mercredi, juillet 12, 2006

Il n'y a pas que ça dans la vie.

『人生ってそれだけじゃないさ』

夢の中でジェダイに会った。初めて産院に行ったとき、超音波写真でその存在は確認したけれど、画像のクオリティーとかもあって、それはまだ微かに人のかたちとしてわかる程度で(例えば、これが手、これが耳という程度)、それだけでも歓喜極まるのに十分だったけれど(あのときの何とも言えない気持ちは多分一生忘れないと思う。いきなり妊娠を告げられて、いろいろな説明を受けて少々動揺していたすべてが、それひとつで一瞬で吹き飛んでしまうのだ)、夢の中のジェダイははっきりと人の赤ちゃんの姿をしていた。でも彼は夢の中でもまだ生まれてはいなくって、子宮の中に居る8ヶ月の胎児の状態。水槽のような中で、プカプカと浮かび、心地よさそうな表情でスヤスヤと眠っているのだ。

そしてジェダイのパパにも会った。ここ一週間ちょっとは、彼との連絡を絶っているのだけれど、多分、私と話したくてイライラと待っているであろう彼に対してはいつも気がかりでありつつも、今は自分のキャパシティーを超えてしまいそうなことを懸念して、申し訳ないけれど自分とジェダイだけの世界に置かせてもらっている。だけど、昨日になってようやく、それらの言い訳や彼に一方的に伝えたいメッセージをメールに託して送信した。彼が夢に出てきたのは、そのせいかもしれない。

カレンダーを何気なく眺めていて、ふと気づいたのだけれど、ジェダイの出産予定日は、ちょうどイスラエルに遊びに行くつもりで居て、彼にも事前にそのことは伝えていて、久々に会えることをお互い楽しみにしていた。こうなる前の話のことだけれど、なんという因縁。

ここ数日は、休養を取りながら、適宜やるべきことをやったりしつつ、帰国後の報告をまだ済ませていなかった友人たち(国内外、国籍問わず)にようやく少しずつメールを書いたりしている。そして戻ってくるそれぞれの返事に懐かしさでいっぱいになったり、相手の近況を知り、安堵したり。それから、何より私の妊娠について掛けられる言葉の数々に励まされたり、感動したり。中には意外な個人的な告白を受けたりして、ショックを受けたり、悲しんだり。

実は昨日帰宅して、一通の封書を受け取った。差出人は、私より年上のお友達でいろいろと親しくしてもらったり、かわいがってもらっている女性。いまやメールでのやり取りで済んでしまうところを、先日敢えて住所を聞かれたので、いったいどんな内容が書かれているのか気になっていた。

温かみのある直筆によってしたためられたその手紙の内容は、私にとってはとてもショッキングな告白でもあった。というのも、実は彼女も何年か前に私と同じようなシチュエーション(環境が変わってすぐの出来事。そして未婚であったことなど)で妊娠を知り、悩んだ末に産むことを決意したものの、残念ながらその子に生を授けてあげられなかったというのだ。

ひとりの女性として、そして母になる覚悟を決めたひとりとして、友達として、いろんな思いが交錯し、その場で涙が止まらなかった。そして今の私だって、とりあえずまだ出産までは油断をできない状態だし、もし今、ジェダイを失ってしまったら……そんなことを思うと、当時の彼女の悲しみや辛さがシンクロして、胸が締め付けられるような思いだ。

そして彼女はこうも付け加えた。

「あなたならできる」

私が妊娠したと聞いて、「あぁやっぱりあのときの私にはまだその力がなかったんだ」と思ったということ。

ショックで寝込んでしまった私の母だけれど、彼女は私が今まで相当無理をして日本に戻ってきたことを振り返って、8ヶ月に入る直前まで母親に自覚されることもなく、それでもここまで順調に育ってきたジェダイに対して「でもね、お母さん『あぁその子はそこまでしてこの世に生を受けたいって思っているんだ』って思ったんだよね」と言った。

そう私自身も思ったことは、昨年の暮れに彼が旅立って、その後、予想以上に気力を失い、大変悲しい思い、辛い思いをしていたことも、ジェダイはお腹のなかで全部知っていて(多分私の次に理解していると思う)、それでも生まれてくることを選択したんだって。そしてパパのために私が流した涙の結晶となるべく、ここまで頑張ってくれているんだって。

他にも、結婚してしばらくになるけれども実は子供ができなくて、まさにちょうど不妊治療を開始しようと思っていたけれど、あまり気乗りがせず鬱蒼としていたところを今回の私のことを知り、勇気づけられ、パソコンの前で涙を流してくれたという友達。恋人の暴力のせいで、流産してしまったという、外国に居る友達……など、みんなふだんは平然と何事もないような顔をして暮らしているかのように見えて、実は自分の身近なところだけでも、こんなにもいろいろなことがあるんだということを知った。

そして、それがゆえに感じる、生命の尊さ。今まで自分が生まれてきたことを、当たり前のように解釈していたけれど、31歳にして初めて、頭ではなく、感覚としてその尊さを理解した。

昔、いじめを題材にしたテレビドラマのラストシーンで、いじめを苦に自殺した生徒を持つ担任の先生が、人の心の痛みをわからない、ロボットのような顔をした子供たちを前にして、卒業式の最後に放った台詞を思い出した。

「あなたちは生まれてきたということだけで、もうそれはとても尊いことなの。だから自分の命が大切なように、他の人の命も愛して」

増加する少年犯罪のニュースを耳にするたびに、胸が痛くなる昨今。ジェダイもこれからいろいろと競争社会の中で生きていくことになるだろうけど、母として、我が子には「属性」よりもまず「個」として、ひとりの人間として、周囲に惑わされることなくしっかりと、他人も自分も同じように思いやれる人間らしさを持った人間として成長し、生きてくれることを願うばかりだ。