La régénération d'une famile.
週末にかけて3日間、母が来ていた。私の妊娠がわかる前から、東京にいくつか用事があるので、新居訪問も兼ねて遊びに来る予定だったのだけれど、突然状況が変わってしまった。妊娠の報告をした翌週に急遽実家に帰ったときには、さすがにショックで寝込んでしまい、病院通いすることになったしまった母。ふだん肝っ玉な人だけれど、そんな母の繊細な一面を痛いほどに垣間見た。そりゃそうだ、当事者である私でさえもあまりに突然のことだったけれど、父や母からしたら寝耳に水過ぎる。
そんなわけで、先日私のほうが帰省したときには、母のほうの具合が悪く、あまり話ができなかったけれど、今回母に東京に出てきてもらって、本当にたくさんの話をした。もともと話し好きで姉妹のようでもある母娘だけれど、しゃべりすぎて喉が枯れてしまったぐらい。
母には昨年の暮れに彼女がフランスに遊びに来たときに、ジェダイの父親のことはほんの少しだけ話していた。今まで両親には一度も自分の恋愛の話をしたことがなく、過去も恋人の存在をちらつかせたことはなかったのだけれど、フランスに行ったっきり30歳を過ぎても日本に帰ってくる気配もない娘に対し、「あんたもいい加減、そっち(結婚)のこととか少しは考えないとダメよ」と初めて言われ、たまらず「私だって、それ相応のことはあるわよ! 今だって、これまでだって。だからまったく考えてないわけじゃないわよ。ただ縁がないだけ!」と言って、彼のことや、これまでも結婚を申し込まれたけれど自分のほうがまだ叶えていない夢が残っていて踏み切れずに断ったりしたことなども打ち明けた。私としては、決してキャリア志向で生きているわけではなく、時期が来てタイミングが合えば、自分としてはふつうに結婚するつもりだという自分の意思だけでも、両親にはせめて知っておいてもらわなければと思ったのだ。
というのも、父は父で「娘さんの話を聞いていると、お孫さんは抱けないかもしれないですねぇ」なんて仕事先の人に言われたとか、母にこぼしていたようで、娘の自由を認め、その生き方を尊重しながらも父親としての気持ちも覗かせたりしている気持ちも知っていて、直接は言わないにしても、母を通して「あの子は別にキャリア志向で一生生きていくって考えてるわけじゃなく、ちゃんと女性としての人生についても考えているタイプよ」と伝えてもらったりしていた。
ところが、それを知って少しは安心していた矢先に、日本にも帰ってきて新生活も軌道に乗りかけてきた矢先に、誰もが想像だにしていなかった展開。倒れることさえないけれど、さすがに父も2晩ほどは眠れなかったというし、それでも彼らはいちばん大変なのは私だと思って、彼らなりに一生懸命理解をしようとし、身重な娘の身体をいちばんに気遣ってくれるから、そんな彼らの優しさが時に私の胸を締め付ける。
そんなわけで母とは先日しっかり話せなかったこと、そしていつもの"姉妹のような"話など、時間の許す限り話をした。私と彼のことは多少は話してあったけれども、いきなり妊娠と聞いて「娘はひょっとして弄ばれたのではないか」とか、母なりにネガティブにも考えてしまったようだ。だから私は、彼との馴れ初めから現在に至るまでの話、彼の家族にもよくしてもらっていたことだとか、彼の人となりについてポジティブな面、ネガティブな面、どちらもできる限りすべてを話すことにした。そして話すにつれて、悲しく辛いことも多かったけれど、やはり幸せで楽しかった日々のことも思い出し、すぐにでも彼に会いたい気持ちでいっぱいになった。
それらを聞いて母は随分、納得してくれたように思えた。そしてジェダイのことを「我々家族にとって意味があって生まれてくる子なんだ」と言ってくれたのがとてもありがたく、嬉しかった。私が母の胎内に居たときも、相当に動いていたらしく、父には「絶対男の子だから」と言い切っていたらしいのだけれど、今私の状況を話すと、ジェダイの暴れっぷりはそれとは比較にならないほどだということが判明。もうグルグルとかじゃなくて、ドンドンドタバタ。想像するに、仰向けでダダをこねる感じ。最近は繰り出される技もジャブだけでなく、ストレートやアッパーとコンビネーションも多彩になった。
母は、この一ヶ月の私の身体的変化とジェダイの暴れぶりから言った。「でもこの子は8ヶ月近く、お腹のなかで母親に気づかれないように、ギリギリまでジーっとしてたんだよねぇ。それだけどうしても生まれたいっていう意思が強いのよ」と。
本当に母の言うとおりだと思う。これが例えばひどいつわりとかですぐに病院に行ったり、早くに妊娠を疑って、中絶可能な妊娠初期の段階でもしも気づいていたとしたら、果たして私はどう判断しただろうか? 既に彼はイスラエルに旅立ってしまっていたわけだし、それはそれでとても悩み、苦しんだと思う。周囲はもちろん反対するだろうけれど、多分、私は同じ選択をしていたと思う。
母は今の新居や住環境も「今までの中でいちばんいいとこじゃない! 名古屋(の実家)よりずっとここのほうが快適よ」とても気に入ってくれた様子。近所に買い物に一緒に出掛けたとき、一度具合が悪くなってしまったりして、心配をかけてしまったけれど「もうログハウスに避暑に来たと思って、出産まではゆっくりゴロゴロしていなさいよ」と、身体をいちばんに考えることを諭し、少々後ろ髪引かれる思いながらも、とりあえず東京を後にしていった。
お盆休みには、父も来ると言っている。一人暮らしを始めて以来、一度だって私の家に来たことはないどころか、直接電話することだって過去10年以上で数えるほどしかなかった父なのに。