samedi, septembre 30, 2006

ジェダイ誕生後物語 ~5泊6日のキャッスルバカンス~

今回の出産で、私がお世話になった産院は、自然分娩、無痛分娩の場合、入院は6日間、帝王切開の場合、8日間。

私の場合、8月30日の早朝に破水して、それからすぐに入院したので、入院期間をフルで満喫できた。

入院中の基本的な生活は、毎朝だいたい6時半ごろに助産婦さんが検温と血圧を測りに来て、7時すぎに医院長先生&息子の若先生ペアが回診にやって来る。そのあと清掃の職員がやって来たり、助産婦さんがポットのお湯を換えてくれたり。そして8時ごろに朝食の配膳。ちなみに昼食は12時、夕食は17時に饗される。夕食の配膳から翌朝の朝食までが結構時間があるのでたいてい夜中にお腹が空く。そこで毎日のようにお見舞い客からいただくケーキやお菓子類を腹ごなしに夜中に食べていた。

入院中の食事は毎度どれもおいしくて、ご飯粒ひとつ残さず毎回全部平らげた。基本的に朝はパンと卵、ハムかソーセージの魚肉系、サラダ、果物かヨーグルトのデザートといった、コンチネンタルスタイル。昼は和洋中でいろいろ。夜は前菜とメイン2種が必ずあるボリューム多目の割と豪華なちょっとしたフルコースだった。

それから、こちらの産院は母子別室なのだが、毎日10時から15時と、20時から22時は赤ちゃんを病室に連れてきてくれ、授乳したりおむつ交換をしたり、自室で好きなように赤ちゃんと過ごすことができる。もちろん、お母さんの体調が悪かったり、赤ちゃんに問題があったりすると、いつでも新生児室で預かってくれる。

ちなみに15時から20時までの面会時間は新生児室に入り、面会者もママもガラス越しに観察する。同じ時期に生まれた、他の赤ちゃんと見比べることもできるので、自分の子供に対して親バカ要素満載の客観的な眼差しを向けることができる。

そのほか、だいたい午前中に毎日のように育児指導が行われる。授乳の仕方、沐浴、調乳法、退院後の生活などなど。

助産婦さんの指導は、個人的には多少過保護かなと思える部分や、二人目以降の出産の人には面倒くさいかなって気もしたけれど、やはり私も含めて初産の人や、心配性のお母さんを基準にしたら、これくらいになってしまうのだろうと納得できる。

実際、沐浴の実習を他の入院中のお母さんと一緒にやったのだけれど、おもむろに赤ちゃんの頭をがーっと掴んで堂々とかかる私に対し、そのお母さんは緊張しまくりだった。

あとおもしろかったのが、退院指導と言って、要するに退院後の育児についていろいろ注意を受けるのだけれど、そのときに一緒だったお母さん(出産は2人目)で、おっぱいの出がよすぎるという人が居て、うっかりノーブラ、授乳パッドなしで来てしまったところ、途中ダラダラと母乳が垂れて着ているものがびしょ濡れになってしまっていたこと。そうこうしているうちにも母乳は次々に生産され、胸のあたりがどんどん湿っぽくなってくる。

かたやもうひとりのお母さんは、帝王切開だったせいか、おっぱいはパンパンに張って痛いのに、分泌が悪いという。そのころの私は、母乳はふつうに分泌されるけれどもまだまだ「おっぱいが張る」という経験がなく、「へ~いろいろなんだ。ってか、出る人ってそんなに出るんだー」と、個人差を思い知ったものだ。まさにその光景や会話の内容は、"乳牛たちのララバイ"という感じで、人間的ではなかった。

それにしても入院中の生活は、本当に至れり尽くせりでパラダイスだった。それから助産婦さんたちの働きっぷりに驚かされた。というか、編集者が「今日で徹夜○日目……」なんて病的に、徹夜武勇伝を語っているのとは次元が違う世界だと思った。

それなのに、いつも生き生きとして頑張っている助産婦さん。出産してすぐはまだ母親としての自覚が足りなくて、なにごとも気軽に過ごしていた私。育児についても「ま、追々でいいや」って気楽に構えていて、助産婦さんたちが一生懸命におっぱいマッサージとかしてくれるのに、自分は産むだけ産んだらそれでいいや……みたいな顔をしてしばらく過ごしてたんだけど、自分の子供のためにこんなにも一生懸命になってくれる彼女たちの姿を見ていたら「私も頑張らなくちゃ」って自然に思えるようになり、4日目ぐらいからはそれまでさぼっていたおっぱいマッサージも一生懸命にやるようになった。

妊娠中は病院に通っていても、受付の人と医師に接するだけで、待合ロビーと診察室しか知らなかった産院の世界。実は産院の主役は、その上階にある世界だった。

何度か、助産婦さんに「助産婦さんのお仕事って、本当に大変なお仕事ですね~」とありきたりだけれど、そのときの素直な感想をぶつけてみたことがある。

でも決まってどの助産婦さんも「でも赤ちゃんがかわいいから」と返してきた。

私は今まで自分自身が本当に子供で、しかもマスコミのお仕事という、どちらかと言うと華々しさが際立つ、そういう人間的な世界とは遠いところで生活していた。だけど今回、自分が妊娠・出産という経験をして、それまで縁遠いと思っていた新しい世界や人を知ることになった。そして初めて心から、彼女たち助産婦さんの言っていることがわかったように思う。自分の子供だけでなく、どの子供も本当にかわいい。

そして私は今まで本当に極度の病院嫌いで、それがゆえに今回も調子が悪くてもなかなかギリギリまで駆け込むことができなかったのだけれど、なぜそれほどまでに病院が苦手だったかというと、やはり病気とか死とかを想像させる陰気な感じだった。

それが今回、産院という、同じ医療の現場でも生命の誕生をつかさどる別の顔があることを知った。そしてそれがゆえに助産婦さんたちは明るく生き生きと仕事をしていられるのだろうといったんは解釈した。

でもこないだ、一週間検診で久々に外来で産院を訪れたとき、待合ロビーには明らかに堕胎に来ていると思われる、心痛な面持ちをした若い女性の姿を目にした。

助産婦さんのメインのお仕事は、分娩の立会いだ。我らが母子のように、母子ともに健康で無事に幸せな対面を果たせない出産だってなかにはあるだろう。

だから産婦人科医や助産婦さんたちが、毎回かわいい赤ちゃんの姿に励まされて頑張れるというわけでもなく、時に悲しむ人たちの辛い場面にも立ち会わなければならない厳しい現場なのだ。

そんなふうに産院での入院生活中は、ふだん目にすることのないいろんな現場を目にし、そして自ら体験した、本当に内容の濃い数日間だった。

今回の出産で手にしたものは、わずか3キロちょっとのものだけではないのだ。

ジェダイ誕生後物語 ~ジェダイの帰還~

母子手帳に記載された公式記録は、分娩時間6時間2分。わずかに6時間を切ることができなかったのが悔やまれる。

どうやら分娩時間というのは、分娩一期からカウントされるようだ。つまり陣痛が定期的になったあたりから(子宮口全開まで)。というわけで、逆算すると私の場合、やはりトイレに篭り出したところを助産婦さんに発見され、ベッドに強制送還された21:30を分娩開始時と記録されているもよう。

それにしてもいろいろな資料を見てみると、初産で12~15時間、経産で6~8時間というのが一般的らしく、さらに分娩二期(子宮口全開から胎児娩出まで)まで初産で45~60分だそうで、自分の場合がいかにめちゃくちゃであるかを思い知った。というか、28週で妊娠に気づき、37週で出産というのも既にめちゃくちゃ。そして早産ギリギリだったくせに、出てきた子供は3000gを超えているというオチ付き。

まぁなにはともあれ、赤ちゃんは無事に健康で生まれ、母は安産。これ以上願ったりかなったりはない出産だった。

分娩を終え、2時間。病室に戻るや否や、このmixiへ出産報告の書き込み。ケータイからなので書き込みに手間がかかり、記録上の時間は少し遅くなってしまった。


妊娠、出産もワンダーランドだったけど、出産後の生活もまったくの未知の世界。

まずは6時過ぎに助産婦さんがやって来て、体温と体重、血圧を測定する。体重は最終的に9キロ増だったけど、それから5キロ戻っていた。まさに胎児分と羊水分という感じ。あとの4キロは? と言いたいところだけれど、これは多分授乳に必要なエネルギーの素。実際、前方にぶら下げた、ジェダイ専用二つのお弁当箱も大盛りになっているし。

それから、母乳の分泌をチェック。初乳はまだ黄色っぽく、免疫力が高いらしい。

それから7時過ぎに医師の回診。主治医の女医さんでなくて、その旦那さん(通称:若先生。40歳くらい)とそのお父さんの医院長先生がなぜかペアで(それは退院までずっとだった)。基本的には毎回、子宮の収縮具合のチェックと(手で触って、「第一腫です」とかそれだけ。毎日数字が上がっていき、いったいゴールは第何種なんだろうか? と一度助産婦さんに質問してみたことがあったけれど、質問の意味が解されず「大丈夫よ。とても順調にもとに戻っているから」と返される)、悪露の状態のチェック。悪露というのは、産後しばらく続く出血のこと。まぁ生理みたいなもの。

それから赤ちゃんの状態の報告を受け、痛み等はないかと問診があり、毎度毎度「特にないです」と元気に答える私に、ある日医院長先生は「いいですね。どこも痛いところがなさそうで」と皮肉いっぱいに言い放った。

さらに出産当日の回診では、「分娩もとても早かったみたいですね。よかったですね」と爽やかに慰労の言葉をかける若先生に対し、「次回以降はもうぜひ計画出産でお願いします」「分娩台、乗り足りなかったでしょう? 今から行ってもういっぺん乗ってきたら?」と医院長先生。私も負けじと、回診後「お疲れさまでした~」と労いの声をかけ、回診一団の失笑を買うことに成功。

それからは、お掃除のおばさんやら朝食の配膳やらで、いろんな人に「おめでとう。よかったわね」とたくさん声をかけられる。今思えば、その後お見舞いに来てくれる人も含め、入院中のそんな毎日がいちばん至福の時だったように思う。

ただし、出産が軽く、その後の回復も早かったとはいえ、さすがに出産当日は時間帯によっては"後陣痛"と呼ばれる痛みが時々襲い、また一時的に眩暈と動悸がしたりして、心配なので一度ナースコールを鳴らした。

それでも助産婦さんは「それは回復が早く進んでいる証拠よ」と言いながら、とりあえず痛み止めの薬を出してくれた。通常、身体が妊娠前のもとの状態に戻るには、6~8週間程度はかかるという。産院で母乳を勧めるのも、赤ちゃんが母乳を吸うことにより、子宮が刺激されて収縮が早まるという理由もあるらしい。人間の身体って本当に不思議で、よく出来ていると思う。(ちなみに母乳は胎盤が排出されることがサインとなり、分泌が開始されるとのこと)

あとはやっぱり身体の痛み。分娩時に骨盤が開いたりしたせいか、腰から骨盤にかけて時々鋭い痛みが一瞬走る。骨が痛いという感じ。それからやっぱり、会陰部。出産当日、最初に用を足すまでは、尿意はあってもなんだか痛そうで、抵抗があってなかなか出せなかった。さらに排便のほうは、便意はあってもやはり3日目までは出す気になれなかった。お尻のあたりはなんか違和感を常に感じるし、多分痔の患者さんみたいになっていて、我慢すれば別に大丈夫だけれど、しばらくは真ん中が開いたクッションに座っていた(しかしそれが授乳のときになると、そんなこともすっかり忘れてしまうほど、ふつうに座っていたりするのだが)。

そしてもうひとつの痛みは、おっぱいマッサージ。特に最初の"開栓マッサージ"は、慣れないせいもあり、かなり痛かった。だって乳首を全力でつねったりして、マッサージとはほど遠い、まるで拷問。

そんなわけで、「出産より、産んだ後のほうがよっぽど痛いよ……」と、出産後2,3日はブツクサ言っていた。

ジェダイ誕生物語 ~キレてないですよ~

あっという間の分娩。ジェダイがツルンと出てきた瞬間に思ったのは、安堵の次に「楽勝! これなら代理母もできるかも」。

取り上げられたジェダイは、すぐさま助産婦さんに拉致されて、体重を測られたり、いろいろ取り調べを受けているもよう。

「3132グラム、51センチです」

……思わず耳を疑った。だって、予定日より17日も早く生まれてきたのに(しかも後日カルテを覗き見した際に「切迫早産」の判子が押されていた)、既に標準体重を超えていたなんて。37週でこんなに育っていたのなら、40週までかかっていたら、いったいどれだけ大きく生まれてきたのだろう。

分娩後は、医師は母体の手当てをする。空気の抜けた風船のようにしぼんだ子宮を押して、まだ残っている羊水を外に排出しているのがわかる。

それから、分娩時に切開することが多い会陰部も「切れてはいなくてかすり傷程度ですが、一応縫っておきますから」と主治医。局部麻酔を打ち、縫合している様子も、陣痛後には蚊に刺されるようなもの。

"夜の助産婦"さんは少し離れたところで、ジェダイの身体を拭いたり、ジェダイとともに排泄されたいろいろなものを測ったりして忙しくしている。

カルテに記入された胎盤の重さを見て、「大き~い」と驚愕する医師。毎日毎日多くの赤ちゃんを取り上げてきた先生でさえも、ジェダイはやはり身体的に他の新生児といろいろ異なるようだ。

あぁそうやって、大きな胎盤に必死でしがみついて、母親が妊娠中にそうとは知らず、あれだけむちゃをやっていても、ジェダイはここまで生き抜いてきたんだ。

30分ほどで母体の処置を終え、医師のほうは分娩室を後にする。あとは"夜の助産婦"とジェダイと、3人でそのまま1時間半ほど過ごす。

"夜の助産婦"さんは、私の入院後の回診の記録を改めて見ながら「でもやっぱり1時くらいの時点では、指一本分しか子宮口が開いてなかったのよねぇ。だからそのときには先生に朝になったら子宮口を開かせる薬を飲ませましょうってことで報告してたのよ。それがたった2時間で……」と、やっぱりまだ信じられない様子。

そうしてジェダイの世話をひととおり終えると、"夜の助産婦"さんはジェダイを私のもとに連れてきて、左腕に抱かせてくれた。ジェダイは連れてこられるとき、「イヤ~」と駿河、遠州地方の訛りのあるイントネーションで叫び、大人たちの笑いを誘った。

初めて胸に抱いた我が子。母性云々とかよりも、不思議な感覚。そして"夜の助産婦"さんは「おっぱい飲ませてみます?」と、ジェダイの口を強引に私の乳首へと押し付ける。それまで羊水をゴクゴクと飲んでいたジェダイが、生まれて初めて母親の初乳を口に含んだ瞬間は、なんだか脳が刺激され、子宮がキューっとなる感じ。

分娩から2時間ほど経って、車椅子に乗り、先ほどまでの戦場となった病室へ移動。

分娩室を出た第一声は「シャバの空気はウマイのぅ……」。

車椅子を押してくれる"夜の助産婦"さんは、このとき既に"明け方のお母さん"のような存在になっていた。

ジェダイ誕生物語 ~クライマックスは突然に~

都内僻地の夜の帳を破るように叫び続けられる"イクラちゃん発声呼吸法"。そしてクライマックスは突然に訪れた。

午前3時前後になって、陣痛はピークに達し、というか、「息まないで」と言われても息まずにはいられない状態に。もう裂けようがなにしようが関係ないと思い始め(というか、息まねば死んでしまう)、 それでも「ん ぎゃ~っ」とか精一杯にこらえながら、断末魔の叫びを続ける。陣痛の間隔は、既にもう間隔とは言わなくて、絶えずの状態。それでも頭の中では「まだまだかかる」と思っているので、ギリギリの限界までナースコールを押すのは止めようとひとり葛藤。でも、なんだか腰の下からお尻のあたりにかけて、違和感を感じ、「とりあえず様子だけ見てもらおう」と遂に二度目のナースコールを手にする。

というか、明らかにお尻のあたりに人間の頭のような物体の存在を感じる。そしてそれは、たまらず息む度に確実に一段二段と下に下がってくる感じ。どう考えても便ではない。

「す、すみません……、ちょっと来てもらっていいですか?」
「はい、いいですよ」

助産婦が部屋に入ってきた気配。

「あぁ、コレ、大便が出てるねぇ(東北訛りで)……えっ、あっ、ちょっと待って! コレ赤ちゃんもう出ちゃう、大変!!」

大慌てでナースステーションへもうひとり助産婦を呼びに行く、"夜の助産婦"。

「2時間くらい前に見たときは、ホントに子宮口まだ全然開いてなかったのに、もう全開!!」

しきりに弁明し、パニックに陥り、動転して便の処理にかかろうとする、"夜の助産婦"に対し、「そんなのあとでいいわよ! とにかく先生に連絡して、分娩室に連れてかなくちゃ!!」と別の助産婦が叱責。

そして依然動揺が続いているのか、車椅子を持ってくる"夜の助産婦"に対し、「ム、ムリです……」と、赤ちゃんが出掛かった状態の"半妊婦"は直訴する。

大慌てで担架が運び込まれ、台車に乗って分娩室へ。

エレベーターに乗り込んだとき、「あぁもうすぐ終わりなんだ……」と、階数を表示する電光掲示板を見ながら、ほっと安堵する。そのときはもう、安心感で痛みとかほとんど感じていなかった。それに、そばに付いててくれる助産婦のただ言うとおりにしていればいい、人任せにできる安心感もあった。

分娩室に運ばれると、すぐさま分娩台へ担架から転がるように移動。足台に両足を乗せ、診察のときと同じ開脚姿勢になり、あとは胎児の心音を確認するモニターが手際よく取り付けられる間に主治医がやってくる。

「ハイ、息止めててね~……、ハッハッハッって息を吐いてくださ~い」

「おぎゃ~」。

「男の子ですよ~!」

息を三回吐いただけで、ツルンと拍子抜けするくらい簡単に出てきてしまったジェダイを高く上げて見せてくれる先生。その瞬間をしかと目に収めようと、新生児大の排便を終えた元妊婦は分娩台で腰を軽く浮かせて、我が子を覗き込む。


2006年8月31日午前3時32分、ジェダイ誕生。

ジェダイ誕生物語 ~産院の中心で痛いと叫ぶ~

日付が変わった午前1:00過ぎ、一度目のナースコールを鳴らす。生まれて初めてのナースコール。実はちょっと憧れだった。

そのころ、陣痛の程度は痛いけれども、まだ死にそうなレベルではない。でも間隔が相当に短くもなってきているし、「結構、痛くなってきているし、どうなんですか?」と助産婦さんを呼ぶ。助産婦さんはさっそく子宮口を確認したけれど、その時点ではまだまだ指一本分、後方にやっと確認できる程度で「まだまだ時間がかかるわよ~。ほら全然だもの」と言って、とりあえず胎児の心電図を取った。昼間も経験したけれど、心電図を取っている間は、身動きができず、陣痛と二重の苦しみ。

30~40分ほどして、助産婦さんが戻ったときには、既に「イ~タ~イィィ~」と大声で叫んでいた。自分としても少々大げさに叫んでいたのだが、叫ぶことで痛みを解消する効果を感じていたので、思う存分叫ぶことにした。ただ助産婦さんのほうは、私が相当苦しんでいるように感じたらしく「出産はね、痛いものだから仕方ないのよ」などと、私にしてみれば内心、「なに言ってんだ、いまさら!」と、心優しい励ましでさえ、その期に及んで疎ましく思え、「あー、これだから年いった助産婦さんは嫌だなー。昼間の若い人のほうがよかったなぁ」と思っていた。とはいえ、その時点でもまだ理性は保たれていて、「すみません、少し静かにしててもらえませんか?」と丁寧にのたまい、さらに助産婦さんは「テレビももう少し静かな番組にしたほうがいいんじゃないの?」と勧めるも、「いつも観てますから」と、最後までバラエティー番組をつけっ放しにしていた。さらに痛がる私の背中をさすってくれた助産婦さんだったが、実はしんどいながらにも自分で加減をしながらのほうがよっぽど痛みが和らぎ、「加減がよくないんでかえって痛いので結構です」と手を払いのける始末。腹の中では「うぜぇ~んだよ!」と叫んでいたのだが、いくら出産の極限状態で無礼講が許されるとはいえ、極力理性は保つように最後まで努力していた。

そして「もう好きにさせてあげよう」(助産婦さんの産後の談より)と、その場を立ち去ろうとした助産婦さんに対し、「あ、すみません。叫ぶと喉が渇くんで、そこのペットボトルに冷蔵庫の麦茶を足して、ベッド横に置いておいてもらえますか?」とお願いする。

その後はもう好き放題に叫びまくった。最初のうちは「痛~い」という本能的な叫びだったが、次第に自分なりに痛みを開放するための雄叫びを研究、開発し始める。意外に楽だったのは「ハァイぃ~」という叫び声。イントネーションは、ちょうどイクラちゃんと同じ感じで。助産婦さんに「まだまだ時間かかるから、う~んって息んじゃ絶対ダメよ。本番のときまでに裂けちゃうからね」と注意を受け、途中からは陣痛よりも息まなずに呼吸をするほうがむしろ苦しかったのだけれど、この叫びは意外と役に立った。日本語の基本でもあるこの言葉以外、例えばフランス語はどうなんだろう? とか考え始め、「ウィ~!」とか試しにやってみたが、こちらは息を吐くことをしないのであまり効果がなかった。

そんなふうに陣痛と格闘しながらも、陣痛の間隔はもう1分あるかないか程度になり、痛みのほうは自分的にはまだ極限には達していなかったけれど、これが朝まで続いてさらに痛みがこの先強まることを考えると、ちょっとしんどいな……と思い始める。そこで朝の時点で、可能であれば無痛分娩に切り替えてもらおうと決心。もう十分に痛みは味わい、ジェダイのために苦しんだし、今このレベルで耐えられているのだから、無痛にすれば多分これより苦痛が超えることはないだろうから、それならば楽勝だと考えたのだ。

ジェダイ誕生物語 ~陣痛のはじまり~

ようやくありつけた念願のお昼ごはん。朝ごはんは持参したおにぎりだったけれど(膀胱炎の抗生物質を処方されていたので、それを飲むためにも必要だった)、やっぱり全然物足りなくって、まだかまだかと待ちわびた。

初日のごはんは和食。ぶりの照り焼きとか、ほうれんそうのおひたしとかバランスの取れた家庭的なメニューで、出産前にほっと一息"母の味"。

その後は時より、助産婦さんが入れ替わり立ち代りやってきて、様子を聞いてくれる。羊水は赤ちゃんが下に降りてくると、頭で蓋をされるため、流出がとまるそうだが、まだまだとどまる気配は見せず、ちょっとずつで続ける。

昼食後は、陣痛らしきものもまだまだ気配すらなく、これから先が流そうなので『2時ピタ!』でジャニーズを見てから、少し寝ようと思ったけれど、Mちゃんが急遽病院まで駆けつけ、退屈している私の相手をしてくれることに。その時点では、母にはゆっくり来ていいよ、と伝えてあったので、いつ来るかわからないし、Mちゃんに陣痛に備えてお茶となにか甘いものを買ってきてもらう。

15時過ぎ、Mちゃんかと思ったら、母が思ったよりも早くに病院に到着。それと前後して、Mちゃんも到着して、一気に病室は賑やかに。お調子者の母は、娘の友達を前にして、自らの子育て武勇伝を語り出す(幼稚園のお弁当にマクドナルドのセットを詰めて持たせたとか)。

17:00ごろから、なんとなく弱い陣痛らしきものを感じるようになるが、まだまだお腹をこわして下痢で瀕死の状態になっているときのほうが遥かに苦しい程度。羊水にも血液が混じった、いわゆる"おしるし"を確認するようになり、トイレで密かに「これがおしるしか~!」と感動。おしるしは、赤ちゃんが下に降りてくる際に、子宮壁とかの摩擦によって出血する現象。確実に出産は近づいてきている証拠だ。

Mちゃんが帰った後は、母と二人で病室で記念写真を撮ったりする。ベッドで陣痛に苦しんでいるふうの写真や、病室でなぜかすまし顔の母の写真など。これがあと数時間で人の親になろうという人間と、その親の姿。そのころ、ジェダイは胎内で必死に自らの誕生に向け、力を振り絞っていたというのに。

19:00過ぎ、母親も自宅に引き上げ、病室でひとりになった。羊水の流出もまだまだ止まらず続いていて、助産婦さんからは「まだまだ赤ちゃんが下に降りてきていないわよ」と、長期戦を宣告される。

それでも次第に陣痛は間隔も狭まり、強さも少しずつ増してきていて、21時過ぎにはトイレにやたら篭るようになる。私が体感した陣痛は、ホント、生理痛の延長線にあるようなものでもあり、下痢でどうしようもない症状とも似ていて、トイレに座っていると、なんとなく精神的に安心するのだ。それからしばらくはトイレとベッドを行ったり来たりしていて、途中、様子を伺いに来た助産婦さんに「トイレにずっと居たら体力も消耗するからベッドに横になってなくちゃダメよ」と、強制送還される。ちなみにこの時点で、助産婦さんは昼間に自己紹介された若い助産婦さんではなく、東北訛りの年老いた助産婦さんに交代。「私、夜の助産婦です」とはじめに自己紹介され、なんだか風俗みたいで猥褻なその響きが強く印象に残った(「夜のお菓子・春華堂『うなぎパイ』並みの意味不明さだ)。

そのころから、ちょっともうこれからはmixiの書き込みは無理だなぁと感じ、最後に「これからちょっと限界です」と一言書き込もうかと思ったけれど、すぐにまたトイレに駆け込みたい気分になったりしてるうちに、深い夜へと突入してしまった。

ジェダイ誕生物語 ~入院へ~

事前に行き先は示してあったけれど、タクシーの運転手は目的地付近で道を通り過ぎたりして、ちょっと大回りされて病院まで辿り着いた。 破水した妊婦を乗せて道を間違えて焦る運転手に「あ、そんな一分一刻を争う状況じゃないので、慌てないでいいですよ。それより安全運転でお願いします」と冷静にのたまう。

8時40分ごろ、病院前到着。
診療時間は9時からなので、門が開いておらず、タクシーの中から再度病院に電話を入れる。しばらくすると受付の職員が出てきて、開錠。けれど、そのまま待っていてくれるわけでもなく、その人はそそくさと中へ引っ込む。

いつものように受付で母子手帳と診察券を提出し、トイレで尿を採取し提出した後、すぐに診察室に呼ばれる。いつものように子宮内の超音波や触診などの診察を終え、先生に「破水ってことで間違いないです。ご入院になります」と告げられる。本人的には、あれだけ尋常でない水が流れ、においも羊水そのものだし、100%破水に違いないとわかっていたけれど、なかには尿漏れを破水と勘違いして病院へ駆けつける妊婦さんも多いらしい。

診察の結果は「羊水もきれいですし、まだたっぷりとありますので、これから陣痛を待って出産ということになるかと思います」と説明を受ける。そして二日前の検診では、胎児の推定体重は2600グラムだったので「多分2500グラム前後でお生まれになると思いますが、ギリギリ未熟児というわけではないので、問題ないでしょう」と言われる。さらに子宮口の状態も2日前と同じ状況で、まだ閉じたままだそうだ。

診察を終えると、次は入院の準備へと引き渡され、そのまま上階の病棟へ案内される。本来、出産で入院する妊婦さんの病室は2回に用意されているのだけれど、まだ部屋が開いていないらしく、いったんは3階にある、それ以外の患者さんのための病室へ連れて行かれる。それからすぐに病院着に着替えさせられ、下着やら衛星用品やらの"入院セット"を受け取る。分娩までは、羊水対策におむつのような大き目のナプキンを当て、用を足した際は毎回消毒剤の染み込んだガーゼで殺菌を行う。破水した場合は、感染症に注意しなければならないので、シャワーを浴びたりするのは厳禁だ。

1時間ほどして、出産妊婦用の病室が開き、2階への部屋へ移動。3階の部屋も結構広かったけれど、こちらはさらに広い。バス・トイレ付の個室で、30平米ほど。ベッド以外は、まるでホテルのような設備だ。

その後、助産婦さんがやってきて、胎児の心音を図る機械を取り付けられ、30分から40分ほど身動きが取れない状態に。規則正しくリズミカルに刻む、胎内からの鼓動に静かに耳を傾け、昼食の配膳を待つ。

ジェダイ誕生物語~それは突然に~

その瞬間は8月30日の朝に訪れた。

5時半ごろ目が覚め、トイレへ行こうと立ち上がろうとしたとき、軽い尿漏れのような感覚があった。でも妊娠後期は膀胱が圧迫され、そういった症状があったりもするので、寝ぼけ眼でそのままトイレへ行った。そして用を足し、立ち上がったその瞬間、チョロチョロと水のようなものが流れてきた。

明らかに尿とは違うのは、身体に力を入れてもそれを自分で止めることができない。それが"破水"であるということは、事前に頭に仕入れていた。その瞬間、「まさか……」と、破水を信じたくない自分。でも一歩前へ進むごとに、液体は股の間から流れてくる。そして青臭い匂い。これは紛れもなく"破水"であると認識した。

その瞬間、頭を駆け巡ったのは「もう妊婦生活が終わってしまうのか……」という残念な気持ち。まるで学生生活が終わる前のような。いや、長かった夏休みが終わるような。

破水をすれば、少なくとも3日以内には出産になる。お腹の羊水がなくなってしまえば、胎児は生きられなくなるので、たとえ陣痛がこなくても、胎児を生まれさせなければならない。

気を落ち着けて、まずは病院に連絡をしようとするのだが、ケータイにメモリーしておいた、病院の電話番号がなかなか押せず、私なりに多少動揺していた。

電話に出たのは、主治医ではなく男性の医師。多分、いつも診てもらっている女医の先生の旦那さん。

破水後はどれぐらいの時間を急ぐのかという知識が事前になかったので、一刻を争うものではないかと心配したけれど、「8:30にご入院の用意をもって病院へ来てください」と落ち着いた声で言われ、瞬時に「あ、そんなに緊急ってわけではないのだな」と認識。「これから病院へ行くまではどうしていればいいのですか?」ということを割と冷静に訊ね、「安静にして羊水がなるべく流れないようにしてください」とのアドバイスを受ける。さらに「今後の展開については?」という質問に対しては「通常は24時間以内に陣痛が始まります」とのことだった。

というわけで、とりあえず6時をまわった時点で実家に連絡を入れ、病院での診察後に再度連絡をするので、いつでも上京できるように待機しておいてほしい旨を伝える。

入院の仕度は、前週の時点でとりあえず揃えたものだけ、まとめて非常袋のようにいつでも持ち出せるように用意はしてあった。だけど、前開きパジャマ1着(1着は友達からいただいたものが用意してあった)と、授乳用ブラジャーだけは結局間に合わなかった。

それからタクシーの手配をするが、控えてあった一件目のタクシー会社は営業時間外らしく、つながらなかった。それからネットで24時間受付の個人タクシー協業組合に電話してみるが、「無線で呼び出してみたんですけれど、お車を見つけることができませんでした」と言われる。事前に「あの、妊婦で急に病院に行かなければならなくなって」と言っていた後だったので、タクシー会社にしてみれば、妊婦だろうがなんだろうが、ただの顧客のひとり。当たり前だけど、救急車ではないんだなって、なんとなくむなしさを感じた。3件目は、うちから目と鼻の先にあるタクシー会社。もとは運送会社なので、見た感じ車の台数も少なそうだし……という理由で、リストの3番目にしていたのだけれど、ここがいちばん親切な対応だった。7:00すぎに電話したらつながって、「運転手が8時からの出社なんで、すぐにはお車出せないんですよ」と言われたけれど、うちから病院までは車で10分もあればたどり着くので「病院へは8:30に着くのでその10分前に迎えに来てもらえば構いませんので」というと、快く応対してくれ、自宅前に到着したらケータイに電話で知らせてくれるように計らってくれた。

それから1時間程度。時にmixiに書き込みをしたりしながら、短いようで長い時間を過ごす。

不意に「今から入院ってことになると、絶対朝ごはんは出ない!」と思い、台所にあった残り物のごはんでおにぎりを握り、ついでにお茶を用意してペットボトルに詰める。冷蔵庫を開けてみると、その日が賞味期限のステーキが入っていたので、焼いて食べてスタミナつけてから病院へ行こうかと思ったけれど、おにぎりなら横になりながらでもつくれるけれど、肉を焼くのは立ちながらでないとできないので、なくなく諦める。

それから「そういや、昨夜洗濯機まわしたまま干さずに寝ちゃった」ってことを思い出し、洗濯物を干す。

とはいえ、羊水は立っていればどんどん出てくる。これらの行為をいかに動きを最小限に効率よくやるかが秘訣だ。

妊娠中、パソコンはソファに横になりながらでもタイプできるようにマスターした。これが最後まで役に立って、mixi上に書き込みを続けながら、破水生活を送ることができた。

とはいえ、動くたびに羊水は漏れ続け、家の中はもう水溜りだらけだ。おまけに羊水は臭い。たとえて言うなら、草の汁のような青臭いにおい。

妊娠中は、万が一突然の破水に備えて、外出の際はいつでも生理用ナプキンを持ち歩いていたけれど、そんな程度じゃ流れ出る羊水の量にはとても追いつかない。

前日に産院に見舞ったNさんに「破水しちゃいましたー」とメールを打つと、「ナプキンは二枚重ねにしてね」とアドバイスを受け、これが結構役に立った。

mixiでの自宅からの最後の書き込みを追え、PCの電源を落とし、PCを母親に持ってきてもらえるようにバッグに整理して、着替えをして腰にバスタオルを巻いた状態で、迎えに来たタクシーへ乗り込む。

8月30日8時20分、いざ出陣。

jeudi, septembre 28, 2006

ジェダイ誕生物語 ~前夜祭~

ジェダイ誕生の前日は、まずは午後から表参道へ。3日前に出産した先輩同僚のお見舞いと赤ちゃんをその後訪問するため、まずはお祝いのお買い物へ。前日の37週1日目の検診では、既にジェダイの推定体重は2600グラム。37週からは正期産になるため、もういつ産まれても問題はないのだけれど、その時点での診断はまだ子宮口も閉じており、急に破水ということがない限り、出産は予定日前後になるだろうとのこと。

というわけで、適度な運動も必要なことだし、晴れて久々に街でお買い物。目的のお店で出産祝いを買った後、久しぶりのお出掛けなので、やはり少しショッピングもしたくなり、表参道ヒルズを少しうろついて、南海キャンディーズのしずちゃんの等身大人形を見たりして(あまりにしょぼかったから写真を摂るのはやめたけど)、原宿から新宿経由で京王線の代田橋へ。渡仏前に住んでいた隣駅なので、懐かしい景色を眺めながら、Nさんと赤ちゃんが入院中の産院に到着。昔の同僚であるパパにも会うことができ、生まれたばかりの赤ちゃんとご対面。

実はNさんには出産の前々日に自宅まで来ていただき、会っている。その時点で、目の前に居る赤ちゃんはまだNさんの大きな(!)お腹の中だったのに、こうして目の前に誕生した新たな命の存在にとても不思議な気分になる。

無痛分娩を希望したNさんは、病院側の方針とお腹の中の赤ちゃんの成長具合いで、予定日より2週間早い計画出産となった。産まれてきた赤ちゃんは、推定体重より少し少なかったけれど、ごくごく標準的な大きさで、パパとママの両方に似た、新生児の割りに皺とかが少ないキレイな女の子だった。

Nさんからは、分娩にあたっていろいろなアドバイスをいただく。無痛でも結構痛かったらしく、しきりに無痛分娩を勧められた。とはいえ、二時間足らずの安産だったそうで、その恩恵にたっぷりあやかってその場を後にする。

その後は新宿で、イラストレーターのKさんと久々の再会。帰国して少し落ち着いたら連絡しようと思っていたのだけれど、その後私のほうが妊娠が急にわかってバタバタしているうちに、Kさんのほうから連絡があった。日本に帰ってきていることは報告していなかったけれど「なんか日本に帰ってきてる気がしたんだよね」って。さすがに「なんか妊娠してる気がしたんだよね」は、なかったそうだが。

3歳の男の子のパパであるKさんからも、男性目線でいろいろとアドバイスをいただく。私の場合、今後どうなるかはわからないけれど、とりあえず当面はママでありながらパパの役割もしなければならないから、とても参考になる。

そして、その後は九段下のA社へ。Kさんとの話が思ったよりも長くなってしまい、辿り着いたのは結局20:00過ぎだった。ところが到着すると、編集部は全体会議で蛻の殻状態。聞けば、最近は企画会議が全員で行うことになったらしく、終了は下手をすれば23時をまわってしまうこともあるとのこと。待つかどうか、どうしようかなぁと迷ったけれど、席に居たデザイナーさんたちに相手をしてもらったり、バックナンバーを読んだりしているうちに結構な時間になり、せっかく来たのだからどうせもう遅い時間には違いないし、みんなが戻ってくるまで結局待つことにした。

編集部のみなさんが会議から戻ってきたのは、結局23時をまわっていた。終電まであまり時間はなくなっていたので、ゆっくりとはできなかったけれど、それでもやっぱり皆に会えてよかったと思った。日本に帰ってきて、また一緒にお仕事をさせてもらうようになって、ようやくこれからというときに妊娠がわかって、結局そのまま産休というかたちになってしまった。志が高くなって、これからまた頑張ろうと思っていた矢先で、なによりまたみなさんに会えなくなってしまったことがとても残念だったから、出産前に一度挨拶に行きたいなぁとずっと思っていた。心配してくれていた人や気に掛けてくれた人も居て、そういう人たちに元気な姿を見せたいと思っていた。

そしてバックナンバーをどっさり抱えて、結局三田線は終電一本前。家に着いたのは午前1:00前だった。それからトルコへ旅行中のロンドンの編集者YさんとMSNで連絡が取れたので、ちょっとした連絡事項をメッセージしたりして、2時過ぎに就寝。

一日動き回った割には、それほど疲れてはいなくて、逆にほどよい疲れが気分よく眠りの世界へ誘ってくれる感じ。久々にしっかり運動したせいか、ジェダイもお腹の中でいつもよりよく動いている気がした。

Et après...

『そしてその後……』

この場を突然に放置して、一ヶ月以上。
その間、ジェダイ誕生の予定日も超過して10日以上経った今、このブログをどう扱うべきかしばらく考えていた。というのも、友人のみに公開している、SNS上のもうひとつの日記のほうはその間もどんどん更新していて、見ている人もこちらのブログと相当数がかぶってしまうから。こちらをそのままフェードアウトしてもいいのかと思っていたけれど、それでも毎日数件のアクセスが相変わらず続いていることを知って、やっぱりちゃんとした区切りをこちらのほうでもつけるべきだと考えた。

このブログの最終投稿日の6日後、突然破水。その翌日の8月31日午前3時32分、ジェダイが誕生した。母子ともに健康。結局、予定日よりも3週間弱も早く、37週に入るや否や早産ギリギリでの出産にもかかわらず、ジェダイは体重3132グラム、身長51センチの立派な男の子。

そして今やジェダイは“瑠碧”として、毎日すくすくと生きている。


以降、別の日記からの転載になるけれど、ここを留守にしていた間の出来事をしばらく投稿していこうと思う。