mardi, août 22, 2006

Ouvrez la cage aux oiseaux.

『鳥かごを放って』

昨日は久々の定期健診。妊娠6ヶ月から9ヶ月までの間は、通常2週間に一度の検診なのだけれど、先週がお盆休みだったので、約3週弱ぶり。今までは木曜に予約を入れるペースだったのだけれど、その3週の間に臨月にも入ることだし、心配なので病院がお盆休みが開けてすぐの月曜の午前中に予約を取っておいた。

診断の結果は万事良好。ここのところ私自身の体調はいいのだけれど、果たして胎児の状態がどうなのかとかそういったことはやはり医師の判断を仰がなければわからない。前回は減っていた体重も、今回は3週間足らずで+2キロ。この時期にこのペースはどうなのかと思っていたのだけれど、先生には「やっと増えてきましたねぇ~」と言われて安心。前に母親教室に来た助産婦さんの話では、「+8キロぐらいが安産にはベスト」との話だったけれど、これももともとの体型があるので個人差がある。私の場合、現時点でちょうど+8キロなのだけれど、痩せ型の人は+9~12キロが標準だとだいたいの妊婦マニュアルには書いてある。そしてジェダイの推定体重は2.5キロ。先生によると、これも36週でまさに標準値。羊水の量もちょうどよく、子宮口も閉じた状態ながら、柔らかくはなってきており、この週数としては理想的な状態だとお褒めの言葉をいただいた。それにしても現在、胎児+羊水だけでだいたい4キロ程度あるらしい。遂にノートPCをお腹に2台ぶら下げるよりも重くなってしまったということだ。

心配していた血圧も最高値はまだお腹も大して大きくなかった初診時の値に戻った。これは自分でもよくわかる。最近は起き上がるときにめまいがすることもなく、ものすごく軽快に起き上がれる。あとは一時は胎盤が低くて自然分娩が難しいと言われながら妊娠後期のたった2週で解消され(これは当時おそらくあまりお腹が大きくなっていなかったことが幸いしたようだ)、今後また位置が下がるという心配はないらしく、ひと安心。子宮の張り止めの薬ももう飲まなくてもいい。

これからは検診も週1回となり、子宮口の具合をしっかり診るようになるので、触診もちょっと痛く感じた。超音波検査では、相変わらずジェダイは背中のほうを向いていて、なかなか顔を見せてくれない。親心に内心「あぁ、パパもママも天邪鬼だからなぁ~」と思っていたけれど、先生曰く「恥ずかしがりやさんみたいですね」って、あぁホントに"ものは言い様だなぁ"と思った。それから「赤ちゃん、すごくよく動くでしょ?」と言われ、あぁ診察中に第三者からもわかるぐらいに動いているんだなぁと、落ち着きのない我が子にちょっと赤面。臨月に入ると、骨盤に頭が固定されてくるのであまり動かなくなるとは言うけれど、そんな一般論は我らが母子には適用しない。でも胎児が苦しくて動くということはないらしいので、どんなに暴れても問題ないらしい。

そんなわけで久しぶりの検診で、昨日まではとりあえず慎重にとなるべく静かに自分を抑えて込んできたけれど、これからはやはりじっとしているだけというのも、今度は逆に遅産になってしまうので、多少出産を促すような適度な運動が必要。気候にもよるけれど、自分が「しんどいな……」と感じない程度を目安に、散歩や出掛けたりしても大丈夫。

そんなわけで、帰りはとても気楽になって、軽い足取りでいつもとは一本違う道を通って、家まで帰ってみた。そういえば、5月の半ばにこのあたりに引越してきて、バタバタしていて街探検もまだまだだったけど、このあたりは本当に公園や緑がいっぱい。ジェダイが無事産まれて、一ヶ月間は実家で両親の世話になりつつ過ごすつもりだけど、それからまた東京へ戻ってきたら、ちょうど気候もいいころで、ベビーカーで一緒に外を散歩したりするのがちょっと楽しみ。

実は昨日はちょうど日付が変わったころ、ジェダイパパからメールが届いた。2週間以上、MSNでも見かけなかったし、バカンスでフランスにでも帰っているのかとか、いろいろとやきもきしていたのだけれど(実はそのせいもあってちょっといろんな気力が低下していた)、別に大したことは書いてないのだけれど、鬱蒼としていた濃霧が晴れて、ただ単に安心したとか嬉しいとか、そういうシンプルな気持ちでは言い表せないのだけれど、とりあえず今彼がどうしているのか、それからまだちゃんと私と、そしてジェダイともつながっていてくれることがわかって涙が溢れた。妊娠がわかってすぐに彼にそのことを報告したけれども、やはりこの半年という時間的距離、空間的距離によって遠くに隔てられた私たち。その後もお互い何を話し合っていいのかわからずに、どちらかと言うと彼からは責められる一方で、ジェダイと自分の身体のためにその現実に向き合うことを一時は避けていた私。でもそんな彼が初めて「身体に気をつけて」と言ってくれたこと、妊婦に対するそんな当たり前の一言でさえも私にとってはとても重い重い言葉なのだ。

彼は今、テルアビブに移り、おそらくネット環境がまだ整っていないようだ。エルサレムでの語学教育期間が終わり、とりあえず働き始めたらしい。大した暮らしではないけれど、だんだんとよくなるだろうと、とても前向きなコメントで安心した。なにより、とりあえずレバノンとの停戦協議には応じたけれども、常に火薬庫のそばで生活をしているような土地に暮らす彼が無事で元気であるというのがいちばんのこと。生きている限り、なんだってできるんだから。

前日には、リール時代からの韓国人の友達から突然電話がかかってきた。今中国に滞在していて、東京経由でフランスに渡るため、9月か10月に会いに行くのでどちらが私にとって都合がいいかを訊ねてきた。

ジェダイの名前の候補も男女の場合のリスト(漢字名はまだ決めてないけど)をリールの叔父に送って意見を聞いたり、出産の入院準備グッズもとりあえず揃えたぶんだけ袋にまとめてみたり(まだ揃えていないのか……と言われそうだが。いわんやベビー用品も結局まだひとつも買ってないし)。

昨日病院からの帰り道や、夕方買い物に出掛けて思ったことは、これからはできるだけ幸せな気持ちで出産までを過ごそうということ。ショックで寝込んでしまい、その後も鬱状態でたまに病院通いをしている母のほうも、電話口ではかなりポジティブになってきた様子でジェダイとの対面がだんだん楽しみになってきた感じ。

そして産まれてきてからも、ジェダイ自身が幸せであることはもちろん、周囲にたくさんの幸福をもたらすようなそんな存在になってくれることを願うばかりだ。