samedi, septembre 30, 2006

ジェダイ誕生後物語 ~5泊6日のキャッスルバカンス~

今回の出産で、私がお世話になった産院は、自然分娩、無痛分娩の場合、入院は6日間、帝王切開の場合、8日間。

私の場合、8月30日の早朝に破水して、それからすぐに入院したので、入院期間をフルで満喫できた。

入院中の基本的な生活は、毎朝だいたい6時半ごろに助産婦さんが検温と血圧を測りに来て、7時すぎに医院長先生&息子の若先生ペアが回診にやって来る。そのあと清掃の職員がやって来たり、助産婦さんがポットのお湯を換えてくれたり。そして8時ごろに朝食の配膳。ちなみに昼食は12時、夕食は17時に饗される。夕食の配膳から翌朝の朝食までが結構時間があるのでたいてい夜中にお腹が空く。そこで毎日のようにお見舞い客からいただくケーキやお菓子類を腹ごなしに夜中に食べていた。

入院中の食事は毎度どれもおいしくて、ご飯粒ひとつ残さず毎回全部平らげた。基本的に朝はパンと卵、ハムかソーセージの魚肉系、サラダ、果物かヨーグルトのデザートといった、コンチネンタルスタイル。昼は和洋中でいろいろ。夜は前菜とメイン2種が必ずあるボリューム多目の割と豪華なちょっとしたフルコースだった。

それから、こちらの産院は母子別室なのだが、毎日10時から15時と、20時から22時は赤ちゃんを病室に連れてきてくれ、授乳したりおむつ交換をしたり、自室で好きなように赤ちゃんと過ごすことができる。もちろん、お母さんの体調が悪かったり、赤ちゃんに問題があったりすると、いつでも新生児室で預かってくれる。

ちなみに15時から20時までの面会時間は新生児室に入り、面会者もママもガラス越しに観察する。同じ時期に生まれた、他の赤ちゃんと見比べることもできるので、自分の子供に対して親バカ要素満載の客観的な眼差しを向けることができる。

そのほか、だいたい午前中に毎日のように育児指導が行われる。授乳の仕方、沐浴、調乳法、退院後の生活などなど。

助産婦さんの指導は、個人的には多少過保護かなと思える部分や、二人目以降の出産の人には面倒くさいかなって気もしたけれど、やはり私も含めて初産の人や、心配性のお母さんを基準にしたら、これくらいになってしまうのだろうと納得できる。

実際、沐浴の実習を他の入院中のお母さんと一緒にやったのだけれど、おもむろに赤ちゃんの頭をがーっと掴んで堂々とかかる私に対し、そのお母さんは緊張しまくりだった。

あとおもしろかったのが、退院指導と言って、要するに退院後の育児についていろいろ注意を受けるのだけれど、そのときに一緒だったお母さん(出産は2人目)で、おっぱいの出がよすぎるという人が居て、うっかりノーブラ、授乳パッドなしで来てしまったところ、途中ダラダラと母乳が垂れて着ているものがびしょ濡れになってしまっていたこと。そうこうしているうちにも母乳は次々に生産され、胸のあたりがどんどん湿っぽくなってくる。

かたやもうひとりのお母さんは、帝王切開だったせいか、おっぱいはパンパンに張って痛いのに、分泌が悪いという。そのころの私は、母乳はふつうに分泌されるけれどもまだまだ「おっぱいが張る」という経験がなく、「へ~いろいろなんだ。ってか、出る人ってそんなに出るんだー」と、個人差を思い知ったものだ。まさにその光景や会話の内容は、"乳牛たちのララバイ"という感じで、人間的ではなかった。

それにしても入院中の生活は、本当に至れり尽くせりでパラダイスだった。それから助産婦さんたちの働きっぷりに驚かされた。というか、編集者が「今日で徹夜○日目……」なんて病的に、徹夜武勇伝を語っているのとは次元が違う世界だと思った。

それなのに、いつも生き生きとして頑張っている助産婦さん。出産してすぐはまだ母親としての自覚が足りなくて、なにごとも気軽に過ごしていた私。育児についても「ま、追々でいいや」って気楽に構えていて、助産婦さんたちが一生懸命におっぱいマッサージとかしてくれるのに、自分は産むだけ産んだらそれでいいや……みたいな顔をしてしばらく過ごしてたんだけど、自分の子供のためにこんなにも一生懸命になってくれる彼女たちの姿を見ていたら「私も頑張らなくちゃ」って自然に思えるようになり、4日目ぐらいからはそれまでさぼっていたおっぱいマッサージも一生懸命にやるようになった。

妊娠中は病院に通っていても、受付の人と医師に接するだけで、待合ロビーと診察室しか知らなかった産院の世界。実は産院の主役は、その上階にある世界だった。

何度か、助産婦さんに「助産婦さんのお仕事って、本当に大変なお仕事ですね~」とありきたりだけれど、そのときの素直な感想をぶつけてみたことがある。

でも決まってどの助産婦さんも「でも赤ちゃんがかわいいから」と返してきた。

私は今まで自分自身が本当に子供で、しかもマスコミのお仕事という、どちらかと言うと華々しさが際立つ、そういう人間的な世界とは遠いところで生活していた。だけど今回、自分が妊娠・出産という経験をして、それまで縁遠いと思っていた新しい世界や人を知ることになった。そして初めて心から、彼女たち助産婦さんの言っていることがわかったように思う。自分の子供だけでなく、どの子供も本当にかわいい。

そして私は今まで本当に極度の病院嫌いで、それがゆえに今回も調子が悪くてもなかなかギリギリまで駆け込むことができなかったのだけれど、なぜそれほどまでに病院が苦手だったかというと、やはり病気とか死とかを想像させる陰気な感じだった。

それが今回、産院という、同じ医療の現場でも生命の誕生をつかさどる別の顔があることを知った。そしてそれがゆえに助産婦さんたちは明るく生き生きと仕事をしていられるのだろうといったんは解釈した。

でもこないだ、一週間検診で久々に外来で産院を訪れたとき、待合ロビーには明らかに堕胎に来ていると思われる、心痛な面持ちをした若い女性の姿を目にした。

助産婦さんのメインのお仕事は、分娩の立会いだ。我らが母子のように、母子ともに健康で無事に幸せな対面を果たせない出産だってなかにはあるだろう。

だから産婦人科医や助産婦さんたちが、毎回かわいい赤ちゃんの姿に励まされて頑張れるというわけでもなく、時に悲しむ人たちの辛い場面にも立ち会わなければならない厳しい現場なのだ。

そんなふうに産院での入院生活中は、ふだん目にすることのないいろんな現場を目にし、そして自ら体験した、本当に内容の濃い数日間だった。

今回の出産で手にしたものは、わずか3キロちょっとのものだけではないのだ。