少し心配をしていた。

でも父はそのことを「若いころは周りに流されたくないって思いが強かった。でもだんだん年を取るにつれ、流されてみるっていうのもひとつの選択肢だと思うようになってきたんだ」と語った。

あぁ私は、確実にこの人の血を引いていると思った。20代の前半は私も相当突っ張っていた。でも30代が近くになるにつれ、「時には流れに身をまかせるほうがいいのかも」なんて、友人によく語っていた。まぁ、今はちょっと、流れに身をまかせすぎたかな……なんて、思う節もあるけれど。

昨年に祖父が亡くなってからは、田舎で年老いた祖母がひとりになった。幸い、今住んでいるところから、祖母の家までは車で40分ほどの距離なので、以降、父は隔週末で通うようになり、父も平日は仕事が忙しいのに大変だなぁと、フランスに居る間も、父のほうの体調が気になっていた(私の体型は父そっくりで、とても痩せているし)。

そして、仕事のほうも本来ならあと2年で定年を迎え、「あと2年、静かに定年までサラリーマン人生をまっとうするよ」と、私がフランスから帰国したつい先日に語っていたばかりだった。でも実は、とても個人的なことだけど、先週付けの人事で父が会社の取締役に就任することになり、新聞の会社人事の欄にも名前が出たせいか、今回、家に帰ると自宅には関係者から祝いの電報がたくさん届いていた。

コミュニストである父には、元来出世欲とか、まったくない。ここ数年は、やっぱり体力も集中力も落ちてきて、やっぱり若いころと同じようにはいかないから、あまり責任のある仕事はしんどいと言うようになっていた。今回の人事昇格によって、責任はこれまでよりさらに増える。あぁそれなのにまた、娘のことでこれ以上負担をかけてしまうのは、本当に辛い。

でも父は言ってくれた。
「お父さんもついにおじいちゃんになるのかー」。

娘は母になり、母は祖母になり、父は祖父になる。
我が家の家庭内人事も異動になるのだ。