mercredi, juillet 05, 2006

Tel père + telle mère, telle fille, et donc?

『蛙の子は蛙。で、つまり?』

昨日は午前中、病院へ行かなければならない母の帰りを待って、午後から東京へ戻ってきた。母は精神的に気分のムラはあるものの(これはもともとの気質でもあすが)、とりあえずふつうに家事とかはできるように回復した。ただ、メニエール氏病とかの疑いも可能性はなくはないので、念のための検査と点滴を打ってもらうために、引き続き通院している状態だ。

でも東京へ帰るときは、名古屋駅の新幹線のホームまで見送りに来てくれて、一応はいつものような母に戻って本当によかった。母と父をこんなにも苦しめてしまったこと、自分のことはさておいて、本当に胸が痛むけれど、今回のことを機に私は痛いほどに親心というのを理解したし、なにより彼らの娘として生まれてきたことを、誇りに思えるようになった。

我が家は一家揃って、本当に変わり者ばかり。父も父なら母もふだんは負けず劣らずの変わり者。一家のなかでは多分、私がいちばん「フツー」かもしれない(でも今回の件でそのランキングを大逆転してしまいそうな勢いだが)。

来年で60歳になる母は、ふだんアルマーニのサングラスをかけて名古屋近郊の田舎町を闊歩するマダム(昼夜関係なく)。昨日は母らしい最近のおもしろエピソードを話してくれた。

なんでもいつものサングラス姿で街を歩いていて、道がわからなかったので通りかかった人に尋ねたところ、その人は母を目が不自由な人と勘違いして、手取り足取り道を案内してくれたそうだ。で、母もあんまり申し訳ないので、目の不自由な人のふりをそのまま演じきったそうだ。

心労で倒れてしまった母だったけれど、母のこの話は私をとても安心させてくれた。というか、笑いすぎてお腹が痛かったのでちょっと辛かった。

「っていうか、来年赤いちゃんちゃんこ着るような人が、ファッションでそんな格好して歩いてるなんて、ふつうは思わないよ!」

「うん、そうね。あとはあっち系(暴力団とかチンピラとか)の人にはよく声かけられるけどね」

……だって。

あぁ、昔からそういう人。ふつうは人が怖がって寄り付こうとしない人にも分け隔てなく友達になって、小さいときは私も見た目ちょっと怖めのおじさんとかにごちそうしてもらったり、おもちゃを買ってもらったり、当時住んでいた名古屋で一台しかないとかっていうベンツでドライブに連れてってもらったりしたっけ。

結婚して、妊娠して、出産して……って、そんな父や母でも一応は私に対して、ふつうの両親と同じような“理想系”っていうのはあったらしいけれど、私が帰省する前に夫婦で話し合って「俺らの子供だもん。仕方ないよ」って言っていたらしい。

昨日は新幹線を下車してそのまま編集部へ向かい、無事、校了。
比較的スムーズに事が進んで、割と早い時間に帰宅。

九段下で都営線に乗ったら、前の男性に「どうぞ」って初めて席を譲られた。
残念ながら、ひと駅だけだったので、今回は辞退したけれど。