mercredi, juillet 26, 2006

Fais dodo, mon petit bébé.

『おねんね、私の愛しい赤ちゃん』

今朝は、屋根裏部屋のベッドの脇の窓から差し込む日差しで目が覚めた。昨日までの曇り空とはうってかわって真夏の日差し。あぁ、もうすぐ梅雨明け。毎日続いていたどんよりとした天気は、気持ちをブルーにさせるけれど、これから始まる日本の厳しい夏を思うと、それはそれで覚悟が必要だ。しかもふだんよりも増えた体重で、お腹にカンガルーのように人ひとり担いだ状態で、炎天下を歩くことはかなりしんどくなりそうだ。

とはいえ、階下のリビングに降りて窓を開けると、とても気持ちのいい風が吹き込んでくる。昨日までの湿度を伴った風とは違うし、空気も肌にまとわりつかない。窓際で揺れるレースカーテンは、この家にもうひとり誰かが居るような気にもさせてくれる。

つい先日まで食欲が増進して困っていたのに、一昨日ぐらいから今度は食欲がなくなってきた。いや、厳密には、作ればちゃんと食べられるのだけれど、お腹が空く以上に体が疲れていることが多い。

昨日は午後から記者会見の取材に出掛けたのだけれど、やはり電車の中の移動が辛くて、途中、ちょっと後悔した。それでも辛いのは移動時、しかもどういうわけか帰りは全然平気で、取材中、原稿執筆中は問題がないから、今後お仕事をお引き受けるのをどうすべきか本当に悩むところだ。このまま完全産休に入ってしまうか、体調と相談しつつもうちょっと続けてみるべきか。ただ如何せん、週1程度のペースなのでその都度様子を見てみようと思う。

思うに電車の中で調子が悪くなるのは、やっぱり低血圧でめまいがしてしまうのがいちばんの原因だと思う。取材が始まったり、原稿書きを始めると、集中して、血液もそちらに流れていくので、それこそ、立ってカメラを構えているときでさえも、めまいを感じることはほとんどない。あとは、電車の中の揺れもひょっとしたら影響しているのかもしれない。でも帰りは平気なことを思うと、やっぱり精神的なものが大きいのかも。記者会見は毎回、行き先も内容も段取りも違うし、どんなふうなかたちになるかわからない。行く前はいろいろな状況を想定して、ある程度シュミレーションをして向かう。でも終了後は、それらが全部わかって、取材をしながらも原稿をどう書き進めていくかの組み立てができて、気持ちがずっと楽になる。あとはシナプスに沿って、実際に文章を書いていくという作業を続けるだけなのだ。

以前、週刊誌の記者をしていたときは、日にもよるけれど、入稿までに時間があって、他のメディアを参照して書いたりという余裕があった。でも今取材のお仕事をさせてもらっているのは日刊なので、数時間後には原稿を上げなければならない。だから他の媒体がどのような反応をしているかとかは、だいたい自分の原稿が上がった後にわかること。それはそれで、自分なりの色が出せてやりがいもあったりもする。あとはアップロードされた時間とかもレース感覚で楽しいし。

そう言えば、妊娠がわかって以来、一ヶ月が経った。なんだかまだそれっぽっちの時間しか経ってないのかって、あまりに圧縮されたこの一ヶ月を振り返る。当時はちょっと太ったかな?って程度だったお腹は、相当に大きくなり、いまや見違えるほどの妊婦の姿になった。それに人間、短期間にそれだけの変化があると、さすがに体調も変わって、数日前あたりから脚の付け根が痛くなってきた。もちろん体重も増えているわけだから、身体を支えている両足もだるい。

よく妊婦さんに「転ばないように」って注意するけれど、最初のころは「そんな子供じゃあるまいし、大人がいきなり転んだりするかよ!」って密かに思っていたけれど、確かにこれだけ体型に変化があると、体の重心も変わってバランスが取りづらくなる。そしてあちこち痛みを感じるし、立ちくらみをしたりして、転びやすくなるというのもよくわかった。

胎動はボコボコって感じだったのが、今はグリグリ。完全に"人"が動いている感覚で、人喰いワニやサメの気持ちがわかるようになった。お腹を触ると、グリグリしたしこりのような箇所が数箇所あって、「これは手かな~? 足かな~?」って優しく押すと、それが引っこまったりして反応があるときはとても楽しくて幸せな気持ちになる。ジェダイがお腹の中でそれを「イヤイヤ、やめてやめて!」って言っているのか、キャッキャと喜んでいるのか、その表情はわからないけれど。

それにしても、昨日寝る前に考えていたのは、赤ちゃんはどうして生まれ出てきてからでなければ泣かないのだろう? お腹の中に居るときから泣いたら、"いっこく堂"みたいでちょっと面白いのに。