samedi, juillet 22, 2006

Comment Marie se sentait à ce moment?

『マリアはそのときなにを思ったか?』

自分でも毎日、よくこんなにも書くことがあるなぁと思う。一応、文章を書くことを生業としている身の上。人によっては、一銭にもならないことに時間を割くなんて、バカらしいという人もいるかもしれない。それに、こんなダラダラと長い文章を誰も好んで読まないかもしれない。でも私としては、これは一種の義務感のようなもの。今もそうだけど、自分を取り巻く人には状況を説明しなければならないし、この先出会う人にもそれをずっと続けていかなければならないのだ。

もちろん、文章ですべての真実を伝えることはできない。特にブログという公開性の高い場においては、明かすことのできないこともあるし、そして伝える側、受け取る側、双方に限界がある。だから本当は、ちゃんと一人一人面と向かって、その人に合わせて話すほうがいいに決まっている。でもそれには、物理的な限界がある。だからこそ、こうやって少しでもその労力を省くために、こういう場を利用することも時として必要だと思う。もちろん、慎重に言葉や内容を選びながら。

"Les paroles s'envolent, les écrits restent"

フランス語にはこんなことわざがある。「言葉は消えるが文章は残る」という意味だ。

人は考える生き物。誰もが毎日、いろんな瞬間に接する度にいろんなことを感じ、考える。でもそれらのほとんどが残念ながら、消えてしまう。きっとそれらは、実はとっても重要な財産になる可能性を秘めているのに、もったいないないと思う。私たちは案外、何気ない言葉に、心から励まされたり、救われたりもする。もちろん、言葉は時として、暴力以上の効力を持って人を傷つけることもできるけれど。

もちろん、私がこのブログを続けているのには、他にもたくさん理由がある。妊娠、出産という体験が取り巻く、人間の複雑さを自分なりに記録しておきたいと思っている。生命の誕生というのは、科学的に説明可能な側面と、非科学的な側面の双方でとても興味深いメカニズムによって起こる現象。

実際、私が妊娠を知ったのは8ヶ月に入る直前。ふつう妊娠というのは、すぐに身体にサインが現れるものだし、きっと誰もがそんな時期まで気づかなかったことを不審に思うだろう。いや、実際には6月に入ったあたりから、胎動らしきものを感じるようになり、さすがに自分でもその可能性を強く疑い始めた。

それでも、倒れて病院に行くまで確信には至らなかったのには、私なりにはReasonableな理由がいくつかあるのだ。実を言うと、私は思春期のころから自分の身体にはなにか欠陥があるように思い込んでいた節がある。とは言っても、特に大きな病気をしたことがあるわけではなくて、むしろ医者にかかったのはこれまでの人生でも自分が知る限りでは、多分、両手の指で足りるぐらい。ただ、小さいころからずっと痩せていて、いつも「やせすぎ」の判子を押されていた(これでも成人してから少しは太ってきたほう)。だから勝手に自分には、なにか決定的な身体的な欠陥があるのではないかと思っている時期もあった。だから、自分はふつうの人のように子供を産むことができないかもしれないと30前から少し思っていた。

それから、妊娠するからにはそれなりの心当たりがあるのだけれど、それに関しても本当に可能性は小さいだろうとずっと信じて疑わなかった。それに受胎して、それ以後の自分の生活ぶりを考えると、こんな時期まで子供が育ってきたというのが、まずはあり得ない。いろんな人からいろいろな話は聞くけれど、胎児の命というのは、本当に弱弱しいもので、ほんのちょっとしたことが原因で悲しい結果になってしまう。

だから、妊娠がわかったとき、それはもう運命だと思ってすぐに受け入れることができたのだ。周囲の人は「今は大変な時期だろうし……」とかって、私の精神状態をとても気遣ってくれたのだけれど、当時の私は信じられないほどに冷静だった。というか、ジタバタしたところで状況は変わらないのだし、そんな暇があったら、これからどうすべきか、今どうすべきかを考えるべきだと思ったのだ。これは昔から変わらないのだけれど、ジタバタしても、時間は逆戻りするどころか、先へしか進んでいかないのだし……っていうのが、物事に対しての基本的な私の姿勢なのだ。昔、海外に取材に行ったとき、入稿用のデジカメのデータが全部入ったパソコンを空港で盗まれたのだけれど(後に発見された)、そのときもとても冷静だった自分のほうに逆に驚いたものだ。

それからここ最近の私は、仕事で成功したり、自分が認められることに対する願望が年々薄くなってきていた。というか、自分の仕事がそれなりに評価されることは真摯にうれしかったけれど、そのことになんとなく空虚さを感じ始めていたのだ。そして「私の人生にはもっと大切なことがあるのではないか?」と思って、当時とてもやりがいを感じていた職場をあえて離れ、フランスへも旅立った。それでも結局、「コレ」と言った決定的なものは最後まで見つけられなかった。「これが私の生きる道!」とはっきり言い切れるような、迷いのない確信を。ところが先日、海外でもその才能が認められ、活躍しているあるバレリーナがテレビのインタビューで「これからの目標は、女性として完成することですね」と、今後の目標について語っているのを観て、「あぁ、これだ!」って思った。

あとは数年前に中国へ行ったとき、占ってもらったところ、実はそれしきりの“予言”めいた啓示を受けていた。具体的にどうとかって言われたわけではないけれど、占ってくれた友達は、とても意味深な表情で私に結果を伝えることを躊躇していたことを今でもはっきり記憶している。

話が少し逸れたけれど、なにより、これからジェダイが産まれてきて、物心がつくにつれ、いろんなことを説明したりしていかなければならないと思う。すべてを知っている、そしてジェダイの質問に答えてあげられるのは、他でもなく、この私しかいないのだ。

たとえばジェダイが「パパはどこに居るの?」と訊く日がいつか必ず来るだろう。そして「イスラエルに居る」と言えば、「どうして?」と訊き、パパはユダヤ人でシオニズム思想のものとにイスラエルに旅立った……ってなると、当然ながら「ユダヤ人って?」、「シオニズムって?」、「じゃ、ジェダイは何人なの?」……と、いくつもの疑問が沸いてくるに違いない。そうなったとき、母として私はどう答えることができるのだろうか? この大人でもわかりにくい複雑な疑問に対して。だからこそ、まだ記憶が褪せないうちに、事実をしっかりと書き留めておかなければならないとも思うのだ。

そして、ジェダイもそのうち自らのアイデンティティーを意識する年齢になると思う。でも私は母として、その属性よりも、まずはジェダイがジェダイとして生きることを大切に思い、誇り高く生きてほしいと思うのだ。