jeudi, août 10, 2006

La guerre entre nous?

『私たちの間の戦争って?』

昨日は友達が家に訪問してくれ、台風が過ぎ去った後、近所を長時間買い物に出掛けられるほどにまで復活。ホント、2,3日前は起き上がるのもやっとという状態で、この先出産まで乗り切られるか不安にもなったほどだったのが嘘みたいに、よくしゃべり、よく笑い、そしてよく食べた。

もちろん個人差はあると思うけど、本当にここのところ体調が読めない。それでも実は、先週末なんて友達とコンサートに出掛け、遅くまでお茶して帰ってきたぐらいだったのに。コンサートへ行くのも、友達のありがたい理解を得て、ギリギリまで判断を迷っていた。それこそ、その週のはじめはやっぱり起き上がれないほど辛い日が一日あって「このぶんだとやっぱりコンサートは無理かな」と思っていたのだけれど、その翌日にはすっかり元気になり、母親学級にも出席して20分以上歩いて帰ってきたうえにその足で近所のスーパーをウロついたり。

実を言うと、先日、妊婦用のサポーターを購入したのもコンサートに間に合わせるためというのも理由のひとつだった。でも、直前の検診の結果次第で最終的には判断しようと思っていたところ、いちばん心配された早産の傾向もほとんど解消され、なにより、ほぼ絶望的だと思っていた胎盤の位置が上がっていたということで、自ら週末のお出かけにGoサインを出したのだった。

それでもここのところ、家で安静に過ごしていることが多いこともあり、なにより2時間から2時間半というコンサート時間、しかも会場の熱狂した雰囲気、移動時間等々を考えると、やはり体力的に持ちこたえられるかがもっとも心配だった。いつもは大興奮の特殊効果による爆音や大音響、周囲の騒がしさにジェダイがびっくりしてしまわないかとか。あとはコンサート中辛くなれば、座席に座っていればいいと思うものの、メンバーが至近距離に来たときに、興奮した周囲の観客が押し寄せたりしないかとか。

そんなふうにいろいろ不安があるなかの参戦だったけど、コンサートが始まって10分後には「やっぱ来てよかった~!」って、この日に備え、一週間仕事もせずにできるだけ安静に過ごした(以後、なんとなくそのまま完全産休に入った感じに)甲斐があったと、昨夏は帰国していたにもかかわらず、残念ながらコンサートが秋になってしまって見られなかったコンサートを2年ぶりに最後まで満喫。もし妊娠してなければ、多分毎日代々木に通っていたであろう、それに名古屋、大阪までも遠征していただろうコンサートを私としては相当我慢して、この日たった一回限りにかけたけれど「やっぱ来てよかった~」と何度も実感したのだった。

そんなわけで楽しく過ごした週末。やはり相当疲れて、翌日はひたすら寝ていた。それでもその疲れは、ふだんの自分の身体の側が感じている感じで、母体として疲れている感じではなかった。で、お腹のなかできっと「なんだなんだ?」とちょっとびっくりさせてしまったジェダイのために、2日間はしっかり身体を休めてあげようとはじめから思っていたので、ひたすらゴロゴロ。

そのせいか、その二日間でまたジェダイ殿はがっつりと成長なさったようで、一段とまたお腹が大きくなり、さらに臓器が圧迫されて血液が全身に回りにくいうっ血状態となり、私のほうの身体が急には適応できなかったのかもしれない。加えて、台風が来る前でとても蒸し暑く、じっとしていても汗が出る状態。間が狭くなった胸とお腹の間に汗をたくさんかくので、それも不快で仕方がない。どんな姿勢で寝ていても息苦しいし、めまいはするしでどうしようもなく、何度も「あぁ気を失ってしまえば楽になるのに」と思ったり、いつもは愛しいジェダイの胎動でさえも疎ましく思えてくる状態にまで気力が落ち込んだ。

そして、緊張状態が続く中東情勢。こないだ一方的に近況報告のメールを送ったところなのだけれど、以来ここ数日、ネット上で彼の姿を見なくなり、やっぱり胸騒ぎがする毎日。以前、7月末でエルサレムを離れ、8月からはテルアビヴへ移ると言っていた彼。きっとすぐにはネットがつながらない状態なのか、ひょっとしたらバカンスで一度フランスに帰っているという可能性もある。でも、ヒズボラ側はイスラエルがベイルートを攻撃したら、テルアビヴにも報復を仕掛けると宣言するなど、一向に沈静化する気配を見せるどころか、いっそう本格化する現地の戦争状態の報道を見るにつけ、本当に心配でなんか急に激情してワッと泣いてしまったりすることもある。

私にとっては、いくら彼がイスラエルに居るからといって、イスラエルもレバノンも関係ない。イスラエル側で死者何人とか、毎日いろいろ報道されるけれど、そういうのって数の問題なのか?って、こういうニュースがあるといつも思う。たとえ一人しか犠牲者がなくたって、尊い命が失われたことには変わりがない。あと、民間人とか兵士とかそういうのも。そういう区別で、ひとりぶんの命の重さって変わるものなのか? もちろん、兵士は死を覚悟で戦闘に赴き、そして加害者にもなりうるという点では民間人と区別されるのだろうけれど、彼らにだって彼らの死を嘆き悲しむ家族や友人たちが居るのは同じことなのに。

だからもう、こんな悲しいことは一刻も早く止めてほしいし、終わってほしい。
互いの理屈は抜きにして。