On ne sait pas ce qu'il y avait pour lui et s'il en parlerait.
『彼に何があったのか、そして彼がそれを語るのか? 我々はそれを知らない』
昨日は気がついたらいつの間にか転寝をしてしまって、ちょうどW杯決勝戦でジダンが得点した場面で目が覚めた。それからはもう試合に釘付け。前半、イタリアに同点に追いつかれ、両チーム気迫みなぎるその試合に、にわかサッカーファン、にわかナショナリストながらも「さすがは決勝戦だな」と、決勝戦ならではの緊張感と興奮をここ日本で味わった。
結局試合は延長戦へ。動きそうで動かない試合に少々飽きかけて眠くなっていた矢先に、信じられない光景が飛び込む。主審がジダンに対して、レッドカードをかざしている。誰もがボールの行方を追いかけるなか、その視界枠から外れるところで起きたまさかの出来事に、おそらく世界中がどよめいただろう。
しばらくして、ジダン、頭突きの映像が流れ、ようやく事態を把握するが、真意のほどはわからない。でも瞬時に「あ、これはジダンに対して、なにか差別的な暴言が吐かれたな」と思った。
あまりにもあっけない世界的英雄の幕引き。コートの外では寡黙で穏やかな彼のヒューズを、決勝戦という大舞台、そしてサッカー人生を締めくくる特別な試合たることを忘れさせ、一瞬にして飛ばさせてしまった言葉はいったいどんなものだったのだろう?
後味の悪い結果、大英雄のこの終焉に対しては、失望したという声や無念さを嘆き悲しむ声など、賛否両論だ。結局、結果はイタリアの優勝。はっきり言って、チームの核を失ったフランスチームはその時点で既に優勝から遠のいていた。それでもジダン退場後も、最後まで一生懸命に闘い抜いた、チームメイトたちに対しては、個人的にはまずは心から拍手を送りたい。頂点に立てなかったことは残念だけれど、最後まで私たちに希望を与え、夢を見続けさせてくれたことを。
なにをジダンを狂わせたのか? まだ私たちにはわからないし、この先、彼の口から真意が語られるかどうかはわからないけれど、試合終了後もしばらくフランスが抱える民族問題とかを考えて、しばらく眠ることができなかった。
リール時代は、ジダンと同じアルジェリアやモロッコ、エジプト系移民2世のフランス人の友達もたくさん居た。いつもは明るく楽しくて、陽気に極東からやってきたちょっと風変わりなお友達を受け入れてくれたけれど、時々吐き出される彼らの本音には、そのたびにいろいろと考えさせられることが多かった。
正直、私のフランスへの憧れというのは、パリのスノッブな雰囲気では決してなかった。旅行で訪れるたびに感じる、いろんな民族、国籍の人が集まって生み出される、多種多様で躍動感のある文化だった。そう、王国でもなく、ましてや帝国でもなくて、「République(共和国)」への憧憬。
そして、最初に住んだリールという街は偶然にも、ド・ゴール将軍という第五共和制という、今のフランスの国の基礎形態を築いた人物の出身地。さらに、奇しくも彼の生家は、私が住んでいたレジデンスから100歩ほどのところにあったのだ。
そしてそんな街で、当時、実家はリールだけれど、パリに住んでいた、ジェダイのパパと出会った。しかも、私にとっては友達の友達、彼にとってはたまたま遊びに来ていた友達の家の隣人宅で開かれていた誕生会という、なかなか出会うはずのない場所で。
その後はいろいろあって、本当に辛かった時期もあったけれど、そうやって辿り着いたのが、今私のお腹になかに居るジェダイ。だから私にとっては、誰がなんと言おうと、ジェダイは特別以上の存在なのだ。
昨日は気がついたらいつの間にか転寝をしてしまって、ちょうどW杯決勝戦でジダンが得点した場面で目が覚めた。それからはもう試合に釘付け。前半、イタリアに同点に追いつかれ、両チーム気迫みなぎるその試合に、にわかサッカーファン、にわかナショナリストながらも「さすがは決勝戦だな」と、決勝戦ならではの緊張感と興奮をここ日本で味わった。
結局試合は延長戦へ。動きそうで動かない試合に少々飽きかけて眠くなっていた矢先に、信じられない光景が飛び込む。主審がジダンに対して、レッドカードをかざしている。誰もがボールの行方を追いかけるなか、その視界枠から外れるところで起きたまさかの出来事に、おそらく世界中がどよめいただろう。
しばらくして、ジダン、頭突きの映像が流れ、ようやく事態を把握するが、真意のほどはわからない。でも瞬時に「あ、これはジダンに対して、なにか差別的な暴言が吐かれたな」と思った。
あまりにもあっけない世界的英雄の幕引き。コートの外では寡黙で穏やかな彼のヒューズを、決勝戦という大舞台、そしてサッカー人生を締めくくる特別な試合たることを忘れさせ、一瞬にして飛ばさせてしまった言葉はいったいどんなものだったのだろう?
後味の悪い結果、大英雄のこの終焉に対しては、失望したという声や無念さを嘆き悲しむ声など、賛否両論だ。結局、結果はイタリアの優勝。はっきり言って、チームの核を失ったフランスチームはその時点で既に優勝から遠のいていた。それでもジダン退場後も、最後まで一生懸命に闘い抜いた、チームメイトたちに対しては、個人的にはまずは心から拍手を送りたい。頂点に立てなかったことは残念だけれど、最後まで私たちに希望を与え、夢を見続けさせてくれたことを。
なにをジダンを狂わせたのか? まだ私たちにはわからないし、この先、彼の口から真意が語られるかどうかはわからないけれど、試合終了後もしばらくフランスが抱える民族問題とかを考えて、しばらく眠ることができなかった。
リール時代は、ジダンと同じアルジェリアやモロッコ、エジプト系移民2世のフランス人の友達もたくさん居た。いつもは明るく楽しくて、陽気に極東からやってきたちょっと風変わりなお友達を受け入れてくれたけれど、時々吐き出される彼らの本音には、そのたびにいろいろと考えさせられることが多かった。
正直、私のフランスへの憧れというのは、パリのスノッブな雰囲気では決してなかった。旅行で訪れるたびに感じる、いろんな民族、国籍の人が集まって生み出される、多種多様で躍動感のある文化だった。そう、王国でもなく、ましてや帝国でもなくて、「République(共和国)」への憧憬。
そして、最初に住んだリールという街は偶然にも、ド・ゴール将軍という第五共和制という、今のフランスの国の基礎形態を築いた人物の出身地。さらに、奇しくも彼の生家は、私が住んでいたレジデンスから100歩ほどのところにあったのだ。
そしてそんな街で、当時、実家はリールだけれど、パリに住んでいた、ジェダイのパパと出会った。しかも、私にとっては友達の友達、彼にとってはたまたま遊びに来ていた友達の家の隣人宅で開かれていた誕生会という、なかなか出会うはずのない場所で。
その後はいろいろあって、本当に辛かった時期もあったけれど、そうやって辿り着いたのが、今私のお腹になかに居るジェダイ。だから私にとっては、誰がなんと言おうと、ジェダイは特別以上の存在なのだ。
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