Le temps se passe...
『Time goes by...』
ここ2日ほど、外にも出ずに家事をする程度でゴロゴロしているせいか、体調はすこぶるよくなった。薬は飲み続けているけれど、お腹の張りもほとんど感じない。思うに、体調がいいとついついアクティブに動きたくなるところを敢えて我慢して、じっとしているほうがいいのかも。ただどっちにしても、子宮底が日に日に上がってきているので、座っていても姿勢によっては胸が苦しいけれど。これから出産までは、ジェダイが元気に順調に成長すればするほど、自分の身体のほうが辛くなるというジレンマ。それでもまだ見ぬ愛しい我が子のために、台所で毎晩まな板を消毒していたりする自分に本当に驚く。今までなんて、大人だし、少々腐ったものでも「ま、死ぬことはないだろう」と口にしたりもしてたけど、今はそれらが全部ジェダイの栄養となることを考えると、変なものは食べられなくなった。生鮮食品を買うときも、産地とかチェックして比べたりして。
私がご飯を食べてしばらくすると、ジェダイは本当によく動く。最近の傾向としてわかったのは、ヨーグルトを食べた後が特に。ひと言で胎動と言っても、9ヶ月にも入るとパターンが多様になってくる。まずは明らかに手足を動かし、蹴伸びをしているような動き。これはもう痛いくらいに力強いので、時々「もう、痛いよ~」と突っ込みを入れたりもする。あとは脈打つような鼓動。これはちょっとはっきりとはわからないのだけれど、ひょっとしたらしゃっくりをしているのかもしれないと、自分なりには分析している。
それにしても、家でゴロゴロしながらもネットで調べものをしたり、本を読んだり、映画を見たり、それなりに自分らしい時間の過ごし方にも慣れてきた。4月末に日本に戻って、その後、東京へ再上京して新生活も安定しつつあり、社会復帰も徐々に果たし、割と順当に(というか、2年半のブランクを思うとむしろ恵まれているほうだと思う)、「よし、これから、本腰入れるぞ!」というところでの妊娠発覚。ちょうど意欲が漲ったところでのことだったので、やや残念な気持ちもあったけれど、出産後母子ともに健康であればまたいくらでも再開できることだし……と、最近は潔い気持ちになってきた。ホント言うと、やりたい企画もたくさん溜め込んでいるんだけれど、それらは今やれないことはないだろうけれど、無理に発動してしまうと、それこそ急に産気づいたりしてしまって、自分の手に負えなくなり、周囲に迷惑をかけてしまうことを考えるとしばし我慢。そんな折に、昨日も、書評を書かせていただいた今日新創刊のある雑誌の見本誌が届いた。こないだの古巣での特集もそうだけれど、今や行き先が決して明るくない紙媒体だけれど、やっぱり作る側としては、ウェブとは違った醍醐味がある。テキストを上げて、それこそこのブログのように気軽に世に発信できるウェブとは違って、紙媒体は出来上がるまである程度時間がかかる。書籍なんかの場合、仕込みの時間も含めたら、何年がかりというプロジェクトだったりもする。それだけに出来上がったときの喜びも大きいもの。それこそ、実体のない発想やアイディア(時にそれは他愛もない単なる思い付き)から、"カタチ"あるものに仕上げていくという一連の過程は、妊娠、出産にもちょっと似ているかもしれない。
昨日は、秋篠宮妃が宮内庁病院で診察を受けたというニュースもやっていた。妊娠週数も近く、先日「前置胎盤」と診断され、帝王切開が必要な状況とか(私は「低地胎盤」で帝王切開の可能性が高いという診断なのでまったく同じではないけれど)共通点もあって、なにより同じ妊婦としてやはり気になるもの。
それで昨日は「高齢出産」についても調べていて、いろんな複雑な状況を一切排除して考えた場合、やっぱり私の場合は、今、子を授かるべくして授かったのではないかと思えてきた。というのも、「早いうちに子供を持ちたい」という気持ちは、絶対的だった。だから結婚というご縁に恵まれさえすれば、いつでも出産していいと思っていたのだ。
よく「出産には年齢的な制限がある」とはいうけれど、それは個人差もあるものだし、芸能人とかで40歳を過ぎて高齢出産したとかそういうニュースも聞くから、「まぁなんとかなるだろう」って、一般論で考えがち。心のどこかで心配しつつも、実際自分自身もそういうひとりだった。35歳前後で妊娠するとして、その時点で真剣に取り組めば多分大丈夫だろうと。
でも調べてみてわかったことは、人間の生命力というのは確実に低下していくということ。そして、これはなにも女性の側に限ったことではない。例えば、35歳で子供が欲しいなと思ったときに、その時点で避妊を止めればすぐに子供ができるといった、簡単なものではないのだ。実際、私の場合は、その逆で「できるときにはできるものなんだ」というぐらい、心当たりとしては可能性のとても低い状況だったのだ(だからこそギリギリまで自分が妊娠している可能性を疑わなかった)。生命の誕生は、ある程度は医学的論理に従うことはできるけれど、100%それで解明できるものではない。
少子化の問題はあるにせよ、子供を持つ持たないは最終的には個人の自由だ。だけど「いずれは……」と少しでも考えているならば、その"いずれ"の時に備えて、まさに今から真剣に考えておくべきだと思う。ある専門家は、特に30代以上の女性は妊娠したい時期から2~3年前ぐらいには、とりあえず自分の体質を知っておくなりの取り組み始めるべきだと言っている。
とはいえ、つい最近まで、調子が悪くてもなかなか病院にさえいかなくて、自分の身体に無関心だった私。そんな偉そうな口を叩ける身分ではないけれど、でもだからこそ逆に、周囲の人にはもっともっと自分の身体のことを把握しておいてほしいと心から思うのだ。
そして「子を授かるということは、命について考えること」。今は本当にそれを実感する毎日を送っている。
ここ2日ほど、外にも出ずに家事をする程度でゴロゴロしているせいか、体調はすこぶるよくなった。薬は飲み続けているけれど、お腹の張りもほとんど感じない。思うに、体調がいいとついついアクティブに動きたくなるところを敢えて我慢して、じっとしているほうがいいのかも。ただどっちにしても、子宮底が日に日に上がってきているので、座っていても姿勢によっては胸が苦しいけれど。これから出産までは、ジェダイが元気に順調に成長すればするほど、自分の身体のほうが辛くなるというジレンマ。それでもまだ見ぬ愛しい我が子のために、台所で毎晩まな板を消毒していたりする自分に本当に驚く。今までなんて、大人だし、少々腐ったものでも「ま、死ぬことはないだろう」と口にしたりもしてたけど、今はそれらが全部ジェダイの栄養となることを考えると、変なものは食べられなくなった。生鮮食品を買うときも、産地とかチェックして比べたりして。
私がご飯を食べてしばらくすると、ジェダイは本当によく動く。最近の傾向としてわかったのは、ヨーグルトを食べた後が特に。ひと言で胎動と言っても、9ヶ月にも入るとパターンが多様になってくる。まずは明らかに手足を動かし、蹴伸びをしているような動き。これはもう痛いくらいに力強いので、時々「もう、痛いよ~」と突っ込みを入れたりもする。あとは脈打つような鼓動。これはちょっとはっきりとはわからないのだけれど、ひょっとしたらしゃっくりをしているのかもしれないと、自分なりには分析している。
それにしても、家でゴロゴロしながらもネットで調べものをしたり、本を読んだり、映画を見たり、それなりに自分らしい時間の過ごし方にも慣れてきた。4月末に日本に戻って、その後、東京へ再上京して新生活も安定しつつあり、社会復帰も徐々に果たし、割と順当に(というか、2年半のブランクを思うとむしろ恵まれているほうだと思う)、「よし、これから、本腰入れるぞ!」というところでの妊娠発覚。ちょうど意欲が漲ったところでのことだったので、やや残念な気持ちもあったけれど、出産後母子ともに健康であればまたいくらでも再開できることだし……と、最近は潔い気持ちになってきた。ホント言うと、やりたい企画もたくさん溜め込んでいるんだけれど、それらは今やれないことはないだろうけれど、無理に発動してしまうと、それこそ急に産気づいたりしてしまって、自分の手に負えなくなり、周囲に迷惑をかけてしまうことを考えるとしばし我慢。そんな折に、昨日も、書評を書かせていただいた今日新創刊のある雑誌の見本誌が届いた。こないだの古巣での特集もそうだけれど、今や行き先が決して明るくない紙媒体だけれど、やっぱり作る側としては、ウェブとは違った醍醐味がある。テキストを上げて、それこそこのブログのように気軽に世に発信できるウェブとは違って、紙媒体は出来上がるまである程度時間がかかる。書籍なんかの場合、仕込みの時間も含めたら、何年がかりというプロジェクトだったりもする。それだけに出来上がったときの喜びも大きいもの。それこそ、実体のない発想やアイディア(時にそれは他愛もない単なる思い付き)から、"カタチ"あるものに仕上げていくという一連の過程は、妊娠、出産にもちょっと似ているかもしれない。
昨日は、秋篠宮妃が宮内庁病院で診察を受けたというニュースもやっていた。妊娠週数も近く、先日「前置胎盤」と診断され、帝王切開が必要な状況とか(私は「低地胎盤」で帝王切開の可能性が高いという診断なのでまったく同じではないけれど)共通点もあって、なにより同じ妊婦としてやはり気になるもの。
それで昨日は「高齢出産」についても調べていて、いろんな複雑な状況を一切排除して考えた場合、やっぱり私の場合は、今、子を授かるべくして授かったのではないかと思えてきた。というのも、「早いうちに子供を持ちたい」という気持ちは、絶対的だった。だから結婚というご縁に恵まれさえすれば、いつでも出産していいと思っていたのだ。
よく「出産には年齢的な制限がある」とはいうけれど、それは個人差もあるものだし、芸能人とかで40歳を過ぎて高齢出産したとかそういうニュースも聞くから、「まぁなんとかなるだろう」って、一般論で考えがち。心のどこかで心配しつつも、実際自分自身もそういうひとりだった。35歳前後で妊娠するとして、その時点で真剣に取り組めば多分大丈夫だろうと。
でも調べてみてわかったことは、人間の生命力というのは確実に低下していくということ。そして、これはなにも女性の側に限ったことではない。例えば、35歳で子供が欲しいなと思ったときに、その時点で避妊を止めればすぐに子供ができるといった、簡単なものではないのだ。実際、私の場合は、その逆で「できるときにはできるものなんだ」というぐらい、心当たりとしては可能性のとても低い状況だったのだ(だからこそギリギリまで自分が妊娠している可能性を疑わなかった)。生命の誕生は、ある程度は医学的論理に従うことはできるけれど、100%それで解明できるものではない。
少子化の問題はあるにせよ、子供を持つ持たないは最終的には個人の自由だ。だけど「いずれは……」と少しでも考えているならば、その"いずれ"の時に備えて、まさに今から真剣に考えておくべきだと思う。ある専門家は、特に30代以上の女性は妊娠したい時期から2~3年前ぐらいには、とりあえず自分の体質を知っておくなりの取り組み始めるべきだと言っている。
とはいえ、つい最近まで、調子が悪くてもなかなか病院にさえいかなくて、自分の身体に無関心だった私。そんな偉そうな口を叩ける身分ではないけれど、でもだからこそ逆に、周囲の人にはもっともっと自分の身体のことを把握しておいてほしいと心から思うのだ。
そして「子を授かるということは、命について考えること」。今は本当にそれを実感する毎日を送っている。

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