Qu'y puis-je?
『What can I do?』
ここしばらくブログをお休みしていたけれど、体調はすこぶる良好。と言っても一日のほとんどを横になってテレビや映画を見て過ごし、日が傾き涼しくなってきたところで近場に買い物に出掛ける程度の生活だが。あとは毎日の炊事、洗濯、掃除。領収書、請求書の整理をぼちぼちしたり。こんなことは以前だったら、毎日仕事をしながらとても効率よく片付けていたことだけど、今は驚くほどにスローペース。あと一ヶ月前後でまた生活が一変するかと思ったら、今はこんなふうに時間を過ごすのも悪くはないかも。とはいえ、こんなペースでも案外時間というのはあっと言う間に過ぎてしまうもので、夜、気がつくと眠っていたりすると「あぁ、あれもやりたかったのに」なんて思う日々。時間もお金もホント、使い方なんだなって思う。
今朝の東京は絵に描いたような夏空。高層マンションの背後を入道雲が"植生"している様子を窓から眺める。今年の夏は思ったほどには暑くない。自宅から河原が近いせいなのか、窓を開けていると日中でも結構風が吹き込んでくる。まぁそのぶん都心はヒートアイランド現象で暑いのかもしれないが、私に限っては今年の夏は避暑をさせてもらっているような気分。
ここのところのジェダイの様子と言えば、随分大人しくなった。位置もだいぶん下がってきた感があるし、胎動も静かになった。相変わらずよく動くけれど、前のように暴れる感じではなくなり、そのぶん内側からのボディブローの力強さが増した感じ。大きくなっていい加減、もう子宮のなかで自由に動けなくなってきたのかもしれない。そう言えば、異常だった食欲もどういうわけかピタっと治まり、こないだみたいに常に何か食べていないとお腹が空くという感じでもなくなった。お腹のかたちも前に突き出るという感じから、少し横に広がり、丸くなった感じがする。
ここ数日、MSNを起ち上げていると、何人かに久々に声をかけられることがあった。それでもたいがい寝ていて気づかずに、その後に相手のほうがオフラインになってしまうことが多いのだが。先日は中国人のある友達が話しかけてきて、ほんの少しだけ話した。彼女はリール時代に知り合った友達で、私がパリに引っ越してからもパリに来るときは必ず連絡をくれたり、日本に帰る前は自宅で食事に招待してくれたりと、結構親しくしていたひとり。彼女のほうはテキスタイル系のグランゼコール(大学院学校)に3年間の交換留学でフランスに来ている学生さんなので、この夏は義務である企業でのスタージュ(研修)で忙しくしていたらしく、最近中国に帰ってきてやっとネットが使えるようになったようだ。
少し前に彼女と彼女の仲間にはメールで出産予定であることを知らせていたのだけれど、以降彼女からはまだ返事がなくて読んだかどうか不確かだったのだけれど、とりあえずそれを確認すると知っているとのこと。彼女は続けて「おめでとう」の一言を言ってくれたのだけれど、その後の会話で正直とても気分を害してしまい、申し訳ないと思いつつも「それ以上この話をあなたと議論するつもりはない」とそこで会話を止めた。
「C'est pas juste」(=It's not just)。彼女が放った言葉で私がこれ以上話を続けてもどうしようもないと思った一言。彼女はジェダイの父親を批難し、思うに私を擁護して気遣ってくれたがためにそう言ったのだろうけれど、やっぱり彼に会ったこともなく、彼のことを知りもしなくて、唐突に第三者にこんなふうに言われてしまうのはちょっと違うと思ったのだ。私自身がどう思うかというよりも、そんなふうな理解しがたい複雑な関係や状況にもかかわらず、一度だって彼をそんなふうに言ったことはない私の両親に対して、そしてジェダイに対してとても申し訳ない気持ちになったのだ。
なにより、どんなことであれ、私自身はよく知りもしないことを第三者がジャッジメントを下すことは好きではない。そして例えば友達どうしの諍いに関しても、当事者以外の第三者を巻き込むことが嫌いだし、そうやって当事者でもないのに自分がある種のグループみたいなのに取り込まれていくのも興味がない。まぁだから周囲からは「調子いい奴」とか「八方美人」とか、「ポリシーがない」とか誤解されることも多いのだけれど。それから、人をただある一面で評価すること、決め付けることもしたくはない。だいたい人間なんて、それぞれに長所短所があってしかりだし、完璧な人間なんてあり得ないのだし。それになにより、これは大人になって理解したことなのだけれど、人と人との相性ってのも存在する。ま、こういう論理はある意味、不完全な自分に対してのひとつの"excuse"でもあるのだけれど。
しかし、そんな私がもう間もなく人の親になり、ひとりの人間を教育していく立場になってしまう。私が両親から言わずもがなに教わったように(それが必ずしも我々の間で完成されているわけではないけれど)、ジェダイにもやはり"懐の深い人間"になってほしいと思う。広い視野を持ち、他人を理解しようとする志、そして自分で培った見識をもとに自分なりの判断をして、なによりそれを上手に提案できる人間。……はぁ、どの親もそんなふうに我が子に望みをかけるものなんだな。でも本当は、今いちばんに思うのは、五体満足で産まれてきてくれること。先日母も言ってたけど、「多少おバカさんでも健康であればそれで十分」。そうやってきっと我が両親も、31年前に私の誕生を心待ちにしててくれたんだね。
イスラエル、レバノンは今日、停戦の予定。そして日本は明日が終戦記念日。いろいろ思うことがあるけれど、それはまた改めて。
ここしばらくブログをお休みしていたけれど、体調はすこぶる良好。と言っても一日のほとんどを横になってテレビや映画を見て過ごし、日が傾き涼しくなってきたところで近場に買い物に出掛ける程度の生活だが。あとは毎日の炊事、洗濯、掃除。領収書、請求書の整理をぼちぼちしたり。こんなことは以前だったら、毎日仕事をしながらとても効率よく片付けていたことだけど、今は驚くほどにスローペース。あと一ヶ月前後でまた生活が一変するかと思ったら、今はこんなふうに時間を過ごすのも悪くはないかも。とはいえ、こんなペースでも案外時間というのはあっと言う間に過ぎてしまうもので、夜、気がつくと眠っていたりすると「あぁ、あれもやりたかったのに」なんて思う日々。時間もお金もホント、使い方なんだなって思う。
今朝の東京は絵に描いたような夏空。高層マンションの背後を入道雲が"植生"している様子を窓から眺める。今年の夏は思ったほどには暑くない。自宅から河原が近いせいなのか、窓を開けていると日中でも結構風が吹き込んでくる。まぁそのぶん都心はヒートアイランド現象で暑いのかもしれないが、私に限っては今年の夏は避暑をさせてもらっているような気分。
ここのところのジェダイの様子と言えば、随分大人しくなった。位置もだいぶん下がってきた感があるし、胎動も静かになった。相変わらずよく動くけれど、前のように暴れる感じではなくなり、そのぶん内側からのボディブローの力強さが増した感じ。大きくなっていい加減、もう子宮のなかで自由に動けなくなってきたのかもしれない。そう言えば、異常だった食欲もどういうわけかピタっと治まり、こないだみたいに常に何か食べていないとお腹が空くという感じでもなくなった。お腹のかたちも前に突き出るという感じから、少し横に広がり、丸くなった感じがする。
ここ数日、MSNを起ち上げていると、何人かに久々に声をかけられることがあった。それでもたいがい寝ていて気づかずに、その後に相手のほうがオフラインになってしまうことが多いのだが。先日は中国人のある友達が話しかけてきて、ほんの少しだけ話した。彼女はリール時代に知り合った友達で、私がパリに引っ越してからもパリに来るときは必ず連絡をくれたり、日本に帰る前は自宅で食事に招待してくれたりと、結構親しくしていたひとり。彼女のほうはテキスタイル系のグランゼコール(大学院学校)に3年間の交換留学でフランスに来ている学生さんなので、この夏は義務である企業でのスタージュ(研修)で忙しくしていたらしく、最近中国に帰ってきてやっとネットが使えるようになったようだ。
少し前に彼女と彼女の仲間にはメールで出産予定であることを知らせていたのだけれど、以降彼女からはまだ返事がなくて読んだかどうか不確かだったのだけれど、とりあえずそれを確認すると知っているとのこと。彼女は続けて「おめでとう」の一言を言ってくれたのだけれど、その後の会話で正直とても気分を害してしまい、申し訳ないと思いつつも「それ以上この話をあなたと議論するつもりはない」とそこで会話を止めた。
「C'est pas juste」(=It's not just)。彼女が放った言葉で私がこれ以上話を続けてもどうしようもないと思った一言。彼女はジェダイの父親を批難し、思うに私を擁護して気遣ってくれたがためにそう言ったのだろうけれど、やっぱり彼に会ったこともなく、彼のことを知りもしなくて、唐突に第三者にこんなふうに言われてしまうのはちょっと違うと思ったのだ。私自身がどう思うかというよりも、そんなふうな理解しがたい複雑な関係や状況にもかかわらず、一度だって彼をそんなふうに言ったことはない私の両親に対して、そしてジェダイに対してとても申し訳ない気持ちになったのだ。
なにより、どんなことであれ、私自身はよく知りもしないことを第三者がジャッジメントを下すことは好きではない。そして例えば友達どうしの諍いに関しても、当事者以外の第三者を巻き込むことが嫌いだし、そうやって当事者でもないのに自分がある種のグループみたいなのに取り込まれていくのも興味がない。まぁだから周囲からは「調子いい奴」とか「八方美人」とか、「ポリシーがない」とか誤解されることも多いのだけれど。それから、人をただある一面で評価すること、決め付けることもしたくはない。だいたい人間なんて、それぞれに長所短所があってしかりだし、完璧な人間なんてあり得ないのだし。それになにより、これは大人になって理解したことなのだけれど、人と人との相性ってのも存在する。ま、こういう論理はある意味、不完全な自分に対してのひとつの"excuse"でもあるのだけれど。
しかし、そんな私がもう間もなく人の親になり、ひとりの人間を教育していく立場になってしまう。私が両親から言わずもがなに教わったように(それが必ずしも我々の間で完成されているわけではないけれど)、ジェダイにもやはり"懐の深い人間"になってほしいと思う。広い視野を持ち、他人を理解しようとする志、そして自分で培った見識をもとに自分なりの判断をして、なによりそれを上手に提案できる人間。……はぁ、どの親もそんなふうに我が子に望みをかけるものなんだな。でも本当は、今いちばんに思うのは、五体満足で産まれてきてくれること。先日母も言ってたけど、「多少おバカさんでも健康であればそれで十分」。そうやってきっと我が両親も、31年前に私の誕生を心待ちにしててくれたんだね。
イスラエル、レバノンは今日、停戦の予定。そして日本は明日が終戦記念日。いろいろ思うことがあるけれど、それはまた改めて。
0 Comments:
Enregistrer un commentaire
<< Home