Qui sait ce qui en arrivera?
『この先を知るものは誰もいない』
いつの間にか8月。レバノンへの攻撃で戦闘状態が続くイスラエルに居るジェダイのパパは、確か8月からはエルサレムからテルアヴィヴへ移ると言っていたけれど、このごろはどうしているのだろうか。MSNではオンラインになってしょっちゅう見かけるから、とりあえず元気ではいるのだろうけれど。最近は私のほうが一方的に連絡を絶ってしまっている状態。さすがにこのごろは長時間パソコンの前で座っているのも辛くなってきたのと、なにより何を話していいのか、何から話していいのかがわからない。話さずに居ることと、話すこと、どっちがストレスに感じるのかわからない。それでも彼のほうもストレスだろうから、そろそろメールだけでも書いたほうがいいのだろうけれど。前回のメールではちょっと体調がよくないことを知らせたので、とりあえず元気で居るということぐらいは。
母が帰った翌日は、うってかわって体調が悪く、朝からずっと寝てばかり居た。それでも食事は摂らなければと、なんとか台所に立つのだけれど、母を帰してしまったことを少し後悔した。でも母がそばに居れば居たで、甘えすぎてしまってよくないし、難しいところだ。
ところが、一晩明けた昨日の朝は早朝からすっきりお目覚め。午前中からお風呂にゆっくり浸かって、気分もリフレッシュ。前日はとてもじゃないけれど、シャワーを浴びる体力さえもなく、それでも汗をかいた身体がなにより気持ち悪くて仕方がなかった。それから一日寝ていたせいで、たまった台所の後片付けや洗濯、掃除などを一気に済ませた。家賃の振込みが一日遅れてしまったけれど、午前中に銀行へも行けた。やっぱり母が来ていて、助けられはしたものの、ちょっと疲れていたのかも。おしゃべり母娘だけに。私も動悸してるのに、無理してしゃべんなきゃいいのに。そう言えば、忘れていたけれど、張り止めの薬はそのあたり多少の副作用があるって説明も受けてたっけ。
そして午後からは、母親学級に初参加する。母子手帳をもらったときに案内が入ったのだけれど、そのときは「プレママ交流会とか、なんか面倒くさそうだなー。興味ねぇ~」って思ってたけど、先日の検診で「そろそろ母親学級にも行かれたほうがいいですよ」と言われ、なんとなくその気に。大学四年のときの就職活動のときもそうだったけど(結局、こちらは途中で嫌になってしまって人と同じことをしていることがバカらしくて止めてしまったが)、母親学級も妊婦でなければ参加できない、考えようによっては"特権"だ。しかも初産でなければ参加しないだろうし、この機会を逃したらこの先もうチャンスがなくなってしまうだろうし、これは"取材"だと思ってむしろ潜入すべきだろうと思った。
そんなわけで、参加意欲は高まったものの、産院で「そろそろ……」と言われた割には、スケジュールが限られている。私の住む地区の自治体の場合、全3回制で月単位で行われ、8月を逃すと次はもう予定日にかかってしまう。というわけで、既に妊娠9ヶ月の私は大慌てで予約申し込みをしなければならず、しかも8月の母親学級は最寄の保健センターでは実施されておらず、別のところに申し込むことに。
母親学級の会場となっているセンターの入り口には、マタニティーないでたちのそれらしき"お仲間さん"たちがたくさん居て、ゾロゾロ中に入っていく。その様子はある意味、"カルト教団"のセミナー。受付で母子手帳を提出し、それと引き換えに資料と住所(番地以前)と名前が書かれた名札を受け取り、会議室みたいなところへ。ざっと見渡す限り、同じ妊婦とはいえ、まだお腹が目立たない人から今にも陣痛始まってもおかしくなさそうな人までさまざまだ。 会場前方のホワイトボードには、「自己紹介:名前、住所、予定日、出産場所、受講動機」と書かれていて、明らかにその先、"自己紹介"が予定されていることを物語っている。まぁ、自己紹介はいいとして、個人的には"受講動機"ってなんだよ? ……ってツッコミ。ここに来る人って、皆そんなに高い志なんだろうか?
とはいえ、担当指導員の女性は、近所に居そうな世話好きだけど、決して"おせっかい"ではないおばさんという感じの人で、なかなか好印象。自己紹介も隣の人と二人ずつペアを組んで、まずは二人で軽く談笑をして、相手を紹介するというパターンで、初対面の気恥ずかしさを紛らわせてくれるようなかなか配慮されていた。
私がペアを組んだのは、日本人と結婚している中国人の女性。既に5歳の男の子のママで、出産は2回目だそう。予定日は私のちょうど一ヶ月後だけど、私より全然お腹が出ている。受講動機は「1回目のことを忘れたから」とのたまい、その正直さに思わず笑ってしまった。
30人ちょっとの参加者の中で、予定日は2番目に早い妊婦で、いちばんでなかったのがちょっと悔しかったのだけれど、そんなところで競ってもどうしようもない。過半数が10月出産という感じで、中には来年早々出産という人も居て、かなり幅がある。でも子供はみんな同級生なんだ。
交流会の後は、助産婦さんがやってきて、長~い講義。正直、9ヶ月の身体には椅子に腰掛け、ずっと同じ姿勢で休憩もなしに、約3時間は辛すぎる。やっぱり妊娠中期に入ったばかりの人から後期の人まで一緒に講義をするというのは、体力的にも内容的にも無理があるというのが正直な感想。まぁ、母親学級もある種"お役所仕事"のひとつだから、その典型を見た感じで面白いのだけれど。
助産婦さんはどちらかというと"おせっかい"系おばさんという印象。なんでも人の言うことを聞いて、主体性のない、自信のないタイプの妊婦さんには、彼女のような強引なタイプの助産婦さんは"頼りがいがある"と、一気にそのカルトに取り込まれていくだろうけれど(人によっては助産院で出産したほうがいいかも……と思ってしまうかも)、私のような自己主張が激しく、我が道を行くどころか自ら敷設してしまうようなタイプはちょっと苦手。実際、事前に「妊婦体操をするので動きやすい服装を」と言われていたけれども、医者からは「むしろ安静に」と言われているのに、なによりそんな動けるかよ! と最初から見学のつもりで来ていた私に対し、彼女は相手の事情など察する様子もなく「スカート?」と無骨に訊ね、「動ける状態ではないので体操は見学させてもらいます」と火花散らしている二人。っていうか、だいたいズボンなんて持ってないし。スカートでさえ、お腹を圧迫してうっ血するので辛くて穿けないのに。
とはいえ、助産婦さんの話もやっぱりためになる話もあって、まぁ分娩が進む様子とかはどっちにしても避けては通れないことなんだから、いまさら脅してどーすんだ? って気もしたし、だいたい助産院での話が中心で「ここに居る人、全員病院で出産するって言ってんのにな」って感じで、長い時間を割いて行う講義ではないような気もしたけれど、「月の満ち欠けと出産の関係」の話はなかなか興味深かった。昔から大潮の日には出産が多いというけれど、それは単なる迷信というわけでもなくて、助産婦としての彼女の経験から語られる根拠は、科学的でもあり「なるほどな」と思ったり。だから母親学級とはいえ、どれも話半分に聞いて、それをそのまま実践すべきかどうかは最終的には自分で考えるぐらいの気構えで参加すべき。ただどちらにしても判断材料は必要になるので、できるだけいろんな話を聞いたり、参考になるものは読んだりしておいたほうがいいと思う。でも最終的には例えば「お母さんはそういうの一切行ったりしなかったよ」という、我が母の事例もあるのだから、それでもなんとかなるし、過度に心配になる必要はない。というか、我が家はあくまで"オレ流"を貫く血筋のようだ。
帰宅後、さっそく来月の暦を調べてみると、自分の予定日の前後だと、大潮にあたるのは8日の満月と22日の新月。果たして結果はどうなるのだろう。とはいえ、前回の検診で低地胎盤と診断され、早産の傾向があると言われているので、あっさり帝王切開で生命の神秘もなにもなくなるかもしれないけれど。まぁ、それはそれで"科学と非科学の融合”という感じで、"ネットとリアルの融合"みたいで新しい感じがして悪くはないか。ただどっちにしたって、母子ともに健康であれば、そしてジェダイが五体満足で産まれてくれれば、後のことはプライオリティー的にはずーっと下のほうにある。
何はともあれ、今週で33週。予定日までは一ヶ月以上あるけれど、とりあえずあと3週頑張れば、まずは早産は免れる。臨月に入れば、いつ産まれてきてももう赤ちゃんが外界で生活するのに十分な機能が整っているというし、この9ヶ月目というのがある意味、いちばん大切な時期であり、母体的にもいちばんしんどい時期であろう。出産のときの痛みは想像を絶するものだろうけれど、それでも長い人で3日間というから、何日も続くわけではない。それより先、産まれてきてからのほうが先は長いのだ。母親学級で経産婦さんが二人居たのだけれど、「産むのと育てるのどっちが大変?」という問いに対して、二人とも「育てるほう」と声を揃えて迷わず言い放った。
それでも私としては、大変なことは覚悟の上で、子育て自体はちょっと楽しみでもあったりする。自分がどこまで頑張れるか、やれるのか。絶対に途中で投げ出すことができない、大事業に自分なりにどう取り組み、新境地を開拓していけるのか。既に子育てをしている人は、辛く大変だけれども、それと引き換えに得られるものもあると皆必ず言う。
だけど、もう少しでジェダイが出てきてしまうのは、ほんの少し寂しい気持ちもある。私の場合、意識的に母子一体で過ごす時期というのはたったの3ヶ月足らずということになってしまった。ふつうではない身体の状態が辛くても、自分の体内に別の生命体を感じることができるというのは、とてもユニークな体験でもある。外に出てきてしまったらもうお腹の中でしゃっくりをしていたり、蹴伸びをしていたり、そういうのを感じることもなく、ジェダイとは完全に別個の個体になってしまうことを思うと、なんだかやっぱり寂しい。
だってこの世に生を受けて以来、今まででこんなにも誰かがそばに居てくれたことはなかったから。
いつの間にか8月。レバノンへの攻撃で戦闘状態が続くイスラエルに居るジェダイのパパは、確か8月からはエルサレムからテルアヴィヴへ移ると言っていたけれど、このごろはどうしているのだろうか。MSNではオンラインになってしょっちゅう見かけるから、とりあえず元気ではいるのだろうけれど。最近は私のほうが一方的に連絡を絶ってしまっている状態。さすがにこのごろは長時間パソコンの前で座っているのも辛くなってきたのと、なにより何を話していいのか、何から話していいのかがわからない。話さずに居ることと、話すこと、どっちがストレスに感じるのかわからない。それでも彼のほうもストレスだろうから、そろそろメールだけでも書いたほうがいいのだろうけれど。前回のメールではちょっと体調がよくないことを知らせたので、とりあえず元気で居るということぐらいは。
母が帰った翌日は、うってかわって体調が悪く、朝からずっと寝てばかり居た。それでも食事は摂らなければと、なんとか台所に立つのだけれど、母を帰してしまったことを少し後悔した。でも母がそばに居れば居たで、甘えすぎてしまってよくないし、難しいところだ。
ところが、一晩明けた昨日の朝は早朝からすっきりお目覚め。午前中からお風呂にゆっくり浸かって、気分もリフレッシュ。前日はとてもじゃないけれど、シャワーを浴びる体力さえもなく、それでも汗をかいた身体がなにより気持ち悪くて仕方がなかった。それから一日寝ていたせいで、たまった台所の後片付けや洗濯、掃除などを一気に済ませた。家賃の振込みが一日遅れてしまったけれど、午前中に銀行へも行けた。やっぱり母が来ていて、助けられはしたものの、ちょっと疲れていたのかも。おしゃべり母娘だけに。私も動悸してるのに、無理してしゃべんなきゃいいのに。そう言えば、忘れていたけれど、張り止めの薬はそのあたり多少の副作用があるって説明も受けてたっけ。
そして午後からは、母親学級に初参加する。母子手帳をもらったときに案内が入ったのだけれど、そのときは「プレママ交流会とか、なんか面倒くさそうだなー。興味ねぇ~」って思ってたけど、先日の検診で「そろそろ母親学級にも行かれたほうがいいですよ」と言われ、なんとなくその気に。大学四年のときの就職活動のときもそうだったけど(結局、こちらは途中で嫌になってしまって人と同じことをしていることがバカらしくて止めてしまったが)、母親学級も妊婦でなければ参加できない、考えようによっては"特権"だ。しかも初産でなければ参加しないだろうし、この機会を逃したらこの先もうチャンスがなくなってしまうだろうし、これは"取材"だと思ってむしろ潜入すべきだろうと思った。
そんなわけで、参加意欲は高まったものの、産院で「そろそろ……」と言われた割には、スケジュールが限られている。私の住む地区の自治体の場合、全3回制で月単位で行われ、8月を逃すと次はもう予定日にかかってしまう。というわけで、既に妊娠9ヶ月の私は大慌てで予約申し込みをしなければならず、しかも8月の母親学級は最寄の保健センターでは実施されておらず、別のところに申し込むことに。
母親学級の会場となっているセンターの入り口には、マタニティーないでたちのそれらしき"お仲間さん"たちがたくさん居て、ゾロゾロ中に入っていく。その様子はある意味、"カルト教団"のセミナー。受付で母子手帳を提出し、それと引き換えに資料と住所(番地以前)と名前が書かれた名札を受け取り、会議室みたいなところへ。ざっと見渡す限り、同じ妊婦とはいえ、まだお腹が目立たない人から今にも陣痛始まってもおかしくなさそうな人までさまざまだ。 会場前方のホワイトボードには、「自己紹介:名前、住所、予定日、出産場所、受講動機」と書かれていて、明らかにその先、"自己紹介"が予定されていることを物語っている。まぁ、自己紹介はいいとして、個人的には"受講動機"ってなんだよ? ……ってツッコミ。ここに来る人って、皆そんなに高い志なんだろうか?
とはいえ、担当指導員の女性は、近所に居そうな世話好きだけど、決して"おせっかい"ではないおばさんという感じの人で、なかなか好印象。自己紹介も隣の人と二人ずつペアを組んで、まずは二人で軽く談笑をして、相手を紹介するというパターンで、初対面の気恥ずかしさを紛らわせてくれるようなかなか配慮されていた。
私がペアを組んだのは、日本人と結婚している中国人の女性。既に5歳の男の子のママで、出産は2回目だそう。予定日は私のちょうど一ヶ月後だけど、私より全然お腹が出ている。受講動機は「1回目のことを忘れたから」とのたまい、その正直さに思わず笑ってしまった。
30人ちょっとの参加者の中で、予定日は2番目に早い妊婦で、いちばんでなかったのがちょっと悔しかったのだけれど、そんなところで競ってもどうしようもない。過半数が10月出産という感じで、中には来年早々出産という人も居て、かなり幅がある。でも子供はみんな同級生なんだ。
交流会の後は、助産婦さんがやってきて、長~い講義。正直、9ヶ月の身体には椅子に腰掛け、ずっと同じ姿勢で休憩もなしに、約3時間は辛すぎる。やっぱり妊娠中期に入ったばかりの人から後期の人まで一緒に講義をするというのは、体力的にも内容的にも無理があるというのが正直な感想。まぁ、母親学級もある種"お役所仕事"のひとつだから、その典型を見た感じで面白いのだけれど。
助産婦さんはどちらかというと"おせっかい"系おばさんという印象。なんでも人の言うことを聞いて、主体性のない、自信のないタイプの妊婦さんには、彼女のような強引なタイプの助産婦さんは"頼りがいがある"と、一気にそのカルトに取り込まれていくだろうけれど(人によっては助産院で出産したほうがいいかも……と思ってしまうかも)、私のような自己主張が激しく、我が道を行くどころか自ら敷設してしまうようなタイプはちょっと苦手。実際、事前に「妊婦体操をするので動きやすい服装を」と言われていたけれども、医者からは「むしろ安静に」と言われているのに、なによりそんな動けるかよ! と最初から見学のつもりで来ていた私に対し、彼女は相手の事情など察する様子もなく「スカート?」と無骨に訊ね、「動ける状態ではないので体操は見学させてもらいます」と火花散らしている二人。っていうか、だいたいズボンなんて持ってないし。スカートでさえ、お腹を圧迫してうっ血するので辛くて穿けないのに。
とはいえ、助産婦さんの話もやっぱりためになる話もあって、まぁ分娩が進む様子とかはどっちにしても避けては通れないことなんだから、いまさら脅してどーすんだ? って気もしたし、だいたい助産院での話が中心で「ここに居る人、全員病院で出産するって言ってんのにな」って感じで、長い時間を割いて行う講義ではないような気もしたけれど、「月の満ち欠けと出産の関係」の話はなかなか興味深かった。昔から大潮の日には出産が多いというけれど、それは単なる迷信というわけでもなくて、助産婦としての彼女の経験から語られる根拠は、科学的でもあり「なるほどな」と思ったり。だから母親学級とはいえ、どれも話半分に聞いて、それをそのまま実践すべきかどうかは最終的には自分で考えるぐらいの気構えで参加すべき。ただどちらにしても判断材料は必要になるので、できるだけいろんな話を聞いたり、参考になるものは読んだりしておいたほうがいいと思う。でも最終的には例えば「お母さんはそういうの一切行ったりしなかったよ」という、我が母の事例もあるのだから、それでもなんとかなるし、過度に心配になる必要はない。というか、我が家はあくまで"オレ流"を貫く血筋のようだ。
帰宅後、さっそく来月の暦を調べてみると、自分の予定日の前後だと、大潮にあたるのは8日の満月と22日の新月。果たして結果はどうなるのだろう。とはいえ、前回の検診で低地胎盤と診断され、早産の傾向があると言われているので、あっさり帝王切開で生命の神秘もなにもなくなるかもしれないけれど。まぁ、それはそれで"科学と非科学の融合”という感じで、"ネットとリアルの融合"みたいで新しい感じがして悪くはないか。ただどっちにしたって、母子ともに健康であれば、そしてジェダイが五体満足で産まれてくれれば、後のことはプライオリティー的にはずーっと下のほうにある。
何はともあれ、今週で33週。予定日までは一ヶ月以上あるけれど、とりあえずあと3週頑張れば、まずは早産は免れる。臨月に入れば、いつ産まれてきてももう赤ちゃんが外界で生活するのに十分な機能が整っているというし、この9ヶ月目というのがある意味、いちばん大切な時期であり、母体的にもいちばんしんどい時期であろう。出産のときの痛みは想像を絶するものだろうけれど、それでも長い人で3日間というから、何日も続くわけではない。それより先、産まれてきてからのほうが先は長いのだ。母親学級で経産婦さんが二人居たのだけれど、「産むのと育てるのどっちが大変?」という問いに対して、二人とも「育てるほう」と声を揃えて迷わず言い放った。
それでも私としては、大変なことは覚悟の上で、子育て自体はちょっと楽しみでもあったりする。自分がどこまで頑張れるか、やれるのか。絶対に途中で投げ出すことができない、大事業に自分なりにどう取り組み、新境地を開拓していけるのか。既に子育てをしている人は、辛く大変だけれども、それと引き換えに得られるものもあると皆必ず言う。
だけど、もう少しでジェダイが出てきてしまうのは、ほんの少し寂しい気持ちもある。私の場合、意識的に母子一体で過ごす時期というのはたったの3ヶ月足らずということになってしまった。ふつうではない身体の状態が辛くても、自分の体内に別の生命体を感じることができるというのは、とてもユニークな体験でもある。外に出てきてしまったらもうお腹の中でしゃっくりをしていたり、蹴伸びをしていたり、そういうのを感じることもなく、ジェダイとは完全に別個の個体になってしまうことを思うと、なんだかやっぱり寂しい。
だってこの世に生を受けて以来、今まででこんなにも誰かがそばに居てくれたことはなかったから。
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