vendredi, août 04, 2006

Vivre dans la perpétuité et la décadence.

『永続と退廃の中に生きる』

昨日は2週間ぶりの検診。母からは「無理しちゃいけないから、もう病院までタクシー使うんだよ」と言われていたけれど、朝ウダウダしていたら呼ぶ時間がなくなって、近所の大通りで拾おうかと思っていて歩いていたら、結局病院まで辿り着いてしまった。午前中とはいえ、既に梅雨が明け、外は暑くなった。20分ほどの道のりを途中気分が悪くなったらいつでもタクシーを拾おうと、念のため、タクシーチケットを握りしめていたけれど、前回と比べたら到着したときも割と平気だった。

そんなわけで2週間ぶりの検診。ここ数日、異様にお腹が空いてどうしようもなく、しかも明らかに自分の意思に反して食欲が容赦なく襲い、食べなければめまいがしたりするから、もう欲望に任せて食べまくっていたので、絶対に体重がかなり増加していると思っていた。ところがなんと、体重計の表示は前回より減っている。あんなに食べて、この一週間は外出も控え、家で安静にして大して動いてもいないというのに。

本当にここのところの食欲は異常だ。もう体内はほとんど子宮に占有され、他の臓器は相当に圧迫されて苦しさを伴った状態なのに、一向に食欲は衰えることがない。極端なときには、苦しいくせに食べたくて、もう場合によっては寝ながら丼飯を掻き入れたりもしている。それなのに30分後にはまたお腹が鳴ったりして、本当にとどまることを知らない。

血圧も前回としたらほんのちょっと上がっていて、細菌検査の結果もすべて問題なし。そして、前回、「低地胎盤」と診断され、出産時に出血を伴う可能性が高いため、自然分娩が難しいかもと言われていたのも、胎盤の位置が上がり、自然分娩も大丈夫そうとの診断。たとえ帝王切開でも母子ともにそれがもっとも安全な方法と現代医学が判断するのであれば別に構わないと思っていたけれど、やっぱりいちばん健康な状態でジェダイを産むことができるのであればそれがベスト。「さすがジェダイ!」と心ひそかに喜ぶ。ママとしては、最後までこれまでのように、ジェダイのミラクルにすがる思いだ。

それから最後はいつものように、エコー映像で胎児の様子を確認。ジェダイの成長ぶりは、素人目にも一目瞭然。ジェダイの姿がだんだんと画面いっぱいになってきて、顔立ちもはっきりわかるようになってきた。先生によると、週数の平均値としたらジェダイはほんの少し大きめだそう。でも大きすぎず、小さすぎず、今のところちょうど大きいサイズだそうで、こればっかりは本当にお母さんのお腹の見た目の大きさとは無関係だと実感。羊水の量もちょうどいいとのことだ。そういえば、先日の母親学級のときも助産婦さんの話だと、彼女の経験値からして+8キロ以内に収めるのがベストだとか。それ以上になってしまうと、逆にお産が辛くなるとかで、人によっては最終的に+500グラムとかいう人も安産で出産したらしく、私のような例は決して特殊ではないよう。むしろ、胎児に効率よく栄養が行き渡っているということらしく、むしろ「モリモリ食べてください!」と言われる。

それにしても、ついひと月ほど前までは静かに身を潜めていたジェダイだったくせに、ものすごいラストスパートだ。先生の話では、最後の一ヶ月でさらに驚くほど成長するらしいのでちょっと先が思いやられる。私としては既にもう限界なのに。羊水も含めると、推定でお腹に4,5キロの物体をぶらさげているようなもの。さすがに地球の重力には勝てず、先日、ついに『妊婦ささえ帯』を注文。もう出産までそんなに長くはないし、買わなくていいかなと思っていたけれど、やはりほんの少しでも楽になるならと。そして今朝はその品物が届き、さっそく装着。まるでチャンピオンベルトのようなそれは、やはりそれなりに楽になり、買って政界だった。それになんとなくお腹の安定感も増して、外出時にも安心感を与えてくれるのもいい。マジックテープで調整可能なので、産後は腹巻としても使えそうだし。

そんなわけでトータルな診断としては経過良好。相変わらず血圧が低いのとお腹が張るとよくないので、あと2週間はむしろ安静に過ごしたほうがよいとのアドバイスを受ける。あと2週間というのは、臨月に入るまでの期間ということ。それ以降はもういつ産まれてきても大丈夫だということなのだ。

っていうか、あと2週間でもう臨月だなんてなんだか実感が湧かない。こないだまで妊娠している自覚さえなかったというのに、この加速的時間の経過に、めまいすら覚えてしまう。本当に60進法で時が刻まれているのだろうかと物理の法則でさえも疑ってしまう毎日だ。

でも、きっと私たちはそうやって、太古の昔から長い長い歴史を築いてきたんだ。

でも、それがこれまでと同じようにこの先いつまでも続いていくということを意味するわけではないのだ。