vendredi, juin 30, 2006

Je peux être nulle pour toi.

『キミのためなら“無”にだって』

昨日の日記を読み返してみると、ひょっとしたら見守ってくれている人たちを心配させてしまったかもしれない。そして思わぬ誤解を与えてしまったかも。

昨夜、私が思わず漏らしてしまった涙のいちばんの理由は、身体がしんどいとか言うよりも、それはむしろ世間の冷たさを目の当たりにしてしまったこと。でも誤解して欲しくないのは、私はそれを卑下するつもりはない。むしろそれは当然のことだから。仮にそれが逆の立場だったとして、満員電車の中、一日の疲れを身体に感じながら帰るとき、果たして自分はそれほどまでに周囲の人に気を配っているだろうか?

実は昨日、九段下の駅を降りたところで、3人組の外国人旅行者が地下鉄の路線図らしきものを広げながら、困っている様子を目にした。外国での旅先での不安は私もよくわかるし、違う国で自分が暮らしてみて、地元の多くの人々に助けられた。だから今こうして自分の国に帰ってからは、今まで自分がお世話になった恩返しをしたいと、日本に居る外国人に手助けをしてあげられたら……と、実はつい最近にも掲示板で夏休みに日本に遊びに来るというフランス人とコンタクトを取り、いろいろと質問に答えたり、可能な範囲でなら都内を一緒に案内してあげたいと思っていたところだ。私にとっては、彼らを手助けするというのももちろん、彼らに日本で楽しい思い出を残してもらって、「優しい日本人に出会えたよ」と、この国を好きになって欲しいと思っていたから。自分が旅先で感じてきたのと同じように。それに、外国人がこの日本という特殊な国で示すいろんな反応を見るのが何よりも楽しかったりもする。

でも結局、昨日は声を掛けずに素通りしてしまった、途中引き換えしてでも彼らに声をかけようかとも悩んだけれど、自分自身も少し急いでいたのと、彼らは若くて3人揃っているということで、自分たちできっとなんとかできるだろうと自らを納得させた。

だから昨夜たまらず涙を流してしまったのは(泣いたというよりも涙がこぼれた)、立場が代われば自分もそんな一人なんだということを実感してしまったから。そして今、周囲で私に対して理解を示してくれる友人たちの優しさとのギャップに、なんとも言えぬ気持ちになってしまったのだ。

そして、これから先、理解が得られるかどうかわからない、彼のこと。

私が妊娠しているとわかって、それを周囲に発表して、明らかに気を遣ってくれている人たち、仕事関係でも理解を示してくれる人たちには、本当に感謝している。でもなんとなく、周囲も絶対にそういうつもりはないのだけれど、自分が同情を求めていると思われたり、便乗して甘えていると思われたりしてはいないかと、そうした優しさなり気遣いをどう受け入れていいのかが時々わからない。日に日に自分の内面は、母性の目覚めとか、激しい勢いで変化していって、驚くほど適応してはいけるのだけれど、そういうのにはまだ慣れない。

でもちょっと考え方を変えてみた。それは私に対してではなくて、ジェダイのために向けられたもの。「おめーのためじゃねぇよ!」、そう思えば、素直に受け入れていくことができると思った。

現に他のことだって、たとえば食欲がなくても少しでもいいから食べなければいけないと思うときだって、ジェダイのためだと思えば頑張れる。自分のことだと思うと、今までも「ま、いっか」って少々無理することもためらわなかったけれど(そのせいで今の現状があるわけだけど)、今は子供のためだと思うと、立ち止まることも躊躇しない。

結婚、出産をためらう理由。私にもよくわかる。
人生が大きく変わり、必然的に自分のための時間や金銭は制限されるだろう。
でも、誰かのために一生懸命になるって、きっとその犠牲以上のものなんじゃないだろうか?
それに例えば辛いことがあったとして、もう逃げたいとか思ったとしても、それが自分のことだったら本当に辛くて行き止まりを感じるかもしれないけれど、それが誰かのためだと思ったら、少し違って思えるんじゃないだろうか。

それからいろいろ苦労して、ボロ雑巾のように必死になって生きること。
それって格好悪いことなんだろうか?
だったら人はなんでスポーツを見るの?
もちろんそれはゲームという娯楽的楽しみもあるけれど、例えば泥まみれになって必死で白球を追いかける高校球児の姿を見て私たちは何を思うのか? 傷だらけになっても立ち上がる『あしたのジョー』に向けられるのは、同情よりもある種、羨望の眼差しだったりすると感じているのは、私だけなんだろうか?

私の決意によって、勇気が与えられたと言ってくれた、それぞれに悩みを抱えている大切な友達のみんなへ。

少なくとも私は今、これまでの人生でいちばん「生きている」っていう、自分のなかに通う血の流れを感じているよ。二人分のね。

jeudi, juin 29, 2006

Comme si c'est assez loin...

『こんなにも遠い……』

昨日自宅でたっぷり休養させてもらったおかげで、今日の体調はすこぶるよかった。昨日のぶんも挽回しなければならないので、いつもより早めに出社して、順調に仕事もこなしていく。そんなときは、気力がとてもみなぎっていて集中力も高まり、仕事の効率もよい。というか、今日は仕事によって、随分と私の精神力は支えられたと言っていい。

彼と昨日の続きを話すものの、話がまったく噛み合っていないことを実感。その間にある、言葉の壁、時間の壁というのは、日本-イスラエル間という物理的な距離の何倍も大きい。噛み合わない会話の数々に悲しみ以上に「あぁこんなにも遠いんだ」って、途方に暮れる気持ちのほうが強かった。

彼のほうは「なんで今まで気づかないんだ。あり得ない。一人の女性としてどうかと思う」とただ一方的に非難。えぇもちろん、それは事実、否定も反論もしないけれど、今それを言っても物事はなにも先へは進まないのだ。父親が医者で、27になってもいまだ両親から独立せずに常に親の加護を受け生きている彼には、信じられないことだろう。そして働き者でギリギリのところまで無理をしてでも責任を果たそうとする、日本人の美徳なんて、1年の1/3はバカンスのフランス人には理解できないだろう。

パパが遠いところに居て、胎内を出た後も一生父親に抱きしめてもらうことができないかもしれないジェダイのために、先週産院でもらった超音波の彼の写真とパパの写真を一緒に持ち歩いている。他人から見たらバカげた空事かもしれないけれど、今の私にはそれぐらいのことしかしてあげられない。

書くのを忘れたけれど、こないだ目が覚めたとき、いつもは朝寝坊なジェダイが胎内で激しく動いていたときの直前、実は彼の夢を見ていた。駅で大きく手を広げてハグする体勢で、そこで夢から覚めた気がする。既に現実の夢は覚めてしまっているのだから、せめて非現実の夢だけでも見ることを許してほしいのにと、その後は涙がいっぱいに溢れた。

私はこの先、彼とのいい思い出のなかでジェダイを愛して、育てていければいいと思っていた。だから彼にコンタクトを取り、その反応次第でその夢が壊されていくかもしれないことを危惧し、彼には真実を知ってもらわなければという思いと同時に、できることならそれを避けられたらと思っていた。

彼への思いを完全に断ち切った、割り切っていたといえば嘘になる。ただ納得させなければ、時間が経てば、きっとまた新しい恋をして、清らかな思い出になるだろうと思っていた。これまでの恋愛と同じように。

でもきっと私は、これからジェダイが生まれてきて、嫌でも彼を忘れることができないだろう。過去の記憶に縛られて生きたとしても、自分では最悪それでもいい。

でももし、彼を憎むようになって、この先その憎悪をジェダイに向けてしまうかもしれないことを思うと、彼にどんなことを言われても彼を許し、決して恨んだり憎んだりしたくはないのだ。

このあまりにも愚か過ぎる自分が本当に嫌になる。そしてその気持ちに拍車をかけるように、今夜もまた孤高の列車に身を任せなければならない悲しさ。カバンを肩にかけ直し、空いた席に座ろうとした瞬間、さっと割り込む若者。なんだか集団でいじめられているような気分になって、人目もはばからず悔しくて、やりきれなくて大粒の涙をこぼす。

そして今日初めて気づいたけれど、涙のかたちや大きさって、その理由で結構違うもんなんだ。足元に滴る涙を見ながらそんなことを思って、つり革に身を委ねて、今日も満員電車に揺られて帰った。

L'home et la femme.

『男と女』

私がその存在を自覚してから、そして周囲にそれを告白して以来、なんだかジェダイは自己主張がとても激しくなったような気がする。お腹も大きくなってきた気がするし、動きも激しくなってきた。まるでそれまでは、ママに遠慮してきたかのように。

ところで、mixiのほうでもついに事実を公表し、いろんな人からいろんな言葉をかけてもらって、そのたびに胸がいっぱいだ。今はなかなかそのひとつひとつに、感謝の気持ちとか、私なりに思うことを返せずにいるけれど、ひとつひとつしっかりと大切に受け止めている。きっとジェダイも。

なかには、自らが抱えている問題や悩みなどを、私なんかに思い切って告白してくれた友人など、それを思うと胸が張り裂けそうになるし、今、直接言葉をかけることはなくても、私の抱えている現実を知った友人たちの間でも、きっとなんと言って言葉をかけるべきか、それを見つけられずにでもいろいろ思ってくれる人はいるのだろうとかを考える。

なかでも私の告白に対しては、女友達は割りとストレートな反応が返ってきたというのが実感。やっぱり女性、特に同世代の女性に関しては、既婚、未婚にかかわらず、この手の問題を考えない人はいないのだということを改めて実感。出産というイベントは、人生を左右するほどのものなのは確か。だけど、みんなそれぞれに今の人生、個の人生をどう生きるかという命題について、30代というのは本当はいちばん真剣に考えなければならない時期。出産によって人生が大きく変わることへの躊躇や不安、それと同時に「欲しい」と思ったときに「時既に遅し」ということになっているかもしれないという不安。これは女性特有の絶対的な悩みで、男の人には心からは理解が難しいことだろう。

今回、ちょっと思っているのは、そんな男性の間でも反応はさまざまで、その反応の差に関しては、現時点でも既にデータのマッピングはある程度できている。男性の気持ちまで代弁することはできないけれど、ある程度自分なりの考証ができた時点で、必要とあらばいずれここで思いの丈を語っていくかも。

思うに私は、男と女はやはりこの出産という時点で、永遠にわかりあえない生き物な気がするのだ。かつて私は「結婚を迫る女性、それを躊躇する男性」ということに関して「女は人に養ってもらわなくてもいいやって思っても、なかなか人を養っていこうとまでは思わないから、結婚に関しては男性のほうがヘビーだよね」ということを男友達に語っていた。そして「だからこそ、女性は男性より現実に社会的職業的差別を受けることが多いんだ。でも私はそれを逆手にとって、自分のしたいように生きていくよ」と、終身雇用とか家族の扶養とかの問題を一切気にすることなく、自分の夢をかなえることだけを考えて、フランスへも旅立った。

だけど私には大事な認識がかけていた。出産という点に関しては、女はどうしたって逃げることができない。産むのは女。極論として、男は逃げることだってできるけど、女にはその選択肢はないのだということを。

先日、テレビで相変わらず日本の少子化問題について特集が組まれていた。社会が抱える今世紀の重大な問題としながらも、テレビでアナウンサーの無機質な声で読み上げられる、出生率が云々とかデータ中心の原稿をどれだけ人々が現実味を帯びて考えられるのだろうか。日本の少子化の問題は=「団塊ジュニア世代」として取り上げられていて、まさにそれは私たちの世代のことを言っている。バブル崩壊以降、就職超氷河期を経て、多くのフリーターを生み出し、結婚や出産に経済的不安を覚えている(そしてそれが経済格差という問題とも密接に絡んでいる)というレポートについては、一応評価ができると思った。でも正直言って、その問題を声高に叫んでいる人たちって、きっと社会的にはこの厳しい時代を勝ち抜いたエリートと呼ばれる人たち。なんだか、そのレポートはあまりに客観的すぎて、少なくともこの問題を解決するカギとなる張本人が、その現実を受け止め、意識していくのにはあまりにも現実感の漂わないニュースだと思った。だって、正直、社会からドロップアウトした人たちって、そもそも社会になんて参加するつもりはないんだもの。というか、そんな余裕ないし。

かく言う私も、つい最近までは「どーせ、年金もらえないんでしょ?」とか言って「だったら民間の生命保険なりで、自分の面倒は自分で見るからその選択の自由をさせて」ってほざいていた口。現に、こないだまで自分の住民票が在仏中に失効していることでさえもしらなくて、保健とかもようやく復帰したような人間。それが今、「やっぱり福祉のお世話にならざるを得ないのかも」だなんて、虫のいいことを言うようになっているのだから、人間、そこまで自分の身に切迫しないと、社会のこと、他人様のことなんて考えてられるかというのが、本音だと思う。

日本を離れて、フランス、それから他の国の人と接するようになって、日本の社会、社会保障制度などとの違いを知った。これからはそういう外部との比較の上でも、自分なりにいろいろ考えていきたいと思う。

そして、永遠にわかりあうことの難しい男と女。彼らが少しでも歩み寄れるようにも考えていかなければと思う。

いずれにしても、今欠けているのは「対話」な気がする。インターネットが発達して、人々は容易に国境ですら越えられるようになったはずなのに、そこにはなにか人々の根本的な「空虚さ」がブラックホールのように拡大していっているような気がしてならないのだ。

mercredi, juin 28, 2006

Tu en veux tout de même?

『それでもキミは望むの?』

今日は安息日として、周りの多大なる協力を得ながら自宅で仕事をさせてもらっているが、どうしても集中できないので、少しここで吐き出すことにした。

ジェダイの母となることを決心し、強く生きていこうと誓って数日。日に日に目覚めていく母性に、その後の不安よりも私は幸福感に満たされることのほうが多かった。

けれど、避けては通れないことがひとつ、ずっと残ったまま。

両親は私を理解してくれ、ジェダイのパピー&マミーとして全面的に私をバックアップしてくれることは言ってくれたけれど、「相手には事実はちゃんと伝えないといけない」ということだけは、念を押して言っていた。

もちろん、そう言われなくても私もわかっている。だからとても気が重いことだけれど、第二の関門として、それに正面から向き合おうと、MSNで彼と話せるタイミングを以来ずっとはからっていた。週末に一度、オンラインになっていたので話かけたけれど、返事はなかった。

気分屋な彼なのはわかっているし、姿が見えないぶん、彼のそのときの都合だってわからない。そしてその後しばらく見かけなくなって、今日やっと彼がつかまり、勇気をもって話かけた。

彼とはそれこそ先週、3日違いのお互いの誕生日を「おめでとう」と声をかけあったばかり。だから一応、連絡は続いてはいた。元恋人のお友達として。

まず最初になんと言って切り出すか? それを考えるととても頭が痛かった。でもとりあえず、イスラエル情勢のニュースが報道されたばかりだったので、まずはそれを気遣う言葉から切り出した。

「誘拐についてはとっても悲しいことだけど、僕については大丈夫。僕らは最高の防衛体制だからね」

彼の専門はパリの学校時代から(今もまだ籍は置いている)イスラエルの防衛戦略。まさに彼の専門分野だから、気持ちよく話を続けてきた。

そんな彼に伝えなければならない、とてもヘビーな真実。半年も会っていない元彼女から、突然に子供ができたと知らされて、混乱しない男性はいないだろう。そのことを考えると、心が痛かった。姿が見えないだけに。9月にイスラエルに遊びに行く約束をしているぐらいだったのに、それが急に知らない間にまったく別の展開になっているだなんて。

彼の反応は、想定していた最悪のものではなかったけれど、やはりかなり混乱し、信じられない様子だった。というか、しきりに「そんなことはあり得ない」と言っていた。と同時に、そんな大切なことに今まで気づかない女に今改めて幻滅したかもしれないし、やっぱりそれなりの言葉も放たれた。

でもそれも全部受け止める覚悟をしていた。どうしたって私はすべての現実を受け止めなければならないし、それはおそらく彼でなくても、どんな男性でもきっと同じような反応を示すだろうから。

彼の前ではなかなか本音を打ち明けられない私をおそらくわかっていて、「正直にキミがどうしたいか言ってごらん」と言われたので、正直な希望は伝えた。それは一方的な希望であってもなんでもいいから、この際とにかく。

現実的には厳しい私たち。今や彼はフランスにいるわけでもなく、既にイスラエル国籍も取得していて、それから宗教上の問題、etc。だから私たちは離れたはずなのに。

彼がイスラエルへ発つことを決めたとき、「私たちは本当は始めちゃいけなかったんだ」ということを言われて、とても悲しかった。それからやっぱり国民性の違いをとても痛感した。

そして私たちは友達以上、恋人未満(少なくとも私にとっては)として、最後のときまで過ごしていた。そこでちゃんとケジメがつけられなかった自分に対して、きっと周囲は非難するだろう。

でも人間の気持ちというのは、数式のようにはいかないのだ。

彼はまた明日話し合おうと言った。そしてきっともっと話し合わなければならないと。

でも私としては、事実を彼に知ってもらうというだけで、それ以上は望んでいないし、期待はできないと思っている。だから正直、話し合うことなんてないのに。

私にはもうわからない。
ジェダイがそれでも生まれてきたいと言って、この世に生を受けるのなら、私は命をかけてそれを守り、どんな困難があったとしても、世界一幸せだと思ってもらえるように努力するだけなのだ。

Donne des coups de pied à ta maman!

『ママンを蹴っ飛ばせ!』

今日はちょっと安息日。実は昨日の午後、夕方と少し調子が悪くって(夜にはだいぶん回復したが)、会社に着くまでの間、ちょっと呼吸困難と貧血気味で、近くのコンビにで思わず、鉄分のサプリとチョコレートを購入して出社。そしたらたまたま手にしたサプリ製品が「ただいま10%オフキャンペーン中」だそうで、心ひそかに「お、これってちょっとした見舞金か?」。

つい先週までは、少々体調が悪くても無理して頑張っていたけれど、妊婦とわかった今は、休めるときは休むというメリハリをつけて生活しなければならない。実際、日中ずっと調子が悪いというわけではなくて、少し休めば楽になったりという感じで、最近はやはり他の臓器が圧迫されているせいか、息切れと動悸による呼吸困難で時々しんどいのと、あとはやっぱり腰が痛い。

というわけで、移動中もわずか一駅でも空いていれば電車内では座るようにしているのだけれど、夜の三田線はいつも混んでいて、しかも今は動きもちょっと鈍いので、今までなら勝率の高かった「フルーツバスケット」にもここんところは敗戦が続く。

で、昨日はちょっと自分なりに演出をと思い、マタニティーをアピール。でもガボっとしているマタニティー服を着ようとも、かえってお腹が目立たなくなり、昨日は身体のラインが出るワンピースを着用してみる。

結果は、撃沈。たまーに、「この人もしかして妊婦? ただ単に痩せてるのに腹だけ出てる人?」みたいな感じでの視線を感じるだけで、あまり効果なし。やっぱり妊婦には、「若葉マーク」ならぬ「妊婦マーク」の配布すべきだと思う。

今、仕事先では実はちょっとした出産ブームかもしれない。つい先週、赤ちゃんが誕生したばかりの同僚(ママももと同僚)や、私の隣の席も妊婦さん。彼女と私の出産日は、実は10日ほどしか変わらないのだが、お腹の大きさがあまりにも違う。彼女のほうは大きいほうだし、私のほうは小さいほう。私からすると今の大きさでも結構しんどいのに、彼女のほうはもっとしんどいのではないかな? と気遣ったりもしているのだけれど、ちょうど彼女も同じ号で特集を担当していて、しかもページ数も多いのに、見た感じは平然と仕事をしていて「あー、彼女と比べたら私のほうが負担も少ないはずなのに、もっと頑張んなくっちゃな」って思ったりもしたけれど、でもやっぱり個人差があるというので「無理は禁物」と自分をたしなめる。彼女のほうは2人目の出産でもあるし、いざとなれば旦那さんもついてくれるだろうし、こういうのは絶対比べちゃダメだ。

とりあえず、昨夜は今日の仕事は自宅でも可能なように体制を整えるように頑張り、深夜ごろ帰宅。腰が痛いので台所に立つのが辛かったのだけれど、やっぱり少しでもごはんは食べなくちゃ……と、なんとか力を振り絞って、その後はそのままソファで横になっていたら、いつの間にかうたた寝してしまっていた。

そして目が覚めたとき、ちょうどフランスVSスペイン戦の開始時間前だったので、そのまま観戦。本当はちゃんと寝たほうがいいのだろうけれど、今は無理して寝なくても、寝たいときには力尽きて寝てしまうので、自然な流れに。

フランスチームがエスコートキッズを連れて入場するときは、やっぱり目が子供に行く。「っていうか、ジダンよりもっとそっち映せよ~!」って感じだった。

結果は、フランスが奇跡の逆転勝利。日本敗退した今はもう完全に「Allez! Les bleus!!(行け! 青軍団!!」なのだ。

試合終了後もそのままテレビをつけっぱなしにしていたら、ハマス政権がイスラエル承認を表明したとのニュース。一瞬、「中東和平に明るい兆しか?」と思ったけれど、専門家の話だと、中東問題はそれほど単純ではないらしい。現に、今の段階でイスラエル軍がガザ地区への侵攻を再開したとのニュース。エルサレムで生活している、ジェダイパパのことが別の意味で気にかかる。

そしてその後の時間帯は『世界ニュース』というのをやっていて、「ん? なんか聞いたことのある声だな」って思ったら、なんと「フランス2」というフランス国営チャンネルのニュースがやっていた。この番組はネットでオンデマンド配信をやっていることは知っていたので、Bフレッツが開通したらネットで観ようとは思っていたけれど、日本でも放送されているとは知らなかった。しかもこちらは通訳付きで。一応、音声を現地語に切り替えて観ていたけれど、今後のことも考えて、せっかくだし通訳の資格とかも取ったほうがいいかなぁとかちょっと考えたりしていた。今までは別にふつうにコミュニケーション取れるだけで、二ヶ国語話せるだけで満足していて、仕事に役立てようとかは一切なかったけれど、仕事をしながら子育てをこれから何十年も続けていかなければならないことになった今、そういうこともおぼろげながらに考えていかなければならない、と。「身を助く」芸があるのであれば、それを最大限に活用してでも生きていかないと。だから今は、ふつうの生活レベルなら問題ないけれど、やはりそれでお金を得ようと思うなら、もう少ししっかりとそれなりの「かたち」なりにしたほうがいいだろうとか。

ところで、妊娠の報告を済ませた友達はみな「パワーのあるemixだから大丈夫!」と口を揃えて、応援してくれる。

うん、きっと大丈夫。泣いたり笑ったりしながらも、ジェダイを一人ででも育てていくことはきっとね。

でも、今いちばんの不安。

それは、万が一ジェダイになにかあったりしたら、それだけは絶対に一人では受け止めることはできない。
だから、ジェダイ、お願い! ママを心配させないようにいつもお腹のなから強く蹴っ飛ばしていて!

Le monde t'embrasse!

『世界があなたを抱きしめる!』

昨年の5月末に知り合って、その後大変お世話になった私にとってはフランスの叔父的存在の友人から、先日届いたメール。少し前に「最近実は体調があまりよくないので近々病院に行こうと思っている」と書いて送ったメールに対して、その後の経過を報告。そしてそのお返事。

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(日本語訳 ※一部省略あり)

こんにちは。お元気ですか?
私はついにとある記者会見中に倒れてしまいました。数秒の間、意識を失ってしまったのですが、すぐに意識を取り戻しました。それで、やっと病院へ行き、妊娠していることを知りました。9月にはママになります。私はその事実に困惑し、少しパニックになりました。でも、もしかしたら自分が重病ではないかということを心配していました。今は自分の将来について心配です。まだ、彼とは連絡が取れていません。彼がなんていうのかわからないけれど、私の赤ちゃんを一人で育てていくという覚悟は既にしています。


なんという、知らせでしょう! キミが病気でないと知り、私は嬉しいです。でもこの重責がキミの人生を大激変させるということは私も理解しています。キミが一人で子供を育てる決意したことは、とても勇気の要ることです。彼もしくは彼女がとても愛らしくて、才能に満ちていることを私は確信しているよ。その子のママのようにね。

幸いなことに、両親は私を理解してくれ、応援してくれると言っています。彼らには本当に感謝しています。

両親の助けを借りるということは、とても大切です。彼らがキミを理解してくれているというのは本当によかった。お母さんがあなたたちのしっかり支えてくれると思うよ。


今後は甚大な困難に直面していくということは事実です。でも赤ちゃんを身ごもり、私自身が幸せな気持ちであるということは確かです。なぜなら私は、もしチャンスがあるなら子供を産むことを望んでいたし、と同時に自分自身にその能力がちゃんと備わっているのかを心配していたからです。というのも、自分がちょっとふつうではないと思っていたから。


キミは子供を持てないと信じていたの?

あなたを非常に驚かせてしまって、ごめんなさい。今朝、私の母は「私の子供はとても国際的な人間になるわよ」と言いました。彼、あるいは彼女は私と一緒にたくさんの外国を旅し、お母さんの子宮の中でいろんな外国語を聞いています。そして、彼、あるいは彼女のおかげで、私はいつでもフランスとつながっているのです。私はその国をずっと忘れることはないのです。

そうだね、その子はたくさん旅をしている。さらに彼がそれを継続していくことを私は望んでいます。それにキミと一緒にフランスに来てくれることを。キミが好きなようにいつでもうちに来ていいし、パリ(の彼の両親や親戚の家)にだって何日か泊まることもできるし、夏、ユー島やスペインでバカンスを過ごしに来ることもできるよ。私たちはそのかわいい坊や、お嬢ちゃんとフランス語で話すよ。

春には東京へ行こうと思っています。キミたち二人ともを抱きしめるためにね!

あなたのほうは、もしあなたがあなたの職場(新聞社)を離れる決意をしたのであれば、私はそれを尊重します。私たちには未来はわからないし、そしてそれは小説よりもドラマチックで、時には想像もできないものです。Nobody knows。

(中略)

よい一週間を。そして、もし今週、バカンスに(スペインへ)旅立つなら、よいバカンスを。

7月3日に出発します。スペインではインターネットがありませんが、時々ネットカフェへ行ってメールを見ると思います。もしよかったら、引き続きお便りをください。

キミにとってこれが大変なショックであること、そしてキミの人生を複雑にすることは私もわかります。でもその子供がキミにたくさんの幸せを運んでくれるとも私は思っています。

もしキミのためになにかできることがあったら、どうぞ言ってください。

身体に気をつけて。そして、君自身と子供をよくいたわってね。

キミを思っています。


トモダチ


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すごいね、ジェダイ! 産まれてくる前から、あなたにはこんなふうに外国にまでお友達がいるのよ! 私なんて、28歳になるまでそんな友達は居なかったのに。彼だけではなくて、まだ報告していない多国籍なたくさんの私のお友達もきっとキミを見守ってくれるよ。




> Bonjour,
>
> Comment ça va? Moi, je suis enfin tombée sur la terre pendant une conférence
> de presse. J'ai perdu conscience pendant quelques seconds mais je me suis
> reveillée tout de suite. En fait je suis allée chez le médecin. J'ai su que
> je suis enceinte. Je serai maman en septembre. Je me suis confusée par cette
> varité et je m'étais un peu paniquée. Mais je m'inquiètais si j'ai une
> maladie grave. Maintenant je m'inquiète pour ma vie future. j'ai pas encore
> reussi à contacter avec mon ex. Je ne sais pas comment il me dira
> mais j'ai déjà pris une résolution à élever mon bébé tout de seule.

Eh bien, quelle nouvelle! Je suis content que tu ne sois pas malade.
Mais je comprend que cette grossesse bouleverse ta vie. C'est très
courageux de prendre la décision d'élever seule ton enfant. Je suis
certain qu'il ou elle sera très joli(e) et doué(e), comme sa maman.

> Heuresement mes parents m'ont compris et me disent qu'ils me couragaient. Je
> leur remercie vraiment.

C'est très important d'avoir l'aide de tes parents. C'est très bien
qu'ils te comprennent. Je sais que ta mère prendra bien soin de vous.

C'est vrai que j'ai enorme de difficulté désormais
> mai c'est certain que je suis heureuse d'avoir mon bébé car j'en envie s'il
> y aurait de la chance mais en même temps je m'inquiètais à ma capacité de la
> parturition car je savais que je ne suis pas normale.

Tu craignais de ne pas pouvoir avoir d'enfant?
>
> Je suis désolée car ça vous a tellment étonné. Ce matin ma mère m'a dit que
> mon enfant sera une personne vraiment internationale. Il ou elle a beaucoup
> voyagé à étranger avec moi et écoutais beaucop de langue étrangère dans ma
> sein. Et glâce à lui ou elle, je me lie toujours à la France. Je n'oublierai
> pas ce pays.

Oui, cet enfant a beaucoup voyagé, et j'espère qu'il continuera, et
que tu viendras en France avec. Tu sais que tu peux venir chez moi
quand tu veux, et qu'on peut te loger quelques jours à Paris, que tu
peux venir passer des vacances à l'Ile d'Yeu, ou en Espagne, l'été.
On lui parlera français,à ce petit (ou cette petite).

J'essairai de venir à Tokyo au printemps, vous embrasser tous les deux !


>
> Pour vous, je respecte votre décision si vous quitteriez votre journal. On
> ne sais pas l'avenir et il est plus dramatique que des romans et parfois il
> est inimaginable. Nobody knows.

> Je vous souhaite une bonne semaine et si vous allez partir en vacances cette
> semaine, bonnes vacances.

Je pars le 3 juillet. Je n'ai pas internet en Espagne, mais j'irai de
temps en temps dans un cyber café pour lire mes mails. S'il te plaît,
continue à me donner de tes nouvelles.
Je sais que c'est un gros choc pour toi, que ça te complique la vie,
mais je pense aussi que cet enfant t'apportera beaucoup de bonheur.

Si je peux faire quelque chose pour toi, dis-le, je t'en prie.

Porte toi bien, et prends bien soin de toi et de l'enfant

Je pense à toi.

tomodachi

mardi, juin 27, 2006

Je me sens la force de Jedi!

「ジェダイのフォースを感じるの!」

今朝は目覚めるや否や激しい胎動を感じる。いつもは朝寝坊な我が子のはずなのに、今朝は「どうした?」ってぐらいに激しく動いた。

昨夜は実は職場の同僚と夕食を食べに行って、やっぱり食後に気分が悪くなり、またしても気を失いかける。自分でも血の気が引いていくのははっきりわかる。そして復調してもすごい冷や汗。友達をちょっとびっくりさせてしまったかな。

日本に帰国して、本当はいろいろ会いたい人、連絡を取りたい人がいっぱいなんだけれど、やっぱりずっと体調が悪かったので、特に食後に具合が悪くなることが多かったので、友達と食事に出かけることを躊躇していた。それこそ、外で仕事中にお腹が空いても、コンビニとかで何か買ってきたものをその場で食べることでさえためらわれたぐらい。いつ具合が悪くなるかわからないと不安があって、でも自宅で食事を摂るなら、具合が悪くなってもそのまま横になれば大丈夫だしって、外でお腹が空いてもとりあえずその場は飴とかチョコとかキャラメルとかでごまかして、なるべく家でご飯を食べるようにしていた。

でも元来、人と一緒に食事をするのが大好きな私。そしてフランス生活、各地を旅行した話、実はもう話したいことがたくさんに積もり過ぎている。昨夜は友達と一緒に久しぶりに食事をして、ちょっと調子に乗り過ぎてしまったかも。とにかくおしゃべりがとまらない。現在既に妊娠末期に入ったところの私の身体は、じっとしていても息切れや動悸が激しいというのに、しゃべるしゃべる。で、やっぱり果てる……。

あぁまたやってしまった……と自己嫌悪。まぁそれが私と言えばそうなんだけれど、今や私自身はひとりの身体じゃないことを忘れちゃいけないのに。

その後、帰宅途中にあまり胎動を感じずに、著しい不安に駆られる。つい数日前までは、お腹のなかの異変を感じることが不安だったのに、今やすっかりその逆。地下鉄の中でも30分ぐらいの道のりを、やはり誰も私を7ヶ月の妊婦と思う人はいないようで、ずっと立ちっぱなし。あぁ、プレスバッチみたいに「妊婦バッチ」ってあったらいいのに……と考えながらも、まぁいざとなったら「私、妊婦です!席譲りやがれ!」って印籠差し出すいみたいに叫んでやればいいやって思ったり。

帰宅後、ソファの上に横になると、いつもの胎動を感じてひと安心。

ところで昨日は、区民事務所にさっそく母子手帳なるものを取りに行く。私にとっては人生の一大事だというのに、行ってみれば「妊娠届け」なる薄っぺらい紙切れに、住所とか予定日とかちょこちょこっと書いて、区長宛てにサインして出すだけ。内心「区長がこれ見るわけでもないのにな」とかって思ったり。それと引き換えに、職員から「母と子の保健バッグ」という代物を受け取る。中には、母子手帳と、区が補助してくれる各種無料検査券とか、あとは「母の心構え」みたいな小冊子とか。

職員の人に「中に妊娠検診無料券が二枚入っているんですが、1回目と2回目用がありますので間違えないようにしてください。間違われると無料になりませんので」って忠告を受ける。でも実は1回目の検診は23週目までに受けるもの。2回目は35週目まで。っていうか、私もう28週目なんだけど……って。なんだかこういうのを妙に事務的に無表情で言われるのって、ちょっとガッカリ。ま、対応する職員が出産経験のある女性なら、また違ったんだろうけれど。まぁ、それ専用の窓口ではないので仕方がないけれど、出産後にぜひ意見書を提出させていただくとしよう。

社会的にも妊婦となり、その足で編集部へ。もう28週なので、安定期とかそういうのもとっくに通り越しているので、まずは仕事関係にはちゃんと説明をしなければと、妊娠を公表。やはりみんなを本当にびっくりさせて、思ったとおり、どう反応していいのかわからないという人も居たりしたけれど、私自身はこれから生き抜いていかなければならない現実への不安をさておけば、まずは自分が重大な病気ではなかったこと、そして子供を授かったこと自体は素直に嬉しく感じているので、自分ではとても明るく報告できたと思っている。今まで気づかないなんて「バカじゃないの?」って言われたりもして、自分も自覚したりしているだけに少々傷つきもしたけれど、「いや~、胎動らしきものを最初に感じたときでさえも、旅先でなんか変なもの食べて、寄生虫とかいるのかな~? ピョン吉いるのかな?」なんて思っていた私だから、反論の余地なし。っていうか、我が子を寄生虫だのピョン吉扱いしていた母親なんて、最低だ。でも、どんなにバカであっても、これからの現実を生き抜いて行かなければならないのは私自身。人から何を言われても毅然と生きていかねばならないのだと、密かに心に誓っていた。

やっぱりみんなが口を揃えて言うことは、「ホントに今まで気づかなかったの?」ってこと。もちろん、今月に入って、胎動らしきものを感じたあたりから疑いは持っていたけれど、そういうのって本当に人それぞれだから。ふつうの生活をしていて、精神ともに穏やかなときだったら、こんな私でもさすがに「おかしいな」って思うのかもしれないけれど、この半年は本当にいろいろなことがあったから。何度も言うけれど、それなのに子供がここまで育ったってことは、やっぱり我が子の生命力には感服する。

ところで、これから経験していく、この偉大なるプロジェクト。この貴重な機会をぜひとも記録に残していこうと、このブログを書くことを決めたとき、タイトルをどうしようかと考えた。

で、結局決めたのは『La maman de Jedi』(ジェダイのママン)。最近結構気に入っていて聴いていたフランスのポップグループの曲に「Quand j'étais petit, j'étais un Jedi....(僕が小さいとき、ジェダイだった)」ってフレーズがあって、それがそのときループでたまたま流れて、なんかピンと来たのだ。

それまでは、自らを「子供のころはジェダイだったんだ!」と言ってしまうこの図々しいというかふてぶてしさが結構気に入っていたんだけれど、瞬間、あ、「私、お腹にジェダイ授かった!」って感じたのだ。

私のお腹のなかで、いったい何度飛行機で上昇下降を繰り返し、船に揺られたり、電車で酸素濃度の薄いスイスの山岳地帯に雪の中を歩かされたりしながらも、ちゃんと生きているその生命力はまさに「ジェダイのフォース級」と言っていいだろう。

それによく考えたら、チュニジアにも一緒に行って、サハラ砂漠をラクダに乗って揺られたり、なんとスター・ウォーズのロケ地へも行っている。大人でもそんななかなか行かないところに、胎児の段階で既に行っている子なんて、なかなかいないだろう。

そんなわけで私は今、ジェダイを身ごもっているのだ。
ルークかレイア姫かわからないけれど、ダークサイドに堕ちないよう、真の英雄になれるようしっかり育てなくっちゃ。

lundi, juin 26, 2006

Une vie qui partirait ou viendrait.

「失うかもしれないひとつの命 新たに得るもうひとつの命」

mixiで体調不良を告白して以来、その後の結果をまだ報告できないでいるのは、いまだ彼と連絡が取れないせい。もちろん、個別に連絡があったりして直接聞かれたりした人には、必要に応じて既に報告はぼちぼちとはし始めているのだが、まだオープンにできないでいる。公表することはなんの問題もないのだけれど、それはただ順番、ちょっとした気持ちの問題。

それでもmixiの足跡とかを見ると、たくさんの人が心配してくれているのだなぁと思って、報告できないことを申し訳なく思う気持ちでいっぱいだ。そして伝えたい感謝の気持ちや今、自ら感じている本音など、募るばかりだ。それらを大事にしたくって、これから自分の強い意志を毎度ちゃんと確認もしていきたくって、こうしたかたちで別のところで記録を残していくことに決めた。「いまだから話せるんだけど」って話、どんどん積もって後からだと説明するのがより複雑になってしまったり、面倒になってしまったりして、それがまた思わぬ誤解を生んで、悲しく辛い思いをしたり、また時として人を傷つけてしまうことを、これまでの人生で十分知っているから。

今朝の私は、まずはやっぱり目が覚めて考えるのはお腹の子供のこと。我が子は寝坊助なのか、割と午前中は静かだから、目覚めたときに胎動を感じず、不安にさせられる。でもそのくせ、夜中は元気で凄まじく動く。今は妊娠28週目で、病院への検診は既に2週間おきに受けなければならないということだったけど、私としては本当に二日おきにでも診てもらいたいのが正直な気持ちだ。

ところで私が妊娠していることをまだ知らない友達や知人たちには、きっと私自身が重大な病気を抱えているかもしれないと、心配されているだろう。本当に申し訳ない気持ち。実際、自分だってそう思っていたし。既に報告を済ませた人で現在の私の姿を知っている人からは、「その身体じゃ誰もが9月に出産するような姿とは思わないよ」と言われている。それくらいお腹の大きさは目立たない。昨夜テレビでダイエットの特集がやっていて、出ていた人のお腹を見て「明らかに私より妊婦じゃん」って思ったぐらい。人の身体って、裸の状態でなかなかマジマジ見比べることってないからね。確かに私のお腹は前に突き出ていて、横から見ると妊婦っぽいけれど、腸下垂で下っ腹が出ていると言われれば、人は納得するぐらい。正面から見たら、まだちゃんと腰がくびれているほど。そんなんだけど、産婦人科の先生によると、お腹の赤ちゃんの大きさは標準で、今のところ早産とかそういう可能性はないらしい。なんだか、随分と狭いマンションに住まわせてしまっているようで(カプセルホテル並み?)、早く出してあげたいような気も。

ところで、妊娠しているかもしれないと思って、一部の人にその可能性を話したとき、やっぱり人それぞれさまざまな反応だった。でも自分がいちばん考えたのは、もしかしたら自分の命を落とすことになるかもしれない、そして命は助かったとしてもこの先子供が産めない体になってしまうかもしれないとまで考えていたことを思うと、どちらが幸福なのかということだった。そして、失うかもしれない命とこれから得るもうひとつの命の尊さを考えたとき、それはもちろんどんな困難も受け止めていかねばならないし、なにより生まれてくる子供を苦しめてしまうかもしれないけれど、やっぱりかけがえのないものを授かったことのほうが何倍も尊いことだと思えたのだ。

実際、一時は自分の死を覚悟していて、ある尼僧の「人は死ぬために生まれてくる。だからこそ、死ぬそのときまで精一杯に生きるんだ」という言葉で、自分が生まれてきた意味や、これまでの人生の意義を受け止めよう、結論づけようと思っていた。

でもその言葉を借用すれば、これから生まれてくる我が子もまた死ぬために生まれてくるんだと思うと、とても複雑な気持ちになってしまう。

命という意味の深さは、本当に計り知れない。

「生きることの意味、そして死ぬことの答え」

思春期のころにずっと考えていたテーマに、これから再度対峙していく。
そして自分の子供にそれを教えていかなければならないのだ。自分自身でもまだ答えが見つからないその偉大なるテーマに。なんという重責。

dimanche, juin 25, 2006

Tu étais toujours avec moi.

「あなたはいつも私と一緒だったんだ」

最初に体調の異変を感じたのは1月末。
ある夜、突然、吐き気がして、以来、1週間ほど食欲がなくなった。今までもちょっと鬱になったりすると、食欲を一時的に失うということはよくあることだったけれど、今思うと、このときはそれまでとはちょっと違う気がした。というのも、食べることを想像するだけでもう気持ちが悪くなってブルーになっていたから。それでも生命維持のために、バナナとかリンゴとかをコーラで胃に流し込んだりして、あとはそれまでは食材にそんなにこだわることはなかったけれど、BIO製品とか体によさげなものを買ってきたりして「まずは気持ち」から……とばかりに、徐々に食欲を回復させていった。

2月に入って、家に友達が立て続いて2組泊まりに来た。それでもずっと鬱状態が続いていて、それはずっと年末に彼が居なくなったことがいちばんの原因だと思っていた。友達が出かけようと誘ってくれても、全然気が向かない。パリで観光を満喫する友達を見送って、家に居る間はほとんど一日中ゴロゴロして過ごしていた。

前からわかっていたことだけれど、年末に彼がフランスを旅立ってしまったことは、想像以上に精神的なダメージだった。それまで頑張っていたいろいろなことも、その日、彼を空港に見送ったときを境に、まるで糸がプツンと切れてしまったようにガクっときた。空港で彼に後ろ髪を引かせないようにと、見送るそのときまでは、努めて気丈を振舞った。でも、彼の姿が見えなくなって、リールから彼を車で送りにやってきた、彼の親友に「ça va?」と声を掛けられたそのときに、その場で泣き崩れてしまった。それからRERでパリ市内の自宅には、どんな気持ちで戻ってきたのかはほとんど覚えていない。その足取りでさえも。

年が明けてからも、彼以外のことでも追い討ちをかけられるかのように、いろんな不運とかちょっとストレスのたまる出来事が続いていた。日に日に「パリ症候群」の症状を発症しているような気がしだして、月末には日本への帰国を決心。それからは、思い出づくりをしようと旅行の計画を立てたり、そして最後の最後は自分にとってのフランスにおける“故郷”で過ごし、親しい友達と心置きなく最後のフランス生活を楽しもうと前向きに考えた。

2月の下旬から3月の頭にかけて、「最後のバカンス」とばかりに、積極的にあちこちを動いた。イタリア・ローマ、スイス・ベルン、ジュネーブ、フランス南東部の島、île d'yeu。そのころから、頻繁に鼻血を出すようになり、またその量がちょっとふつうではなく、異変を少し感じていた。そして3月の半ばのある日、自宅で1時間半もの間、鼻血が止まらず、またその尋常ではない出血量に不安を覚えたのだけれど、その日を境に鼻血が出ることがなくなった。

3月の下旬から、日本から友達が遊びに来て、一緒にチュニジアへ旅行。ハプニングがいろいろとあり、ハードな旅行だったけれど、サハラ砂漠で念願のラクダ乗りに挑戦したり、スター・ウォーズのロケ地となった場所や、ヨーロッパとはまったく違う世界にとても感動してパリに戻った。

その後はすぐにパリを引き払う準備。とても慌しくパリの友達と別れて、故郷・リールへ。3週間弱、リールでは私の叔父のように接してくれた知人の新聞記者さんの家に居候させてもらって、最後まで心行くなく友達との別れを名残惜しんだ。

その間の身体の異変としては、とにかく毎日飲めや食えやの生活で、痩せの大食いの私もちょっと限界を感じていた。それでも日本に帰ったら易々と食べられなくなるだろうしと無理して食べたものの、「やっぱりフランス人の胃にはついていけない」と、最後は悲鳴を上げて、大好きなワインや地元のビールをお断りすることも。

そして4月23日、約2年過ごしたその地への思いを馳せながら、シャルルドゴールからスイス・チューリッヒ経由で日本へ旅立った。成田からちょっと都内で2、3日寄り道をしてから、名古屋の実家に戻るつもりをしていたけれど、さすがに総量が自分の体重以上の荷物を抱えたり、しばらく続いた居候生活、そして祖国へ戻った安堵感などで、一度に疲れが押し寄せた。スーツケースを成田からそのまま実家へ送って、結局その足で国内線に乗り、名古屋へ向かった。

実家に戻るや否や、発熱。2日間完全に寝込む。それから時差ボケや疲れ、生活環境の変化で精神的にも少し鬱状態になって、GW期間、大した外出をすることもなく、実家に引きこもって、前から引き受けていた原稿執筆の仕事にかかる以外は、寝てばかり。いい加減、ちゃんと立て直さなくちゃ……と、寝てばかりの娘に呆れた母からも軽く叱責を受け、自分自身もその意思と自覚をしていたのだけれど、どういうわけか毎日本当に眠くて仕方がなかった。そして、なんとなく酸素が不足していて、とても深い呼吸で眠っていたような気がする。

そして、GWが明け、即上京。まずは、友達の家に居候させてもらって家探しを開始。しかし長く続く居候生活にさすがに精神的な疲れ切っていたようで、わずか3軒目のない件にしてあっさり契約。いつもなら10軒ぐらいは見てからではないと決めない性格なのに、さすがに今回は相当疲れているんだな、それに随分体力が落ちたもんだなと感じていた。

そしてその週末には新居へ入居。やっと一人になれて、ほっとした。やっぱり居候生活は、気を遣うというだけではなくて、いつもどこかで落ち着かなくて、あとは食生活とかも自分のペースではなくなるので、長く続くとやはりそれはそれで辛くなる。

日本に帰ったぐらいから、明らかに太ったと自覚。今までの洋服だと、お腹周りが窮屈になって、一人になったら生活を改善させて、元に戻さなければと決意していた。そうしてだんだんと生活は落ち着きはじめ、手足は順調に元の体型に戻ってきた。でも、お腹だけは相変わらず引っ込まない。それでも今までも胃下垂のせいで、食べてしばらくは妊婦のようにぽっこりお腹が出たりしていたので、今回はそれも度が越してるんだろうなぁと思っていた。でもお腹が出ているせいで、食事後に結構苦しくなったりして、なんだか身体のキレも悪いし、本格的にダイエットしないとなぁと思っていた。

それから今月に入ったあたりから、再び身体の異変。というか、ちょっと変わったことが起きた。お腹の内側がボコボコと動き出した。それでもまぁ昔から、たくさん食べたりすると、胃とか腸とかがぜん動するのを感じていたので、その一種だろうと信じて疑わなかった。でもそれが大して食べてもいないのに、しかも頻繁に激しくなるにつれ、それまで可能性は否定できないけれども、強い疑いは持っていなかった、ある可能性を意識し出した。

それでも自分のなかでは、このなかなかへっこまないお腹が、なにか婦人科系の病気ではないかと、そちらのほうを疑っていた。そしてテレビなどでその手の内容をやっているのを目にしては、恐怖で直視できなくてチャンネルを変えたりしていた。例えば卵巣がんとか子宮筋腫とか、そういう可能性をとても疑っていた。もしそうだった場合の自分の余命のこととか、それに仮に手術して直ったとしても、子供が産めない体になってしまうのではないかとか、いろいろ不安で、その現実を直視できる覚悟が決まるまでは不安で病院にも行けなかったのだ。そして今まで大病を患ったことがない自分に対して、そのうち自然治癒していくだろうという期待も。

でもそうやって、病院へ行きちゃんと診断してもらうことを先延ばしにし続けた結果、先週、仕事中に意識を失ってついに倒れてしまった。周囲の人が救急車を呼ぼうとしているところで意識を回復し、とりあえずその場、その日はなんとかやり過ごしたけれど、さすがにこれはもう限界だとその日ようやく意を決して、週末に病院の予約を入れる。

病院はとりあえず産婦人科にした。どっちにしても、婦人科系に関係があるだろうという自覚があったから。でも前日、それまで強くは疑ってこなかった妊娠について、ウェブでいろいろ調べてみると、これまでの経過と照らし合わせてみると、今までの体調の異変がほとんど説明のつくほどにいろいろと合致していて、その段階で「妊娠」の可能性が自分のなかで高まる。

それでもあえて、検査薬で自己検査をすることもせずにそのまま産婦人科へ飛び込んだ。受付の人には、私のあまりの無知さ、無防備さにかなり怪訝な顔をされながらも(それはどちらかと言うと軽蔑にも近かった)。もちろん、女性として自分でもそれは認めるけれど、実は自分がここまでそれの可能性を疑わなかったのは、ひょっとしたら自分は不妊症ではないか? と思っていたふしがあったのだ。だからこそ、婦人科系の病気を心配していて、それによって「子供が産めない」という決定的な診断が下されることが怖かったのだ。

というのも、近年の私はごく親しい友人の間には「早く子供が欲しい」という気持ちを語っていた。それこそ「結婚はしなくてもいいけど、子供だけは欲しい」と冗談半分で言っていたくらい。私の周りには、なぜか「子供は要らない」という人が多いけれど、私自身は女性として生まれてきたからには、やはりその経験をしてみて、それがどんなものかを知りたいという気持ちがとても強かった。そして、結婚には年齢制限はないけれど、出産には絶対的なリミットがあるので、30代になってからは特にそれを強く意識するようになった。焦るという気持ちではないのだけれど、ごく自然の願望として強くはなっていたと思う。

検査の結果は「陽性」。そこには既にそれ相応の覚悟を持って来ていたので、結果に対してはとても冷静だった。でも既に、その日の時点で27週6日目と伝えられ、9月には子供が産まれてくるというのはちょっと動揺した。そして、本来は検査とか、それまでに段階的に受けていくすべてを一度にやらなければならないことや、これから出産までにやらなければならないことなどを一気に説明されて、正直とても混乱した。

でもとても不思議なことに、戸惑いながらもそれらを案外受け止めていく自分。それまで病院が苦手と言って、会社の健康診断の採血検査とかを避けたくて受けなかったり、まるで子供だった自分なのに、先生の前でいろんな要求をすんなり抵抗を感じずに受け入れていく自分。今思えば、それはもうそんな短い時間にも、それは自分のためではなくて、生まれてくる子供のため、母としての自分へと成長していたのかもしれない。

そして最後に、超音波で自分の子供の姿を見せてもらった。とても激しく脈打つ心臓の動きを確認したときの気持ちはなんとも言えなかった。先生は次々に「これはなんだと思います?」と質問を浴びせた。はっきり確認できたのは、耳と手のかたち。残念ながら、顔は背中側を向いていて確認できなかったのだけれど、「さすが私と彼の子! 生まれる前から天邪鬼だ!」と密かに思った。

大きな喜びと不安。今の正直な気持ちだ。もらってきた超音波の写真をひとり眺めたり、そして胎動を感じるときは本当に至福の瞬間。でもこれからのことを考えるとやはりとても不安。自分のことはいいとしても、既に生まれる前からふつうの人とは違う人生を背負わせてしまうわが子に対する気持ち。

両親へは帰ってすぐに報告した。彼らにどうやっても迷惑をかけてしまうことでとても胸は痛んだけれど、この事実はもう私だけの問題ではないので、やはりなによりも先に伝えるべきことだから。

母はやっぱり「これからどうするの?」って最初は攻めるような口調だった。でも「でももしかしたら、自分の命を落とすような重大な病気かもしれないと、自分としては本当に不安だったのに、私だって戸惑っているし、お母さん、今、そんなふうに言わないで」と泣きながら訴える私に、母はすぐに「お母さんは大丈夫だから! それよりあなたが落ち着きなさいね!!」と、すぐに私の立場を理解してくれた。

夕方、母から話を聞いた父からも電話があった。私としては両親がどんな反応をするかもとても心配していたのだけれど、父はとても冷静でおそらくパニックに陥っているであろう娘を心配し、とりあえずこれだけはちゃんとするようにということと、これから両親として、応援しては行くということをはっきり言ってくれた。

家庭によっては勘当される家だってあるかもしれないのに、父や母に本当に感謝しなければならない。そして彼らの私への愛情を31歳にして再度知ることにもなった。

今朝また、父と母それぞれ別に電話があった。後でわかったけれど、父は日曜だというのに、仕事先からだったようだ。定年を前にして、そろそろ穏やかな老後の生活を考え始めていたであろう父に対しては、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだ。母に対しては、母としての強さや優しさを思い知った。というか、社会人になって父に対する尊敬は高まったけれど、今、自分が母になることになって、母の偉大さを悟った。

母は言った。

「お母さんも昨日は動揺して眠れなかったんだけれど、あれからいろいろ考えてみたんだけれど、帰国前、あれだけあなたがあちこち移動したりして、華奢な身体にあんなに重い荷物を背負ったり、かなり無理をしていただろうのに、こんな言い方をするのはよくないけれど、よく流産しなかったなって思うのよ。だからやっぱりその子はそれほどまでにこの世に生を受けたいってことなのよ! きっとその子は国際的な子になるわよ」

そんなふうに言ってもらえて本当に嬉しかった。
正直、自分もここまで週数が進んで妊娠がわかって、これまで全然妊婦としての健康に気を遣ってこなかったので、お腹の子の健康状態がとても心配だった。でも昨日の段階で先生の話では、母子ともに特に問題はないし、子供の大きさが小さかったり大きかったりというのもないと言われ、本当に安堵したとともに、わが子の生命力に驚いた。

というか、本当にダメダメなママでゴメンね。
私が倒れたとき、それはきっと「いい加減、僕(私)の存在に気づいてよ~!」って、キミの必死の訴えだったんだね。

今日からはご飯を食べるときも、一人だという気がしなかった。自分よりも子供のために食べているという感覚で、出来上がったご飯を前に「おいしそうだね~」と話しかけたりしていた。

妊娠がはっきりわかったとき、「これからはもう一人じゃないんだ」と思った。
人一倍淋しがり屋な私に、神様はこの子を与えてくれた。
と同時に、神様は私に「人間としてもっと成長しなさい」と言っているんだと思う。