vendredi, juin 30, 2006

Je peux être nulle pour toi.

『キミのためなら“無”にだって』

昨日の日記を読み返してみると、ひょっとしたら見守ってくれている人たちを心配させてしまったかもしれない。そして思わぬ誤解を与えてしまったかも。

昨夜、私が思わず漏らしてしまった涙のいちばんの理由は、身体がしんどいとか言うよりも、それはむしろ世間の冷たさを目の当たりにしてしまったこと。でも誤解して欲しくないのは、私はそれを卑下するつもりはない。むしろそれは当然のことだから。仮にそれが逆の立場だったとして、満員電車の中、一日の疲れを身体に感じながら帰るとき、果たして自分はそれほどまでに周囲の人に気を配っているだろうか?

実は昨日、九段下の駅を降りたところで、3人組の外国人旅行者が地下鉄の路線図らしきものを広げながら、困っている様子を目にした。外国での旅先での不安は私もよくわかるし、違う国で自分が暮らしてみて、地元の多くの人々に助けられた。だから今こうして自分の国に帰ってからは、今まで自分がお世話になった恩返しをしたいと、日本に居る外国人に手助けをしてあげられたら……と、実はつい最近にも掲示板で夏休みに日本に遊びに来るというフランス人とコンタクトを取り、いろいろと質問に答えたり、可能な範囲でなら都内を一緒に案内してあげたいと思っていたところだ。私にとっては、彼らを手助けするというのももちろん、彼らに日本で楽しい思い出を残してもらって、「優しい日本人に出会えたよ」と、この国を好きになって欲しいと思っていたから。自分が旅先で感じてきたのと同じように。それに、外国人がこの日本という特殊な国で示すいろんな反応を見るのが何よりも楽しかったりもする。

でも結局、昨日は声を掛けずに素通りしてしまった、途中引き換えしてでも彼らに声をかけようかとも悩んだけれど、自分自身も少し急いでいたのと、彼らは若くて3人揃っているということで、自分たちできっとなんとかできるだろうと自らを納得させた。

だから昨夜たまらず涙を流してしまったのは(泣いたというよりも涙がこぼれた)、立場が代われば自分もそんな一人なんだということを実感してしまったから。そして今、周囲で私に対して理解を示してくれる友人たちの優しさとのギャップに、なんとも言えぬ気持ちになってしまったのだ。

そして、これから先、理解が得られるかどうかわからない、彼のこと。

私が妊娠しているとわかって、それを周囲に発表して、明らかに気を遣ってくれている人たち、仕事関係でも理解を示してくれる人たちには、本当に感謝している。でもなんとなく、周囲も絶対にそういうつもりはないのだけれど、自分が同情を求めていると思われたり、便乗して甘えていると思われたりしてはいないかと、そうした優しさなり気遣いをどう受け入れていいのかが時々わからない。日に日に自分の内面は、母性の目覚めとか、激しい勢いで変化していって、驚くほど適応してはいけるのだけれど、そういうのにはまだ慣れない。

でもちょっと考え方を変えてみた。それは私に対してではなくて、ジェダイのために向けられたもの。「おめーのためじゃねぇよ!」、そう思えば、素直に受け入れていくことができると思った。

現に他のことだって、たとえば食欲がなくても少しでもいいから食べなければいけないと思うときだって、ジェダイのためだと思えば頑張れる。自分のことだと思うと、今までも「ま、いっか」って少々無理することもためらわなかったけれど(そのせいで今の現状があるわけだけど)、今は子供のためだと思うと、立ち止まることも躊躇しない。

結婚、出産をためらう理由。私にもよくわかる。
人生が大きく変わり、必然的に自分のための時間や金銭は制限されるだろう。
でも、誰かのために一生懸命になるって、きっとその犠牲以上のものなんじゃないだろうか?
それに例えば辛いことがあったとして、もう逃げたいとか思ったとしても、それが自分のことだったら本当に辛くて行き止まりを感じるかもしれないけれど、それが誰かのためだと思ったら、少し違って思えるんじゃないだろうか。

それからいろいろ苦労して、ボロ雑巾のように必死になって生きること。
それって格好悪いことなんだろうか?
だったら人はなんでスポーツを見るの?
もちろんそれはゲームという娯楽的楽しみもあるけれど、例えば泥まみれになって必死で白球を追いかける高校球児の姿を見て私たちは何を思うのか? 傷だらけになっても立ち上がる『あしたのジョー』に向けられるのは、同情よりもある種、羨望の眼差しだったりすると感じているのは、私だけなんだろうか?

私の決意によって、勇気が与えられたと言ってくれた、それぞれに悩みを抱えている大切な友達のみんなへ。

少なくとも私は今、これまでの人生でいちばん「生きている」っていう、自分のなかに通う血の流れを感じているよ。二人分のね。