jeudi, août 24, 2006

Le dernier moment.

『ラストモーメント』

ここのところ体調もよく、出産時の体力づくりと気分転換のために外へ出て散歩がてらに近所を徘徊したり、かなりアクティブに動いていて、そのせいで夜は疲れて昏々と眠ってしまうのでここの更新が遅れてしまう。昨日の朝なんて、前夜8時には寝てしまい、そのままずーっと朝4:00ごろには目覚めてしまい、完全に時差ボケの状態。それでもここのところは、ずっと家でじっと横になって過ごしていたのもあり、夜寝ていてもそんなに深い眠りではなく、だいたい2時間おきに目覚めたりで断続的な眠りが続いていたので、寝起きの気分が随分違う。どっちがいいとか悪いとか、楽とか辛いとかという優劣ではないのだけれど、今まで通してみても、妊娠中というのは(私にとってはその自覚がないときも。今にして思えばという感じで)睡眠の状態がいろいろ変化するので面白い。そしてきっとそれは、赤ちゃんの成長に必要な変化なんだろうと思う。

というわけで昨今は順調に過ごしていたのだけれど、今朝になってまたちょっとした変化を感じた。朝起きてしばらくして空腹時のような気分の悪さを感じたので、パンとかを適当につまんだり、冷たいハーブティーを飲んだりしてみたのだけれど、あまり気分がすっきりとしない。それでいて、腰にどーんとしたような重い痛み。久々に思い出した生理痛のような感覚。あぁひょっとしたら前駆陣痛ってやつかもしれない。明らかにこれまでの体調不良の状態とは違って、骨格に来ている感じ。足の付け根や恥骨、骨盤のあたりに痛みも感じる。それから軽い吐き気も時々あって、今日は食欲があまりない。これまでは栄養を摂取し、成長することに一生懸命だったジェダイだけど、遂に外に出るための最終準備に入ったのだという気がして、分娩の心構えをと友達にもらった『お産本番のすべてがわかる本』というのをじっくり読んでみると、"出産には重力を多いに利用すべし"みたいなことがしきりに書かれていて、興味本位に潮の干潮を調べてみたら、なんと今日は新月にあたる。まぁ世の中、毎日にどこかで多くの生命が誕生しているのだから、かならずしもそれに左右されるとは限らないけれど、少なからず月の引力が影響しているのだろうと思うと、大変興味深い。ちなみに次回大潮は9月8日、その次が22日。予定日を挟むそのあたりでまたなにか変化があるかどうかをちょっと意識しておこう。

それからここ数日、常時悩まされているのは、手のひらと足の裏の浮腫み。足のほうは外で歩くようになってからかなりマシにはなったけれど、靴がきつくて履きづらくなったし、地面と接するとなんだか間に一枚板みたいなのがある感覚だ。掌のほうの浮腫みはちょっとひどくなってくる一方で、見た目も明らかに変わった。グーに握るのがちょっと困難で、握力がないのでものが握れず、やたら物を落とす。そしてついに今朝からは各指の先端が豆ができたみたいに硬くなって、パソコンのキーをタイプするときにちょっと痛い。妊娠後期に心配される中毒症の検査のため、病院ではふくらはぎの浮腫みを検査するけれど、そちらは特に問題がない。お腹まわりのうっ血状態は収まったけれど、今度は違うところに血液の循環の変化が出始めているのか、黄体ホルモンの増加に伴う体内変化の症状のひとつだろうとは思う。

実は昨日は、同じく妊婦の編集部の先輩同僚が遊びに来てくれた。日本に帰ってきて、会社で7月初めまで隣に並んで仕事をしていた仲間だけれど(結局、とても短い期間になってしまったのだが)、自分より出産予定が一週ちょっと早く、しかも私なんかより全然大きなお腹を抱えながら、つい最近まで通勤していた彼女。出産経験は二人目とはいえ、「すごいな~。でもホントに大丈夫なのかな?」と常に気にはなっていたけれど、ギリギリまで頑張っている彼女になかなかゆっくり会いたくても会えなくて、今どうなんだろうか? と思っていた矢先に連絡をもらった。するとなんと出産日が急に早まることになり、入院前にぜひ会おうとのこと。しかももう間もなく出産だというのに、うちまで来てくれるという。既に陣痛もあるっていうから、ホントに大丈夫なのかとかとても心配だったけれど、私も周りがとても気を遣ってくれたり、心配されたりするけれど、彼女とほぼ同じ週数でホントに無理なときやヤバイときっていうのは絶対に出掛けたり、無理する気にはなれないものだし、自分が大丈夫だと思えるときはたいがい問題がないのでなんとなくそのへんはわかるし、新居へも結局訪問してもらっていないし……ということで、お言葉に甘えて自宅まで来てもらうことに。

駅に彼女を迎えに行って、さらにお腹が大きくなっている彼女に「あぁ私も急激にお腹が大きくなったけど、まだまだだな~」って思いつつ、やっぱり臨月妊婦が二人並ぶと結構迫力があるもの。でも訊いてみると、結局現時点での体重増加は同じだし、お腹の赤ちゃんの大きさは彼女のほうが大きいし、ホント、こういうのは一概にはわからないものだと改めて実感。だから目安としていろいろ書いてあるけれど、結構幅があるのは結局、お母さん自体のもともとの身長や体重だって違うのだから、あくまで平均というのでしかないっていうのは、こういうことなんだなって思った。だいたいよく考えたら、結果から言ってママだって生まれてくる赤ちゃんのほうだって千差万別なんだから、みんな同じだったらある意味気持ち悪い。

要するに、そんな状況ながらお腹が大きいというのは羊水の量が多いということらしい。でもふつうに考えたら、そのほうが母体が辛いような気がするのだけれど、彼女の足取りは私なんかよりずっと軽い。私なんて、話しながら歩いていると息切れもするし、歩きにくいし……だけれど、さすがはついこないだまで通勤していた妊婦と家で寝て過ごす毎日だった妊婦の差なのだろうか、でもやっぱりもともとの我慢強さの違いもあるだろうけれど、それだけ順調だったということで素晴らしいなぁと思った。

実を言うと、前々日は母親学級に出席した。3回あるうちの2回目は、体調が優れなかったのと、内容も妊婦の栄養管理教室という、当時臨月間近な私にとっては今さら感もあったので欠席。でも今回は、赤ちゃんの沐浴と3,4ヶ月前に出産経験をした新米ママたちとの交流会だったので参加することにした。でも実を言うと、前回欠席しているのと、お盆でちょっと時間が空いた間に結構参加者どうしの交流が進んでいるようで、しかも既に臨月に入り妊娠ステージが進んでいる私とはちょっと共感する点も異なっていたりで、なんとなくその輪の中にうまく入っていけない感じが正直あった。さらに沐浴の実技のときは、手が浮腫んで人形の赤ちゃんの服のスナップを止めたり外したりするだけでも手間取ってしまう状況で、他の人よりもどうしてもうまくできず、感想を聞かれても「もう嫌になりました」とつい口走ったり、大人げない自分が嫌になったり、新米ママ&赤ちゃんとの交流会でも「抱いてみます?」と言われて、みんな赤ちゃんを抱かせてもらったりしているなかで、手も動かなくて他人の赤ちゃんを落っことしてしまったらなにより大変だという気持ちと、よく知りもしない人の赤ちゃんに全然興味がわかなくて、なんとなくやっぱり自分は他の人より母性本能が低いのではないかと考えてしまったり、目の前の実際の赤ちゃんを見れば、数週間先の自分の姿に実感がわくのかと思っていたのとは間逆の反応でがっかりしたり……とちょっとへこんでしまった。

それでも面白かったのが、会場で響きわたる赤ちゃんの鳴き声にジェダイがものすごく反応して激しく動いていたことだった。ひょっとしたら、私が他の人の赤ちゃんに興味がわかなかったのは、ジェダイがジェラシーを感じていたのもしれないと思うのは、思い過ごしだろうか。

でも昨日は旧知の友人に会って、やっぱり彼女の話や赤ちゃんにはとても興味があるし、彼女が出産したらすぐにでも会いに行きたいと思った。そして彼女のほうも私のそういう気持ちを共感してくれて、とても安心した。母親学級では「あぁ子供が同級生という結びつきだけで、ジェダイのためには受け入れがたい人間関係の中にもこれからは入っていかないといけないのかぁ……」とちょっと気が滅入る思いだったのだけれど、「あぁそうか、別に無理してつきあわなくてもいいんだ。気の合う人と基本的にはこれまでどおりのスタンスでも。まぁ時にジェダイのために多少の"演技"は必要かもしれないけど」と思えて、とても気が軽くなった。やっぱりもともと友達で、さらに同じ年の子供が居てっていう、二つの点での結びつきがある友達ってすごくありがたいし、大事だなって思う。

そんなわけで昨夜は、前から気になっていた駅前のインドカレー屋で遅くまで彼女と食事をしながら、とても楽しいひとときを過ごす。

でも次会うときには、目の前のお腹の中の赤ちゃんはもうこの世に生を受けているんだなって思うと、本当に不思議で、言いようのない神秘を感じる。

「お互い頑張ろうね!」

最後はそんなふうに声を掛け合って、駅で最後の彼女の妊婦姿を見送った。
この次は彼女の元気でかわいい赤ちゃんに会えることを楽しみに。

mardi, août 22, 2006

Ouvrez la cage aux oiseaux.

『鳥かごを放って』

昨日は久々の定期健診。妊娠6ヶ月から9ヶ月までの間は、通常2週間に一度の検診なのだけれど、先週がお盆休みだったので、約3週弱ぶり。今までは木曜に予約を入れるペースだったのだけれど、その3週の間に臨月にも入ることだし、心配なので病院がお盆休みが開けてすぐの月曜の午前中に予約を取っておいた。

診断の結果は万事良好。ここのところ私自身の体調はいいのだけれど、果たして胎児の状態がどうなのかとかそういったことはやはり医師の判断を仰がなければわからない。前回は減っていた体重も、今回は3週間足らずで+2キロ。この時期にこのペースはどうなのかと思っていたのだけれど、先生には「やっと増えてきましたねぇ~」と言われて安心。前に母親教室に来た助産婦さんの話では、「+8キロぐらいが安産にはベスト」との話だったけれど、これももともとの体型があるので個人差がある。私の場合、現時点でちょうど+8キロなのだけれど、痩せ型の人は+9~12キロが標準だとだいたいの妊婦マニュアルには書いてある。そしてジェダイの推定体重は2.5キロ。先生によると、これも36週でまさに標準値。羊水の量もちょうどよく、子宮口も閉じた状態ながら、柔らかくはなってきており、この週数としては理想的な状態だとお褒めの言葉をいただいた。それにしても現在、胎児+羊水だけでだいたい4キロ程度あるらしい。遂にノートPCをお腹に2台ぶら下げるよりも重くなってしまったということだ。

心配していた血圧も最高値はまだお腹も大して大きくなかった初診時の値に戻った。これは自分でもよくわかる。最近は起き上がるときにめまいがすることもなく、ものすごく軽快に起き上がれる。あとは一時は胎盤が低くて自然分娩が難しいと言われながら妊娠後期のたった2週で解消され(これは当時おそらくあまりお腹が大きくなっていなかったことが幸いしたようだ)、今後また位置が下がるという心配はないらしく、ひと安心。子宮の張り止めの薬ももう飲まなくてもいい。

これからは検診も週1回となり、子宮口の具合をしっかり診るようになるので、触診もちょっと痛く感じた。超音波検査では、相変わらずジェダイは背中のほうを向いていて、なかなか顔を見せてくれない。親心に内心「あぁ、パパもママも天邪鬼だからなぁ~」と思っていたけれど、先生曰く「恥ずかしがりやさんみたいですね」って、あぁホントに"ものは言い様だなぁ"と思った。それから「赤ちゃん、すごくよく動くでしょ?」と言われ、あぁ診察中に第三者からもわかるぐらいに動いているんだなぁと、落ち着きのない我が子にちょっと赤面。臨月に入ると、骨盤に頭が固定されてくるのであまり動かなくなるとは言うけれど、そんな一般論は我らが母子には適用しない。でも胎児が苦しくて動くということはないらしいので、どんなに暴れても問題ないらしい。

そんなわけで久しぶりの検診で、昨日まではとりあえず慎重にとなるべく静かに自分を抑えて込んできたけれど、これからはやはりじっとしているだけというのも、今度は逆に遅産になってしまうので、多少出産を促すような適度な運動が必要。気候にもよるけれど、自分が「しんどいな……」と感じない程度を目安に、散歩や出掛けたりしても大丈夫。

そんなわけで、帰りはとても気楽になって、軽い足取りでいつもとは一本違う道を通って、家まで帰ってみた。そういえば、5月の半ばにこのあたりに引越してきて、バタバタしていて街探検もまだまだだったけど、このあたりは本当に公園や緑がいっぱい。ジェダイが無事産まれて、一ヶ月間は実家で両親の世話になりつつ過ごすつもりだけど、それからまた東京へ戻ってきたら、ちょうど気候もいいころで、ベビーカーで一緒に外を散歩したりするのがちょっと楽しみ。

実は昨日はちょうど日付が変わったころ、ジェダイパパからメールが届いた。2週間以上、MSNでも見かけなかったし、バカンスでフランスにでも帰っているのかとか、いろいろとやきもきしていたのだけれど(実はそのせいもあってちょっといろんな気力が低下していた)、別に大したことは書いてないのだけれど、鬱蒼としていた濃霧が晴れて、ただ単に安心したとか嬉しいとか、そういうシンプルな気持ちでは言い表せないのだけれど、とりあえず今彼がどうしているのか、それからまだちゃんと私と、そしてジェダイともつながっていてくれることがわかって涙が溢れた。妊娠がわかってすぐに彼にそのことを報告したけれども、やはりこの半年という時間的距離、空間的距離によって遠くに隔てられた私たち。その後もお互い何を話し合っていいのかわからずに、どちらかと言うと彼からは責められる一方で、ジェダイと自分の身体のためにその現実に向き合うことを一時は避けていた私。でもそんな彼が初めて「身体に気をつけて」と言ってくれたこと、妊婦に対するそんな当たり前の一言でさえも私にとってはとても重い重い言葉なのだ。

彼は今、テルアビブに移り、おそらくネット環境がまだ整っていないようだ。エルサレムでの語学教育期間が終わり、とりあえず働き始めたらしい。大した暮らしではないけれど、だんだんとよくなるだろうと、とても前向きなコメントで安心した。なにより、とりあえずレバノンとの停戦協議には応じたけれども、常に火薬庫のそばで生活をしているような土地に暮らす彼が無事で元気であるというのがいちばんのこと。生きている限り、なんだってできるんだから。

前日には、リール時代からの韓国人の友達から突然電話がかかってきた。今中国に滞在していて、東京経由でフランスに渡るため、9月か10月に会いに行くのでどちらが私にとって都合がいいかを訊ねてきた。

ジェダイの名前の候補も男女の場合のリスト(漢字名はまだ決めてないけど)をリールの叔父に送って意見を聞いたり、出産の入院準備グッズもとりあえず揃えたぶんだけ袋にまとめてみたり(まだ揃えていないのか……と言われそうだが。いわんやベビー用品も結局まだひとつも買ってないし)。

昨日病院からの帰り道や、夕方買い物に出掛けて思ったことは、これからはできるだけ幸せな気持ちで出産までを過ごそうということ。ショックで寝込んでしまい、その後も鬱状態でたまに病院通いをしている母のほうも、電話口ではかなりポジティブになってきた様子でジェダイとの対面がだんだん楽しみになってきた感じ。

そして産まれてきてからも、ジェダイ自身が幸せであることはもちろん、周囲にたくさんの幸福をもたらすようなそんな存在になってくれることを願うばかりだ。

dimanche, août 20, 2006

Je t'ai vu en songe.

『キミを夢で見た』

しばらく更新を怠っていると、見守ってくれている友人、知人たちが心配してメールや電話をくれたりしてありがたい気持ちとともに申し訳ない気持ち。けれどここ最近は決して体調が悪いわけではなく、むしろ楽になり、それが逆に心配になるほど。

数日前に既に臨月に入った。妊娠36週から41週は"正期産"と呼ばれ、いつ出産しても問題がない。この時期に入るまでの出産は早産になり、まだ胎児の心肺機能が未完成で現代医療ではそれほど問題がなく育つのだが、やはり新生児の負担は大きい。とりあえず"母体の中で赤ちゃんを十分に育てる"というこれまでの任務はクリアー。あとはいよいよ出産という大一番に備えるのだが、それはまた正直不安でもある。とはいえ、私にとってのこの不安というのは、決して「産みの苦しみに耐えられるか?」という次元のものではない。そんなものは一過性のものでもあるし、それと引き換えに得られる喜びを思うと、甘んじて受け入れようと思う。それよりも分娩時に胎児の側が苦しまずに無事に産道を通って出てきてくれるかということ。例えばつい先日にも、杓子分娩で引き出された新生児が頭蓋骨骨折で死亡したとか、医療ミスによる悲しいニュースを耳にした。医療事故ではなくても、分娩時に胎児が酸素不足になってその後障害が残ってしまった例やさまざまなリスクも考えられる。

これまでは大きな問題もなく、なんとか乗り越え、わかる範囲での診察の結果も問題はなさそう。だけど本当に産まれてくるまで最後までわからない。なんだかそんなことを考えたりしながら、ここ数日は大したこともせず、首都のはずれで残暑を静かに過ごす生活。もう完全にジェダイは下のほうにおりてきて、徐々に胎盤に頭が納まった感じで、以前のような暴れまわるような胎動は感じられなくなった。それでも相変わらず胎動は力強く、口から飛び出してくるのではないかという勢いで、そのせいでたまに息苦しくなったりもする。それに明らかに肘や膝が当たる感覚があって、ちょっと痛い。先日などは、しゃっくりをする動きが大きくて、起こされてしまったほどだ。

お腹の大きさの成長は、一時としたら峠を越した感じ。異常なまでの食欲も治まり、ふつうのペースに戻った。ただじっとしているせいで、体力の低下は歴然とし、ちょっと歩いただけで疲れるし、その後手足のむくみを感じる。とはいえ、妊娠中期あたりからひどいむくみに悩まされる妊婦さんも多く、私の場合、多分、ホルモンバランスの変化というよりも、筋力の低下のせいが大きいような気がする。次の検診で医師の判断を仰ぎ、これからはできる範囲で運動不足を解消していかなければ今の状態じゃ、出産時、産後の体力にかなりの不安が残る。

そんなことを考えていたら、先日はちょっとおかしな夢を見た。寝ている間、気づかぬうちに出産を終えているという夢。目が覚めたとき、すぐには夢と現実の区別がつかずとても変な感覚だった。ちなみにジェダイは男の子で、出産後に意識を取り戻したとき、既に両親が「健太」という名前をつけていた(産後、自分がそれくらい長い間目覚めなかったというオチなのだが)。そして生後間もないというのに、既に一人座りをしてママの目覚めを待っているという、ウルトラBか天才バカボンのはじめちゃんのような赤ん坊であった。

我ながら奇想天外な夢。でも現実のほうが、それ以上に奇想天外だって言われそうだけど。

昨日は、片付きそうで片付かなかった今日締め切りの一本がとりあえず終わった。着手しようと思えばいつでもできたはずなのに、結局はこんなふうにギリギリになってしまう。

mardi, août 15, 2006

Une belle promenade d'après-midi.

『ある美しき午後の散歩』

昨日は都内は朝から大停電。幸い私の住む区は異なる電気系統下にあるようで、一切の被害なし。まぁ今回の停電はバックアップも無意味になってしまうような、ある種"想定外"の人為的事故が原因だったのだけれど、電気ひとつでこれだけ麻痺してしまう、電力依存な首都機能を思い知ったという感じ。それにしても、暑さでエレベーターに閉じ込められたりしただけでも命取りになりかねない状況、信号機が作動しなくなり交通事故だって起こりかねない状況、二次災害など、報道される限りでは犠牲者やけが人がなかったのが不幸中の幸い。こんなとき、外出していなくてよかったと、そういえば昨秋、パリの某駅でエレベーターに長時間閉じ込められたときのことを思い出す。あのときは明らかに重量超過によって、エレベーターがストップし、満員のエレベーターにまさに箱詰めにされたような状態で、しかも異常気象で10月末にもかかわらず高温のパリ。このまま息絶えたら嫌だなぁと思ったものだ。

そして昨日は午後から友達が遊びに来てくれた。先週も遊びに来てくれたお友達だけれど、今回はお盆休みということもあって旦那様も伴って。しかし夫婦揃って来てくれるとは思っていなかったために、いつものように気軽に考えていて、風呂上りの髪の毛は半乾きだし、思いっきり部屋着だし……の状態で大変失礼してしまった。でもまぁ彼女のところには居候させてもらったりもしたので、まぁいまさらか……と開き直って、身汚い格好を許してもらう。

旦那さんに会うのは5月末以来のことなので、やはり改めていろいろ報告をさせてもらう。まぁ報告以前に、この変わり果てた姿を見てもらえば一目瞭然なのだが……。でもやっぱりご多分に漏れず質問されるのは、「本当につわりとかなかったの?」ってこと。どんなに鈍感なのか、それとも極度の軽症だったのか、本当に心当たりらしきものが僅かにある程度。今だってそうだけれど、食べづわりみたいなのは一切ない。そのぶん人よりうっ血によるめまいとかがひどいのかもしれないが、いろいろとネットで妊婦さんのコミュニティーなんかを覗いたりしてみても、自分は妊婦のわりにはトータルでは症状が軽いほうなのかもしれない。この調子で出産も安産であることを願うばかりだ。

だけど今自分の腹部を断面図とかで見た場合、一体どんなふうになっているのだろう? 胴体のほとんどが子宮に侵略され、血液も子宮に集中して流れている状態で、それでも一応、生きていられるように他の臓器や器官が機能しているのだから、不思議で仕方がない。そのことを話していたら、友達の旦那さんが「子持ちししゃもの状態じゃない?」って。あぁまさにそんな感じかも。子持ちししゃもって、お腹にめいっぱい卵が詰まってて、そのくせ申し訳なさそうに他の臓器がその傍らにあったりする。

帰り際、玄関先で「お腹を触ってもいい?」と訊かれ、夫婦揃ってジェダイハウスを撫でてもらう。「へぇ~、そうなのかー。めいっぱいって感じだね」って言われて、改めて自分自身も「そうなのかー」って思ったのは、確かにお腹が出ていると、ふつうなら贅肉でプルプルしているイメージ。私にしては妊娠がわかってからのもうこの1ヶ月半は当たり前のように接してきた自分のお腹だけれど、確かに改めて思うと、この硬さはまさに40センチぐらいの体長で既に2キロ以上ある人間と羊水がこの狭い空間に収められているのだ。それはまさに"子持ちししゃも"の状態であり、その大きさの人形を誤って呑み込んでしまったことを想像すればよい(そこまで不注意な人はいないだろうが)。

そう言えば、昨日ぐらいからかなり子宮の位置が下がった感があり、息苦しさがかなり楽になった。それに、うっ血状態も軽くなったせいか、ソファから軽快に起き上がることができるようになった。

いよいよなんだなー。

ふつうなら、10ヶ月とか待ちわびて待ちわびての対面なんだろうけど、私の場合は「もう出てきちゃうのかー」って、もうちょっと金庫にでも預けておきたい気分。別々の個体になってしまって、離れ離れになるのはやっぱり寂しい。こんな調子じゃ、将来、ジェダイが大きくなったとき、なかなか子離れもできなさそうだ。

lundi, août 14, 2006

Qu'y puis-je?

『What can I do?』

ここしばらくブログをお休みしていたけれど、体調はすこぶる良好。と言っても一日のほとんどを横になってテレビや映画を見て過ごし、日が傾き涼しくなってきたところで近場に買い物に出掛ける程度の生活だが。あとは毎日の炊事、洗濯、掃除。領収書、請求書の整理をぼちぼちしたり。こんなことは以前だったら、毎日仕事をしながらとても効率よく片付けていたことだけど、今は驚くほどにスローペース。あと一ヶ月前後でまた生活が一変するかと思ったら、今はこんなふうに時間を過ごすのも悪くはないかも。とはいえ、こんなペースでも案外時間というのはあっと言う間に過ぎてしまうもので、夜、気がつくと眠っていたりすると「あぁ、あれもやりたかったのに」なんて思う日々。時間もお金もホント、使い方なんだなって思う。

今朝の東京は絵に描いたような夏空。高層マンションの背後を入道雲が"植生"している様子を窓から眺める。今年の夏は思ったほどには暑くない。自宅から河原が近いせいなのか、窓を開けていると日中でも結構風が吹き込んでくる。まぁそのぶん都心はヒートアイランド現象で暑いのかもしれないが、私に限っては今年の夏は避暑をさせてもらっているような気分。

ここのところのジェダイの様子と言えば、随分大人しくなった。位置もだいぶん下がってきた感があるし、胎動も静かになった。相変わらずよく動くけれど、前のように暴れる感じではなくなり、そのぶん内側からのボディブローの力強さが増した感じ。大きくなっていい加減、もう子宮のなかで自由に動けなくなってきたのかもしれない。そう言えば、異常だった食欲もどういうわけかピタっと治まり、こないだみたいに常に何か食べていないとお腹が空くという感じでもなくなった。お腹のかたちも前に突き出るという感じから、少し横に広がり、丸くなった感じがする。

ここ数日、MSNを起ち上げていると、何人かに久々に声をかけられることがあった。それでもたいがい寝ていて気づかずに、その後に相手のほうがオフラインになってしまうことが多いのだが。先日は中国人のある友達が話しかけてきて、ほんの少しだけ話した。彼女はリール時代に知り合った友達で、私がパリに引っ越してからもパリに来るときは必ず連絡をくれたり、日本に帰る前は自宅で食事に招待してくれたりと、結構親しくしていたひとり。彼女のほうはテキスタイル系のグランゼコール(大学院学校)に3年間の交換留学でフランスに来ている学生さんなので、この夏は義務である企業でのスタージュ(研修)で忙しくしていたらしく、最近中国に帰ってきてやっとネットが使えるようになったようだ。

少し前に彼女と彼女の仲間にはメールで出産予定であることを知らせていたのだけれど、以降彼女からはまだ返事がなくて読んだかどうか不確かだったのだけれど、とりあえずそれを確認すると知っているとのこと。彼女は続けて「おめでとう」の一言を言ってくれたのだけれど、その後の会話で正直とても気分を害してしまい、申し訳ないと思いつつも「それ以上この話をあなたと議論するつもりはない」とそこで会話を止めた。

「C'est pas juste」(=It's not just)。彼女が放った言葉で私がこれ以上話を続けてもどうしようもないと思った一言。彼女はジェダイの父親を批難し、思うに私を擁護して気遣ってくれたがためにそう言ったのだろうけれど、やっぱり彼に会ったこともなく、彼のことを知りもしなくて、唐突に第三者にこんなふうに言われてしまうのはちょっと違うと思ったのだ。私自身がどう思うかというよりも、そんなふうな理解しがたい複雑な関係や状況にもかかわらず、一度だって彼をそんなふうに言ったことはない私の両親に対して、そしてジェダイに対してとても申し訳ない気持ちになったのだ。

なにより、どんなことであれ、私自身はよく知りもしないことを第三者がジャッジメントを下すことは好きではない。そして例えば友達どうしの諍いに関しても、当事者以外の第三者を巻き込むことが嫌いだし、そうやって当事者でもないのに自分がある種のグループみたいなのに取り込まれていくのも興味がない。まぁだから周囲からは「調子いい奴」とか「八方美人」とか、「ポリシーがない」とか誤解されることも多いのだけれど。それから、人をただある一面で評価すること、決め付けることもしたくはない。だいたい人間なんて、それぞれに長所短所があってしかりだし、完璧な人間なんてあり得ないのだし。それになにより、これは大人になって理解したことなのだけれど、人と人との相性ってのも存在する。ま、こういう論理はある意味、不完全な自分に対してのひとつの"excuse"でもあるのだけれど。

しかし、そんな私がもう間もなく人の親になり、ひとりの人間を教育していく立場になってしまう。私が両親から言わずもがなに教わったように(それが必ずしも我々の間で完成されているわけではないけれど)、ジェダイにもやはり"懐の深い人間"になってほしいと思う。広い視野を持ち、他人を理解しようとする志、そして自分で培った見識をもとに自分なりの判断をして、なによりそれを上手に提案できる人間。……はぁ、どの親もそんなふうに我が子に望みをかけるものなんだな。でも本当は、今いちばんに思うのは、五体満足で産まれてきてくれること。先日母も言ってたけど、「多少おバカさんでも健康であればそれで十分」。そうやってきっと我が両親も、31年前に私の誕生を心待ちにしててくれたんだね。

イスラエル、レバノンは今日、停戦の予定。そして日本は明日が終戦記念日。いろいろ思うことがあるけれど、それはまた改めて。

jeudi, août 10, 2006

La guerre entre nous?

『私たちの間の戦争って?』

昨日は友達が家に訪問してくれ、台風が過ぎ去った後、近所を長時間買い物に出掛けられるほどにまで復活。ホント、2,3日前は起き上がるのもやっとという状態で、この先出産まで乗り切られるか不安にもなったほどだったのが嘘みたいに、よくしゃべり、よく笑い、そしてよく食べた。

もちろん個人差はあると思うけど、本当にここのところ体調が読めない。それでも実は、先週末なんて友達とコンサートに出掛け、遅くまでお茶して帰ってきたぐらいだったのに。コンサートへ行くのも、友達のありがたい理解を得て、ギリギリまで判断を迷っていた。それこそ、その週のはじめはやっぱり起き上がれないほど辛い日が一日あって「このぶんだとやっぱりコンサートは無理かな」と思っていたのだけれど、その翌日にはすっかり元気になり、母親学級にも出席して20分以上歩いて帰ってきたうえにその足で近所のスーパーをウロついたり。

実を言うと、先日、妊婦用のサポーターを購入したのもコンサートに間に合わせるためというのも理由のひとつだった。でも、直前の検診の結果次第で最終的には判断しようと思っていたところ、いちばん心配された早産の傾向もほとんど解消され、なにより、ほぼ絶望的だと思っていた胎盤の位置が上がっていたということで、自ら週末のお出かけにGoサインを出したのだった。

それでもここのところ、家で安静に過ごしていることが多いこともあり、なにより2時間から2時間半というコンサート時間、しかも会場の熱狂した雰囲気、移動時間等々を考えると、やはり体力的に持ちこたえられるかがもっとも心配だった。いつもは大興奮の特殊効果による爆音や大音響、周囲の騒がしさにジェダイがびっくりしてしまわないかとか。あとはコンサート中辛くなれば、座席に座っていればいいと思うものの、メンバーが至近距離に来たときに、興奮した周囲の観客が押し寄せたりしないかとか。

そんなふうにいろいろ不安があるなかの参戦だったけど、コンサートが始まって10分後には「やっぱ来てよかった~!」って、この日に備え、一週間仕事もせずにできるだけ安静に過ごした(以後、なんとなくそのまま完全産休に入った感じに)甲斐があったと、昨夏は帰国していたにもかかわらず、残念ながらコンサートが秋になってしまって見られなかったコンサートを2年ぶりに最後まで満喫。もし妊娠してなければ、多分毎日代々木に通っていたであろう、それに名古屋、大阪までも遠征していただろうコンサートを私としては相当我慢して、この日たった一回限りにかけたけれど「やっぱ来てよかった~」と何度も実感したのだった。

そんなわけで楽しく過ごした週末。やはり相当疲れて、翌日はひたすら寝ていた。それでもその疲れは、ふだんの自分の身体の側が感じている感じで、母体として疲れている感じではなかった。で、お腹のなかできっと「なんだなんだ?」とちょっとびっくりさせてしまったジェダイのために、2日間はしっかり身体を休めてあげようとはじめから思っていたので、ひたすらゴロゴロ。

そのせいか、その二日間でまたジェダイ殿はがっつりと成長なさったようで、一段とまたお腹が大きくなり、さらに臓器が圧迫されて血液が全身に回りにくいうっ血状態となり、私のほうの身体が急には適応できなかったのかもしれない。加えて、台風が来る前でとても蒸し暑く、じっとしていても汗が出る状態。間が狭くなった胸とお腹の間に汗をたくさんかくので、それも不快で仕方がない。どんな姿勢で寝ていても息苦しいし、めまいはするしでどうしようもなく、何度も「あぁ気を失ってしまえば楽になるのに」と思ったり、いつもは愛しいジェダイの胎動でさえも疎ましく思えてくる状態にまで気力が落ち込んだ。

そして、緊張状態が続く中東情勢。こないだ一方的に近況報告のメールを送ったところなのだけれど、以来ここ数日、ネット上で彼の姿を見なくなり、やっぱり胸騒ぎがする毎日。以前、7月末でエルサレムを離れ、8月からはテルアビヴへ移ると言っていた彼。きっとすぐにはネットがつながらない状態なのか、ひょっとしたらバカンスで一度フランスに帰っているという可能性もある。でも、ヒズボラ側はイスラエルがベイルートを攻撃したら、テルアビヴにも報復を仕掛けると宣言するなど、一向に沈静化する気配を見せるどころか、いっそう本格化する現地の戦争状態の報道を見るにつけ、本当に心配でなんか急に激情してワッと泣いてしまったりすることもある。

私にとっては、いくら彼がイスラエルに居るからといって、イスラエルもレバノンも関係ない。イスラエル側で死者何人とか、毎日いろいろ報道されるけれど、そういうのって数の問題なのか?って、こういうニュースがあるといつも思う。たとえ一人しか犠牲者がなくたって、尊い命が失われたことには変わりがない。あと、民間人とか兵士とかそういうのも。そういう区別で、ひとりぶんの命の重さって変わるものなのか? もちろん、兵士は死を覚悟で戦闘に赴き、そして加害者にもなりうるという点では民間人と区別されるのだろうけれど、彼らにだって彼らの死を嘆き悲しむ家族や友人たちが居るのは同じことなのに。

だからもう、こんな悲しいことは一刻も早く止めてほしいし、終わってほしい。
互いの理屈は抜きにして。

mardi, août 08, 2006

C'était en 2006, c'est pas la fin.

『あれは2006年のこと。決して終わりではなく』

ここ3日ほど、体調が思わしくなくかなりグロッキー。精神状態が悪くて、体調までグロッキーになったことはあっても、その逆のパターンというのはそういえばほとんどない。具合が悪いと精神状態まで本当にグロッキーになってしまうものだ。それでも今日は昨日としたら、だいぶん体調はよくなった。とりあえず、心身ともにもう少し復調してきたところで、このブログも再開していくつもり。とりあえず今日は起き上がれるようになったということで、ここまで。

vendredi, août 04, 2006

Vivre dans la perpétuité et la décadence.

『永続と退廃の中に生きる』

昨日は2週間ぶりの検診。母からは「無理しちゃいけないから、もう病院までタクシー使うんだよ」と言われていたけれど、朝ウダウダしていたら呼ぶ時間がなくなって、近所の大通りで拾おうかと思っていて歩いていたら、結局病院まで辿り着いてしまった。午前中とはいえ、既に梅雨が明け、外は暑くなった。20分ほどの道のりを途中気分が悪くなったらいつでもタクシーを拾おうと、念のため、タクシーチケットを握りしめていたけれど、前回と比べたら到着したときも割と平気だった。

そんなわけで2週間ぶりの検診。ここ数日、異様にお腹が空いてどうしようもなく、しかも明らかに自分の意思に反して食欲が容赦なく襲い、食べなければめまいがしたりするから、もう欲望に任せて食べまくっていたので、絶対に体重がかなり増加していると思っていた。ところがなんと、体重計の表示は前回より減っている。あんなに食べて、この一週間は外出も控え、家で安静にして大して動いてもいないというのに。

本当にここのところの食欲は異常だ。もう体内はほとんど子宮に占有され、他の臓器は相当に圧迫されて苦しさを伴った状態なのに、一向に食欲は衰えることがない。極端なときには、苦しいくせに食べたくて、もう場合によっては寝ながら丼飯を掻き入れたりもしている。それなのに30分後にはまたお腹が鳴ったりして、本当にとどまることを知らない。

血圧も前回としたらほんのちょっと上がっていて、細菌検査の結果もすべて問題なし。そして、前回、「低地胎盤」と診断され、出産時に出血を伴う可能性が高いため、自然分娩が難しいかもと言われていたのも、胎盤の位置が上がり、自然分娩も大丈夫そうとの診断。たとえ帝王切開でも母子ともにそれがもっとも安全な方法と現代医学が判断するのであれば別に構わないと思っていたけれど、やっぱりいちばん健康な状態でジェダイを産むことができるのであればそれがベスト。「さすがジェダイ!」と心ひそかに喜ぶ。ママとしては、最後までこれまでのように、ジェダイのミラクルにすがる思いだ。

それから最後はいつものように、エコー映像で胎児の様子を確認。ジェダイの成長ぶりは、素人目にも一目瞭然。ジェダイの姿がだんだんと画面いっぱいになってきて、顔立ちもはっきりわかるようになってきた。先生によると、週数の平均値としたらジェダイはほんの少し大きめだそう。でも大きすぎず、小さすぎず、今のところちょうど大きいサイズだそうで、こればっかりは本当にお母さんのお腹の見た目の大きさとは無関係だと実感。羊水の量もちょうどいいとのことだ。そういえば、先日の母親学級のときも助産婦さんの話だと、彼女の経験値からして+8キロ以内に収めるのがベストだとか。それ以上になってしまうと、逆にお産が辛くなるとかで、人によっては最終的に+500グラムとかいう人も安産で出産したらしく、私のような例は決して特殊ではないよう。むしろ、胎児に効率よく栄養が行き渡っているということらしく、むしろ「モリモリ食べてください!」と言われる。

それにしても、ついひと月ほど前までは静かに身を潜めていたジェダイだったくせに、ものすごいラストスパートだ。先生の話では、最後の一ヶ月でさらに驚くほど成長するらしいのでちょっと先が思いやられる。私としては既にもう限界なのに。羊水も含めると、推定でお腹に4,5キロの物体をぶらさげているようなもの。さすがに地球の重力には勝てず、先日、ついに『妊婦ささえ帯』を注文。もう出産までそんなに長くはないし、買わなくていいかなと思っていたけれど、やはりほんの少しでも楽になるならと。そして今朝はその品物が届き、さっそく装着。まるでチャンピオンベルトのようなそれは、やはりそれなりに楽になり、買って政界だった。それになんとなくお腹の安定感も増して、外出時にも安心感を与えてくれるのもいい。マジックテープで調整可能なので、産後は腹巻としても使えそうだし。

そんなわけでトータルな診断としては経過良好。相変わらず血圧が低いのとお腹が張るとよくないので、あと2週間はむしろ安静に過ごしたほうがよいとのアドバイスを受ける。あと2週間というのは、臨月に入るまでの期間ということ。それ以降はもういつ産まれてきても大丈夫だということなのだ。

っていうか、あと2週間でもう臨月だなんてなんだか実感が湧かない。こないだまで妊娠している自覚さえなかったというのに、この加速的時間の経過に、めまいすら覚えてしまう。本当に60進法で時が刻まれているのだろうかと物理の法則でさえも疑ってしまう毎日だ。

でも、きっと私たちはそうやって、太古の昔から長い長い歴史を築いてきたんだ。

でも、それがこれまでと同じようにこの先いつまでも続いていくということを意味するわけではないのだ。

jeudi, août 03, 2006

Qui sait ce qui en arrivera?

『この先を知るものは誰もいない』

いつの間にか8月。レバノンへの攻撃で戦闘状態が続くイスラエルに居るジェダイのパパは、確か8月からはエルサレムからテルアヴィヴへ移ると言っていたけれど、このごろはどうしているのだろうか。MSNではオンラインになってしょっちゅう見かけるから、とりあえず元気ではいるのだろうけれど。最近は私のほうが一方的に連絡を絶ってしまっている状態。さすがにこのごろは長時間パソコンの前で座っているのも辛くなってきたのと、なにより何を話していいのか、何から話していいのかがわからない。話さずに居ることと、話すこと、どっちがストレスに感じるのかわからない。それでも彼のほうもストレスだろうから、そろそろメールだけでも書いたほうがいいのだろうけれど。前回のメールではちょっと体調がよくないことを知らせたので、とりあえず元気で居るということぐらいは。

母が帰った翌日は、うってかわって体調が悪く、朝からずっと寝てばかり居た。それでも食事は摂らなければと、なんとか台所に立つのだけれど、母を帰してしまったことを少し後悔した。でも母がそばに居れば居たで、甘えすぎてしまってよくないし、難しいところだ。

ところが、一晩明けた昨日の朝は早朝からすっきりお目覚め。午前中からお風呂にゆっくり浸かって、気分もリフレッシュ。前日はとてもじゃないけれど、シャワーを浴びる体力さえもなく、それでも汗をかいた身体がなにより気持ち悪くて仕方がなかった。それから一日寝ていたせいで、たまった台所の後片付けや洗濯、掃除などを一気に済ませた。家賃の振込みが一日遅れてしまったけれど、午前中に銀行へも行けた。やっぱり母が来ていて、助けられはしたものの、ちょっと疲れていたのかも。おしゃべり母娘だけに。私も動悸してるのに、無理してしゃべんなきゃいいのに。そう言えば、忘れていたけれど、張り止めの薬はそのあたり多少の副作用があるって説明も受けてたっけ。

そして午後からは、母親学級に初参加する。母子手帳をもらったときに案内が入ったのだけれど、そのときは「プレママ交流会とか、なんか面倒くさそうだなー。興味ねぇ~」って思ってたけど、先日の検診で「そろそろ母親学級にも行かれたほうがいいですよ」と言われ、なんとなくその気に。大学四年のときの就職活動のときもそうだったけど(結局、こちらは途中で嫌になってしまって人と同じことをしていることがバカらしくて止めてしまったが)、母親学級も妊婦でなければ参加できない、考えようによっては"特権"だ。しかも初産でなければ参加しないだろうし、この機会を逃したらこの先もうチャンスがなくなってしまうだろうし、これは"取材"だと思ってむしろ潜入すべきだろうと思った。

そんなわけで、参加意欲は高まったものの、産院で「そろそろ……」と言われた割には、スケジュールが限られている。私の住む地区の自治体の場合、全3回制で月単位で行われ、8月を逃すと次はもう予定日にかかってしまう。というわけで、既に妊娠9ヶ月の私は大慌てで予約申し込みをしなければならず、しかも8月の母親学級は最寄の保健センターでは実施されておらず、別のところに申し込むことに。

母親学級の会場となっているセンターの入り口には、マタニティーないでたちのそれらしき"お仲間さん"たちがたくさん居て、ゾロゾロ中に入っていく。その様子はある意味、"カルト教団"のセミナー。受付で母子手帳を提出し、それと引き換えに資料と住所(番地以前)と名前が書かれた名札を受け取り、会議室みたいなところへ。ざっと見渡す限り、同じ妊婦とはいえ、まだお腹が目立たない人から今にも陣痛始まってもおかしくなさそうな人までさまざまだ。 会場前方のホワイトボードには、「自己紹介:名前、住所、予定日、出産場所、受講動機」と書かれていて、明らかにその先、"自己紹介"が予定されていることを物語っている。まぁ、自己紹介はいいとして、個人的には"受講動機"ってなんだよ? ……ってツッコミ。ここに来る人って、皆そんなに高い志なんだろうか?

とはいえ、担当指導員の女性は、近所に居そうな世話好きだけど、決して"おせっかい"ではないおばさんという感じの人で、なかなか好印象。自己紹介も隣の人と二人ずつペアを組んで、まずは二人で軽く談笑をして、相手を紹介するというパターンで、初対面の気恥ずかしさを紛らわせてくれるようなかなか配慮されていた。

私がペアを組んだのは、日本人と結婚している中国人の女性。既に5歳の男の子のママで、出産は2回目だそう。予定日は私のちょうど一ヶ月後だけど、私より全然お腹が出ている。受講動機は「1回目のことを忘れたから」とのたまい、その正直さに思わず笑ってしまった。

30人ちょっとの参加者の中で、予定日は2番目に早い妊婦で、いちばんでなかったのがちょっと悔しかったのだけれど、そんなところで競ってもどうしようもない。過半数が10月出産という感じで、中には来年早々出産という人も居て、かなり幅がある。でも子供はみんな同級生なんだ。

交流会の後は、助産婦さんがやってきて、長~い講義。正直、9ヶ月の身体には椅子に腰掛け、ずっと同じ姿勢で休憩もなしに、約3時間は辛すぎる。やっぱり妊娠中期に入ったばかりの人から後期の人まで一緒に講義をするというのは、体力的にも内容的にも無理があるというのが正直な感想。まぁ、母親学級もある種"お役所仕事"のひとつだから、その典型を見た感じで面白いのだけれど。

助産婦さんはどちらかというと"おせっかい"系おばさんという印象。なんでも人の言うことを聞いて、主体性のない、自信のないタイプの妊婦さんには、彼女のような強引なタイプの助産婦さんは"頼りがいがある"と、一気にそのカルトに取り込まれていくだろうけれど(人によっては助産院で出産したほうがいいかも……と思ってしまうかも)、私のような自己主張が激しく、我が道を行くどころか自ら敷設してしまうようなタイプはちょっと苦手。実際、事前に「妊婦体操をするので動きやすい服装を」と言われていたけれども、医者からは「むしろ安静に」と言われているのに、なによりそんな動けるかよ! と最初から見学のつもりで来ていた私に対し、彼女は相手の事情など察する様子もなく「スカート?」と無骨に訊ね、「動ける状態ではないので体操は見学させてもらいます」と火花散らしている二人。っていうか、だいたいズボンなんて持ってないし。スカートでさえ、お腹を圧迫してうっ血するので辛くて穿けないのに。

とはいえ、助産婦さんの話もやっぱりためになる話もあって、まぁ分娩が進む様子とかはどっちにしても避けては通れないことなんだから、いまさら脅してどーすんだ? って気もしたし、だいたい助産院での話が中心で「ここに居る人、全員病院で出産するって言ってんのにな」って感じで、長い時間を割いて行う講義ではないような気もしたけれど、「月の満ち欠けと出産の関係」の話はなかなか興味深かった。昔から大潮の日には出産が多いというけれど、それは単なる迷信というわけでもなくて、助産婦としての彼女の経験から語られる根拠は、科学的でもあり「なるほどな」と思ったり。だから母親学級とはいえ、どれも話半分に聞いて、それをそのまま実践すべきかどうかは最終的には自分で考えるぐらいの気構えで参加すべき。ただどちらにしても判断材料は必要になるので、できるだけいろんな話を聞いたり、参考になるものは読んだりしておいたほうがいいと思う。でも最終的には例えば「お母さんはそういうの一切行ったりしなかったよ」という、我が母の事例もあるのだから、それでもなんとかなるし、過度に心配になる必要はない。というか、我が家はあくまで"オレ流"を貫く血筋のようだ。

帰宅後、さっそく来月の暦を調べてみると、自分の予定日の前後だと、大潮にあたるのは8日の満月と22日の新月。果たして結果はどうなるのだろう。とはいえ、前回の検診で低地胎盤と診断され、早産の傾向があると言われているので、あっさり帝王切開で生命の神秘もなにもなくなるかもしれないけれど。まぁ、それはそれで"科学と非科学の融合”という感じで、"ネットとリアルの融合"みたいで新しい感じがして悪くはないか。ただどっちにしたって、母子ともに健康であれば、そしてジェダイが五体満足で産まれてくれれば、後のことはプライオリティー的にはずーっと下のほうにある。

何はともあれ、今週で33週。予定日までは一ヶ月以上あるけれど、とりあえずあと3週頑張れば、まずは早産は免れる。臨月に入れば、いつ産まれてきてももう赤ちゃんが外界で生活するのに十分な機能が整っているというし、この9ヶ月目というのがある意味、いちばん大切な時期であり、母体的にもいちばんしんどい時期であろう。出産のときの痛みは想像を絶するものだろうけれど、それでも長い人で3日間というから、何日も続くわけではない。それより先、産まれてきてからのほうが先は長いのだ。母親学級で経産婦さんが二人居たのだけれど、「産むのと育てるのどっちが大変?」という問いに対して、二人とも「育てるほう」と声を揃えて迷わず言い放った。

それでも私としては、大変なことは覚悟の上で、子育て自体はちょっと楽しみでもあったりする。自分がどこまで頑張れるか、やれるのか。絶対に途中で投げ出すことができない、大事業に自分なりにどう取り組み、新境地を開拓していけるのか。既に子育てをしている人は、辛く大変だけれども、それと引き換えに得られるものもあると皆必ず言う。

だけど、もう少しでジェダイが出てきてしまうのは、ほんの少し寂しい気持ちもある。私の場合、意識的に母子一体で過ごす時期というのはたったの3ヶ月足らずということになってしまった。ふつうではない身体の状態が辛くても、自分の体内に別の生命体を感じることができるというのは、とてもユニークな体験でもある。外に出てきてしまったらもうお腹の中でしゃっくりをしていたり、蹴伸びをしていたり、そういうのを感じることもなく、ジェダイとは完全に別個の個体になってしまうことを思うと、なんだかやっぱり寂しい。

だってこの世に生を受けて以来、今まででこんなにも誰かがそばに居てくれたことはなかったから。